悪役令嬢の断罪――え、いま婚約破棄と?聞こえませんでしたわ!

ちゃっぴー

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「……ふぅ。ようやくリルさんが寝静まりましたわ。あの熱量、公爵家のボイラー室の代わりに利用できないかしら」

夜も更けた公爵邸のバルコニー。
私は、冷えた夜風に当たりながら、高ぶった神経を鎮めようとしていた。
手元には、先ほどまでの「肉のオークション」の結果を記したメモ帳。
……リルさんの貢献度予測が、ゼノの防衛力をわずかに上回っている。
これをどう調整して利益を最大化させるか……。

「……まだ、そんな紙切れを眺めてるのか」

背後から、低く落ち着いた声がした。
振り返るまでもない。
この、鉄と清潔な石鹸が混ざったような香りは、ゼノのものだ。

「ゼノ。あなたも早く休んだらどうですの? 明日の任務に支障が出れば、近衛騎士団の査定に響きますわよ」

「俺の査定の心配より、自分の心配をしろ。……さっきのオークションの話、本気じゃないだろ?」

ゼノが私の隣に立ち、手すりに肘をついた。
月明かりに照らされた彼の横顔は、悪役令嬢を自称する私でさえ見惚れるほど、彫刻のように整っている。
……あ、今の「見惚れた時間」の損失、銀貨三枚分ですわ。

「本気ですわ。私の隣という『資産』を誰が運用するか。それは公平な競争によって決まるべきです」

「……あのアホ王子が、またお前に復縁を迫ってきたらどうする」

ゼノの声が、急に温度を失った。
私は少し驚いて、彼の顔を覗き込む。
そこには、いつもの呆れ顔ではなく、騎士としての鋭さと、それ以上に「男」としての独占欲が混ざった瞳があった。

「殿下が? ありえませんわ。彼は今、自分の全裸像を失ったショックで、自己肯定感がマイナスに転じているはずですもの。それに、私を買い戻すには、今の王室の予算では足りませんわ」

「そうじゃない。……もし、あいつが権力や金じゃなく、もっと……なりふり構わない方法でお前を連れ戻そうとしたら、だ」

「なりふり構わない? ……例えば、私の弱みを握って脅迫とかかしら。それはコストがかかりますわね」

私は冗談めかして笑ったが、ゼノは笑わなかった。
彼は不意に、私の両肩を掴んで、自分の方へと引き寄せた。

「っ……!? ゼノ、近いですわ! これ以上の接近は、特急料金が発生しますと――」

「払ってやるよ。お前の言い値でな」

ゼノの瞳が、至近距離で私を射抜く。
逃げ場を塞がれた小動物のように……いえ、買い叩かれた商品のように、私は身動きが取れなくなった。

「いいか、アクア。……俺は、お前が誰の隣に立つか、オークションなんてさせるつもりはない。……特等席は、最初から俺が買い占めてるんだ」

「……か、買い占める? 独占禁止法に抵触しますわよ……!」

「そんな法律、俺が握りつぶしてやる。……お前がどうしても王子に戻ると言うなら、俺は騎士の誇りも地位も全部捨てて、お前を力ずくで奪ってやるからな。……地の果てまで、俺が誘拐してやる」

心臓が、跳ね上がった。
それは、どんな特売の開始ベルよりも激しく、私の胸を叩いた。
脳内の計算機が、今まで見たこともないエラーコードを羅列している。
誘拐? 騎士団長が?
その際の逸失利益。捜索費用。逃亡生活における生活コスト……。
……計算できない。
彼の瞳にある熱量が、私の論理的な思考をすべて焼き尽くしていく。

「……ゼノ。……あなた、本気で言っていますの? 私を連れて逃げるなんて、あなたの輝かしいキャリアが台無しに……」

「お前のいないキャリアなんて、価値はゼロだ。……お前が俺を『不良債権』だと切り捨てようとしても、俺は絶対にお前から離れない。……分かったか、この守銭奴令嬢」

ゼノの手が、私の頬をそっと包み込んだ。
大きな、剣を握るための硬い手が、驚くほど優しく私の肌に触れる。

「……あ、……ぁ……」

声が出ない。
いつもなら、ここで「そのセリフ、著作権料を払ってください」とか「時給三割増しなら考えてあげます」とか、気の利いた毒舌が出るはずなのに。
今の私の口から漏れたのは、情けないほど熱い吐息だけだった。

「……返事は、今すぐじゃなくていい。……だが、俺が『最大株主』であることだけは忘れるな」

ゼノはそう言って、私の額に一度だけ、羽が触れるような軽いキスを落とした。
そして、呆然とする私を置いて、風のようにバルコニーを去っていった。

……。
…………。

「………………。……ぁ」

私は、力が抜けてその場にへたり込みそうになった。
顔が、火傷しそうに熱い。
手元のメモ帳を見れば、そこには「ゼノの告白」という項目が、震える字で書き加えられていた。

「…………筋肉。……バカみたいに、格好良すぎる筋肉ですわ……」

私は、手すりに顔を埋めて、一人で悶絶した。
資産価値、測定不能。
投資対効果、無限大。
私の人生において、最大の「計算外」が、今、夜の闇に溶けていく。

……。
…………。

「お、お姉様ぁぁ!! 今、素晴らしい愛の波動を感じて目が覚めましたわ! どこですか!? どこで愛の取引が行われたのですか!?」

「ひ、ひぃっ!? リルさん、来ないでちょうだい! 今の私は、冷却が必要なんですの!!」

「お姉様の顔が真っ赤! これは……これは、時価総額が跳ね上がる予感ですわね!!」

……私の平穏な(節約に満ちた)日常が、音を立てて崩れていく。
恋という名の巨大な負債を抱え、私は明日から、どうやって帳簿を付ければいいのか、全く見当もつかないのでした。
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