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「待ちなさい! そこ、止まりなさい騎士団長! お姉様のパーソナルスペースという名の『聖域』に、これ以上の不法侵入は認められませんわ!」
夜会からの帰り道、公爵家のキッチンを借りて例の「安い肉」の試食会を始めようとした、その時です。
背後から、鼓膜を突き破らんばかりの絶叫と共に、リルさんがスライディング気味に乱入してきました。
「あらリルさん。残業(借金リスト作成)は終わりましたの? 感心な働きぶりですわね」
「終わらせましたわ! お姉様との『肉の試食』という名の愛の共同作業に参加するためなら、脳の稼働率を通常の三倍に引き上げることなど造作もありません! ……それなのに、なぜこの筋肉ダルマが当然のように隣に座っているのですか!?」
リルさんが、肉を焼こうとしていたゼノを指差して激昂します。
ゼノはトングを持ったまま、面倒そうに片眉を上げました。
「筋肉ダルマとは失礼な。俺は護衛だ。それに、この硬い肉を効率よく叩いて柔らかくするには、騎士団流の打撃術が一番だとアクアに提案しただけだ」
「言い訳は結構ですわ! お姉様の隣は、一番の信奉者であり奴隷であるこの私の指定席! たとえ近衛騎士団長だろうと、土地の占有権を主張するなら相応の地代を支払っていただきますわよ!」
「……アクア、お前の助手、どんどんお前に似てきてないか?」
ゼノが引きつった笑顔で私を見ます。
私はまな板の上で、ベルフェゴール王国から届いた「硬い羊肉」をグラム単位で計量しながら答えました。
「地代を請求する判断は正しいですわ、リルさん。ですがゼノ、あなたの筋肉は貴重な『加工用設備』として、現在は無償提供を受けている扱いですの。リルさん、あなたに彼以上の『加工効率』が出せますか?」
「加工効率……? はっ、お任せください! 私はお姉様に罵倒されるたびに、細胞が活性化して超人的なパワーを発揮しますわ! さあ、お姉様! もっとゴミを見るような目で私を見て『この役立たずの肉叩き機め!』と罵ってください! そうすれば、この肉を分子レベルまで粉砕してみせますわ!」
「……ゼノ、やっぱり警察か医師を呼んでくださる?」
私は深いため息をつき、リルの額に「時給五割カット(保留)」と書いた付箋を貼り付けました。
「いいですか、二人とも。今は私の将来的な『肉ビジネス』の損益分岐点を見極める重要な局面です。私闘で時間を浪費するのは、金の無駄遣いと同じですわ」
「ですがアクア様! この男、夜会でのエスコートにかこつけて、あからさまにあなたとの距離を詰めようとしていましたわ! お姉様は我が国の、いえ、私の最高級の資産! どこの馬の骨とも知れない騎士に安売りするなど、私が許しません!」
「馬の骨って、一応これでも公爵家の次男坊なんだがな……」
ゼノが力なく呟きます。
しかし、リルさんは止まりません。
彼女はゼノの前に立ちはだかり、懐から「アクア様への貢献度グラフ」なる怪しげな図面を取り出しました。
「見なさい! 今月の私の稼ぎと、お姉様へ捧げた罵倒の受け入れ回数です! これに勝てる実績があなたにありますの!? 騎士団の予算を横流ししてでも、お姉様の私設口座に貢献しているというのですか!?」
「犯罪を推奨するな。……俺の貢献は実績じゃなく『継続』だ。アクアが子供の頃から、その三白眼で睨まれるたびに、俺がどれだけ精神的ケア(という名の愚痴聞き)をしてきたと思ってる」
「幼馴染マウント!? 卑怯ですわ! 古い資産ほど価値があるなんて、アンティーク家具だけの論理ですわよ!」
キッチンの中で、騎士団長と元ヒロインが、肉の焼き加減そっちのけで言い合いを始めました。
私は黙って、ゼノが叩き、私が味付けした羊肉の一片を口に運びました。
「……ふむ。予想通り、この硬さはスパイスと低温調理で『噛みごたえのある高級ジビエ風』に変換可能ですわね。原価率は驚異の五パーセント以下。これなら、王都のレストランチェーンを買い叩けますわ」
私が満足げに頷くと、喧嘩していた二人が同時にこちらを向きました。
「……お姉様、今、お一人で幸せを噛み締めていらっしゃいました?」
「アクア、俺たちの話聞いてたか?」
「ええ。二人とも、私の隣という『特等席』の価値を理解しているようで何よりですわ。……そこまで言うなら、今後は『隣に立つ権利』をオークション形式にしましょうか?」
「「オークション!?」」
二人の声が重なりました。
「ええ。私への貢献度、または純粋な入金額、あるいは私の事業をどれだけ拡大させたか。その数値が最も高かった者に、私の隣を歩く『暫定的な独占権』を与えます。……これなら公平でしょう?」
私は、羊肉の脂で汚れないように扇子を広げ、不敵に微笑みました。
「……望むところですわ! 私は明日から不眠不休で、隣国の金鉱山の再建案を練り上げます! お姉様の右隣は、私のものですわ!」
「……やれやれ。俺は金じゃ勝てそうにないが、物理的な『防衛力』でお前の左隣を死守してやるよ。オークションだろうがなんだろうが、降りるつもりはないからな」
ゼノが少しだけ真剣な目で私を見つめました。
その視線の強さに、私はわずかに胸の鼓動が速くなるのを感じましたが、それを「高タンパクな食事による代謝の上昇」として即座に処理しました。
「……よし、二人とも。その意気ですわ。……では、この硬い肉を全部平らげなさい。明日の労働力(コスト)として蓄えるのです。……あ、お代は後で給料から天引きしておきますわね」
「えっ!? お金取るんですか!?」
「当たり前ですわ。私の『手料理(監修)』はタダではありませんの」
真夜中のキッチンに、私の冷徹な計算機の音と、二人の騒がしい声が響き渡ります。
友情や愛情という無形資産。
それらが、いつか莫大な「幸福」という名の利息を生んでくれるのかどうか。
今の私にはまだ分かりませんが、少なくとも今夜の収支は、圧倒的な黒字であることだけは確かでした。
夜会からの帰り道、公爵家のキッチンを借りて例の「安い肉」の試食会を始めようとした、その時です。
背後から、鼓膜を突き破らんばかりの絶叫と共に、リルさんがスライディング気味に乱入してきました。
「あらリルさん。残業(借金リスト作成)は終わりましたの? 感心な働きぶりですわね」
「終わらせましたわ! お姉様との『肉の試食』という名の愛の共同作業に参加するためなら、脳の稼働率を通常の三倍に引き上げることなど造作もありません! ……それなのに、なぜこの筋肉ダルマが当然のように隣に座っているのですか!?」
リルさんが、肉を焼こうとしていたゼノを指差して激昂します。
ゼノはトングを持ったまま、面倒そうに片眉を上げました。
「筋肉ダルマとは失礼な。俺は護衛だ。それに、この硬い肉を効率よく叩いて柔らかくするには、騎士団流の打撃術が一番だとアクアに提案しただけだ」
「言い訳は結構ですわ! お姉様の隣は、一番の信奉者であり奴隷であるこの私の指定席! たとえ近衛騎士団長だろうと、土地の占有権を主張するなら相応の地代を支払っていただきますわよ!」
「……アクア、お前の助手、どんどんお前に似てきてないか?」
ゼノが引きつった笑顔で私を見ます。
私はまな板の上で、ベルフェゴール王国から届いた「硬い羊肉」をグラム単位で計量しながら答えました。
「地代を請求する判断は正しいですわ、リルさん。ですがゼノ、あなたの筋肉は貴重な『加工用設備』として、現在は無償提供を受けている扱いですの。リルさん、あなたに彼以上の『加工効率』が出せますか?」
「加工効率……? はっ、お任せください! 私はお姉様に罵倒されるたびに、細胞が活性化して超人的なパワーを発揮しますわ! さあ、お姉様! もっとゴミを見るような目で私を見て『この役立たずの肉叩き機め!』と罵ってください! そうすれば、この肉を分子レベルまで粉砕してみせますわ!」
「……ゼノ、やっぱり警察か医師を呼んでくださる?」
私は深いため息をつき、リルの額に「時給五割カット(保留)」と書いた付箋を貼り付けました。
「いいですか、二人とも。今は私の将来的な『肉ビジネス』の損益分岐点を見極める重要な局面です。私闘で時間を浪費するのは、金の無駄遣いと同じですわ」
「ですがアクア様! この男、夜会でのエスコートにかこつけて、あからさまにあなたとの距離を詰めようとしていましたわ! お姉様は我が国の、いえ、私の最高級の資産! どこの馬の骨とも知れない騎士に安売りするなど、私が許しません!」
「馬の骨って、一応これでも公爵家の次男坊なんだがな……」
ゼノが力なく呟きます。
しかし、リルさんは止まりません。
彼女はゼノの前に立ちはだかり、懐から「アクア様への貢献度グラフ」なる怪しげな図面を取り出しました。
「見なさい! 今月の私の稼ぎと、お姉様へ捧げた罵倒の受け入れ回数です! これに勝てる実績があなたにありますの!? 騎士団の予算を横流ししてでも、お姉様の私設口座に貢献しているというのですか!?」
「犯罪を推奨するな。……俺の貢献は実績じゃなく『継続』だ。アクアが子供の頃から、その三白眼で睨まれるたびに、俺がどれだけ精神的ケア(という名の愚痴聞き)をしてきたと思ってる」
「幼馴染マウント!? 卑怯ですわ! 古い資産ほど価値があるなんて、アンティーク家具だけの論理ですわよ!」
キッチンの中で、騎士団長と元ヒロインが、肉の焼き加減そっちのけで言い合いを始めました。
私は黙って、ゼノが叩き、私が味付けした羊肉の一片を口に運びました。
「……ふむ。予想通り、この硬さはスパイスと低温調理で『噛みごたえのある高級ジビエ風』に変換可能ですわね。原価率は驚異の五パーセント以下。これなら、王都のレストランチェーンを買い叩けますわ」
私が満足げに頷くと、喧嘩していた二人が同時にこちらを向きました。
「……お姉様、今、お一人で幸せを噛み締めていらっしゃいました?」
「アクア、俺たちの話聞いてたか?」
「ええ。二人とも、私の隣という『特等席』の価値を理解しているようで何よりですわ。……そこまで言うなら、今後は『隣に立つ権利』をオークション形式にしましょうか?」
「「オークション!?」」
二人の声が重なりました。
「ええ。私への貢献度、または純粋な入金額、あるいは私の事業をどれだけ拡大させたか。その数値が最も高かった者に、私の隣を歩く『暫定的な独占権』を与えます。……これなら公平でしょう?」
私は、羊肉の脂で汚れないように扇子を広げ、不敵に微笑みました。
「……望むところですわ! 私は明日から不眠不休で、隣国の金鉱山の再建案を練り上げます! お姉様の右隣は、私のものですわ!」
「……やれやれ。俺は金じゃ勝てそうにないが、物理的な『防衛力』でお前の左隣を死守してやるよ。オークションだろうがなんだろうが、降りるつもりはないからな」
ゼノが少しだけ真剣な目で私を見つめました。
その視線の強さに、私はわずかに胸の鼓動が速くなるのを感じましたが、それを「高タンパクな食事による代謝の上昇」として即座に処理しました。
「……よし、二人とも。その意気ですわ。……では、この硬い肉を全部平らげなさい。明日の労働力(コスト)として蓄えるのです。……あ、お代は後で給料から天引きしておきますわね」
「えっ!? お金取るんですか!?」
「当たり前ですわ。私の『手料理(監修)』はタダではありませんの」
真夜中のキッチンに、私の冷徹な計算機の音と、二人の騒がしい声が響き渡ります。
友情や愛情という無形資産。
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