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第一章 信長と算砂
信長と算砂の出会い
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正倉院の宝物の一つに木画(もくが)紫檀(したんの)碁局(ききょく)という囲碁の碁盤がある。正倉院成立当初からの聖武天皇愛用の宝物で、日本最古の碁盤である。聖武天皇愛用の宝物は、この碁盤を含め、藤原道長、鳥羽天皇、後白河天皇、足利義教、織田信長、そうそうたる時の権力者が拝観を申し出ている。
戦国時代末期、日蓮宗僧侶日海(後に本因坊算砂を称する)が木画紫檀棊局を初めて目にしたのは時の実力者織田信長に拝謁した時であった。
日海、京都の能楽宗家・加納與助の子、幼名は加納與三郎といった。八歳の時、日蓮宗徒の叔父日淵について仏門に入り、法名日海を名乗る。
そのかたわら、当時名を上げていた堺の囲碁棋士仙也に弟子入りし囲碁の修練を行う。宗祖日蓮しかり、教養として囲碁を習得することは、権力者や富裕層に法華の教えを広める良い機会でもあった。
修行の息抜きとして囲碁については叔父日淵から比較的自由を与えられていた。月に数度、京都に滞在していた仙也の元に通い手ほどきを受ける。
一年もたたずして、対局後、対局開始からの経過全てを碁盤で再現できるほどになった。折々の仙也の指摘を黙してうなずく。良し悪しを考慮しながら他の手筋も再現し、確実に吸収していく。
基礎ができた後は、対局の部屋と棋書を与えられ、自由に内弟子達と競った。対局が終われば、仙也が各々の立場で感想を伝え、質問を投げかけた。打つ手を否定せず、本人の競争の意欲と自主性を尊重する方針だった。
仏事については、法華の伝統に従い、日々、修養に励む。
早朝、草木もまだ眠る寅の刻(早朝四時)に起床し、白衣に着替え、水行堂で水浴びを行う。経文を唱え、水を浴び身を清める。早朝に水行を始めると、冷え切った水で逆に体が熱を帯び、生きていることを実感する。体が引きまる思いで一日を始めることができる。鐘突き堂で、鐘を突き、皆に一日の開始を知らせる。
白衣の上に、黒の道服、泥色の袈裟衣を纏う。袈裟が泥色なのは、衆生の底辺からこそ人人を救い出すとことが大事だという教えからきている。
本堂、御真骨堂など、お堂を回り、蠟燭や水を変え、読経を行う。納牌所や霊園も回り、檀家の皆々のご回向を行う。一日の勤めは、妙法蓮華経の読経で始まり、終わる。変わらぬ勤めを日々積み重ねていく。
囲碁は、仙也についてから数年、発想自体を鍛える指導方針からめきめきと腕を上げ、ついには師匠の仙也を追い越すほどの実力を身につけるまでになっていた。
「大局観に優れている。型は守るが、発想が柔軟で、独創性がある。駆け引きも巧みになった。これからも修行を怠るでないぞ」
仙也は日海に改めて訓示した。
天正六年(一五七八年)、叔父日淵が京都東山に寂光寺を開くことになった。八歳の時に仏門に帰依し、日淵について、修行を積み重ねて十一年目のことであった。
日海は、開山に伴い、寂光寺の一室で、檀家や近隣の同門の方々に挨拶状をしたためていた。ふと、馬のいななきに驚き、部屋の小窓から覗くと、小刀をおび、小袖に馬乗袴の簡便な姿で、跨る馬からひょいと飛び降り、そそくさと玄関に近づいてくる武将がいた。
気短なのか歩く足も速いが、着崩れた様子もなく、部下数人を従え、その威厳たるや特別な風格を醸し出している。
小気味良い一定の拍子で歩いていて、剣術の覚えのない一僧侶がふと躓いてその懐に飛び出したとしたら、瞬く間に切り捨てられそうで、一分の隙も感じさせない。
日海が身分の高そうなお武家が何の用だと疑問に思っていると、弟弟子の一人が部屋まで日海を呼びに来た。日淵和尚が取次ぎをしているものの、何やら、かの織田信長が市中で噂の碁打ちに会いたいとのことで、本堂横の客座敷で待っているらしい。
人違いではないかと思いつつ、急ぎ客座敷まで向かう。
「強い碁打ちというのは其方であるか」
「はは、まだ修行中に身でござりますが、日々修行に励んでおりまする」
日海は、突然の訪問に驚き、何のことかわからず咄嗟に口にしたものの、身を硬くして縮み上がり、恐縮する。
「であるか。改めて使いを出す。安土城にて対局するがよい」
「はは」
信長は、それだけ言うと、客座敷から外に出て、吟味するように辺りを見回し、新築の真新しい境内を歩き回り始める。
「法華の者達は羽振りがいいのぉ。まだまだ、京周辺の戦乱も治まらぬが、新しい寺院の建立か」
「信徒の篤き信仰の賜物でござりまする」
連れ添ってお供をしていた叔父日淵が恭しく頭を下げた。
「そういえば、九州から来た普伝とかいう博識の僧に、金品を渡して真言から其方の法華に改宗させたと聞いた。宗派の喧伝にも余念がないのぉ」
「法華こそ真実の経典だと悟られたがゆえとお聞きしました」
「ふん、左様か。まるで商いのような喧伝じゃな」
信長は、踵を返し、境内を去っていた。
日海は、改めて安土城に召され、対局させられた。
豪壮な安土城の一室、床の間のある茶室のような小さな部屋で対座した。案内に連れられ、正直ここがどこかもわからない。訳も分からず、いきなり安土に呼ばれ、あの信長公と対局するなど、狐につままれたような妙な心持である。夢か現か、目の前の人物が果たして本当に信長公なのかも怪しまれる。
六子の手合割、信長黒、日海白で対局した。既に天元を除き各隅の星と辺の中央が黒で埋まられている状態である。六子の置碁、普通に打たれたら勝ちようがない。
打ち進めていくと、右上隅、左下隅で攻めた日海の白は眼ができず、両隅の地が取られそうな情勢になっている。
「さすがに六子の手合割であれば厳しいかの」
信長は自信たっぷりでつぶやく。
日海は、右上隅の全く関係ないところで白石を放り込み、信長は黒石を置きその白を受けた。日海は、今度は左下隅に白を放り込む。あれよあれよと左隅下の黒が埋っていき、気が付けば黒は逃げだし、逃げていった先にも白があり、左下隅から逃げ出したすべての黒が奪われた。これで形勢が決した。
「最初の其方の放り込み、恐ろしい一手じゃ」
信長は感嘆の声を上げた。
「噂どおり並みの技量ではない。一体、何十手先を読んでいるのじゃ。末恐ろしいのぉ。そうじゃ……」
信長はふと黙ってうつむいたかと思うと、何かをひらめいたように日海を凝視した。
「例の碁盤、この者に任せるか……」
日海は、信長が何かを小さく呟くのが聞こえた。
以降、技量に感心した信長に「名人」としてもてはやされることになる。信長四十五歳、日海十九歳のことである。
戦国時代、日海に限らず、僧侶・商人達は、武家、公家の権力者に取り入ろうと、将棋・囲碁・茶の湯等の芸事にいそしんでいた。囲んだ陣地の大小を競う囲碁、味方が倒れても大将が討たれるまで続く将棋は、実地の戦術・戦略の習いの場として武家の間で大いに流行していた。
突然「名人」と褒めそやされた安土城での御前対局からまだ日も浅いのに、日海は、再び織田信長に呼び出されることになった。
京都から安土に向かい、城下町に差し掛かる。陽の光で煌めく琵琶湖を背後に、天主が山の頂きそのもののように大きく見える。
秋風も冷たくなる中、さすがに京から安土まで間を置かず二度も呼び出されては体に堪える。正装とはいえ、真白な素(そ)絹(けん)に、指貫(さしぬき)をはき、五條袈裟をまとうと、秋口の肌寒さも幾分和らぐ。
(信長様も囲碁がお好きなようだが、お褒め頂いてから直ぐに登城せよとは、一体なんの御用であることやら)
日海は不満げに歩を進める。
天主台に向かう大手道に差し掛かり、櫓の続く急な坂道を登りながら、顔から僅かながら滴り落ちる汗を拭う。息を整え、心臓の鼓動を抑え、一歩一歩重くなる両足を前に進めていく。
坂を登り切り、二の丸入口の黒金門を通り、天主台麓の江雲寺御殿で守衛に取次ぎを依頼すると、大広間に案内された。殿上の背後で釖持の小姓が控える中、平伏しながら待つ。着衣が擦れ合う音が徐々に大きくなるかと思と、信長が現れ、目の前で着座した。
殿上に座っている信長は、扇を右手に持ち、小袖に肩衣袴で儀礼の様式に従ったように微動だにしない。小姓達が下がるのを待ちながら、ただこちらを見下ろしている。その動と静、攻と守が一人の人間内部に結晶している姿に、日海は、畏怖の念を感じざるを得なかった。
いくら丸腰とはいえ信長と二人きり。大広間で対峙していることに何か事の重大な言いつけがあるやもしれぬと想像を働かせてみる。しかし、一介の僧侶の身で見当もつかない。信長の言葉を神妙に待つのみである。
「日海よ、安土城も来年には完成予定じゃ。見事なものであろう。伊丹の荒木村重の乱も鎮圧し、京周辺の安寧も近い状況じゃ。まだまだ予断は許さぬがの」
「全て信長様の御威光によるものと存じております」
日海は、両手をつき、頭を畳に付け、より深く平伏して答える。
「今日そなたを呼んだのは他でもない。もちろん、碁の話じゃ。正倉院の宝物の一つに碁盤があるのを知っておるか」
「噂によると聖武天皇が使用された日本最古の碁盤があるとか」
「そう、聖武天皇が使用したと言われる一品での、少し前になるが朝廷に要請し、正式に拝借の勅許を得たのじゃ。たかだか倉庫の置物の一つや二つで手続きが面倒での、人を遣って貴族どもに贈り物をしたり、礼状をしたためたりと手間がかかったわい」
往時を思い出したのか、信長は得意げな様子で語った。
「肝心なのはここからじゃ。その碁盤、使い始めてから不可思議なことが起こっての、合間を縫っては、その碁盤を使い、近習の小姓や僧侶と度々囲碁を打っていたのじゃ。しかし、そうこうして数日経過すると、同時期に対局をしてきた三名の近習達が、時を置かずに亡くなっての」
「時を置かずに、でござりますか。偶然でござりましょうか」
日海は、怪訝な様子で尋ねた。
「もちろん、亡くなり方に不自然な点はない。背後に何かしらの黒幕が糸を引いていたとも考えられぬ。ただ、この三名に共通することは、儂がその碁盤で何度か対局をさせた者たちであるということだけなのじゃ」
「その碁盤で碁を打つと人が亡くなる、ということでござりますか。にわかには信じられませぬが」
「信じられぬのも無理はない。儂もまだ半信半疑じゃからの」
信長は、声高に笑った。
「既に朝廷には木画紫檀棊局は返却済みじゃ。返したのは模造品じゃ」
「なんと、模造品、でござりますか。朝廷もお気づきにならぬとは。しかし、仮に表沙汰になれば揉事になりませぬか」
「揉事に等ならぬわい。返却した物が本物になるだけの話じゃわ。今の朝廷など、この信長が献金せねばまともな儀式も執り行えぬ程困窮を極めておる。戦乱で貴族どもは京から逃げ出し、朝廷の御料地も守護や国人衆に荒らされておる。旧弊を守る以外、今の朝廷に何ができるのじゃ」
信長の言葉には、何かしらの不満とも似た、怒気が込められていた。
「大変失礼をば仕りました。確かに、朝廷も将軍も、力がなければ何も出来ぬ世の中でござりまする」
日海は平伏し頷く。
「それで、木画紫檀棊局じゃが、言われねば、儂も気づかないほどの出来栄えじゃったたわい。匠人は制作に少々手こずって時間を要したがの、本物はここにある」
信長自ら、まるで秘蔵の茶器を披露するかの如く、自慢気に大広間の奥の別室から金銀の亀甲文様の箱を持ち出してきた。そして、日海の前で箱のふたを開けた。
日海は、碁盤を見て、信長の御前ながら、壮麗で繊細な作りに感嘆の吐息を漏らした。
色黒い盤面は、十九の黄金の線で区分けられ、各隅と中央にある金色に塗られた黒点は、まるで薄暮に灯し始める星のようだ。
それらの星が、夕暮れの湖面に映し出されているように見える。幾何学的な装飾や、側面に描かれた鹿、鳥、駱駝等の動物から、唐か、天竺か、その由来もはっきりしない。
しかし、豪華な装飾の陰で、妙に黒々とした盤面からか、何か面妖な禍々しい雰囲気が漂っているのを日海は感じざるをえなかった。
「そして、その突如亡くなった者達じゃが」
魅惑の碁盤に見とれていた日海だが、信長の言葉にはっと意識を取り戻す。
信長が言うには、三名のうち一名は、馬廻衆の一人で、数人と町中で喧嘩沙汰の末、手傷を負い、恥をかかせまいと自害して果てたという。もう一名は、祐筆の者で、安土城で執務中急に胸が痛むと苦しみ始めて瞬く間に命を失ったそうだ。もう一名は僧侶上がりの同朋衆の一人で、町娘と密会をしていたことを他の僧に知られ、脅迫を受け城のお堀から飛び降りて亡くなったとのことらしい。
信長は続ける。
「この三名に共通するのは、儂がその碁盤にて三局対戦をさせた者たちだということじゃ。三局目に儂が勝った日以降、馬廻衆の者はその翌日、祐筆の者は三日後、同朋衆の者は十日後に亡くなっておる。単純に考えて、あの碁盤を用いて三局負けると負けた日の翌日から十日間の間に亡くなるということになる。日海よ、どう思うか」
信長の推論は妥当に思えたが、容易に腑に落ちるものでもない。
「聖武天皇ゆかりの碁盤の話は聞き及んでおりましたが、そのような因果は宗徒の間でも聞いたことがございませぬ」
「そこでじゃ、この碁盤に、どんな秘密が隠されているか調べてくれぬか」
日海は、まさかの依頼に当惑はしたが、一棋士として好奇の念を抑えられなくもあった。
「されば、承知いたしました。では、恐れ多いことでございますが、碁盤をしばらくお貸し頂けますでしょうか」
「よかろう」
日海は、朝廷ゆかりの宝物を自分の手元における喜びを感じた。平静を装い、半信半疑ながら、実態の解明を進めることとした。
戦国時代末期、日蓮宗僧侶日海(後に本因坊算砂を称する)が木画紫檀棊局を初めて目にしたのは時の実力者織田信長に拝謁した時であった。
日海、京都の能楽宗家・加納與助の子、幼名は加納與三郎といった。八歳の時、日蓮宗徒の叔父日淵について仏門に入り、法名日海を名乗る。
そのかたわら、当時名を上げていた堺の囲碁棋士仙也に弟子入りし囲碁の修練を行う。宗祖日蓮しかり、教養として囲碁を習得することは、権力者や富裕層に法華の教えを広める良い機会でもあった。
修行の息抜きとして囲碁については叔父日淵から比較的自由を与えられていた。月に数度、京都に滞在していた仙也の元に通い手ほどきを受ける。
一年もたたずして、対局後、対局開始からの経過全てを碁盤で再現できるほどになった。折々の仙也の指摘を黙してうなずく。良し悪しを考慮しながら他の手筋も再現し、確実に吸収していく。
基礎ができた後は、対局の部屋と棋書を与えられ、自由に内弟子達と競った。対局が終われば、仙也が各々の立場で感想を伝え、質問を投げかけた。打つ手を否定せず、本人の競争の意欲と自主性を尊重する方針だった。
仏事については、法華の伝統に従い、日々、修養に励む。
早朝、草木もまだ眠る寅の刻(早朝四時)に起床し、白衣に着替え、水行堂で水浴びを行う。経文を唱え、水を浴び身を清める。早朝に水行を始めると、冷え切った水で逆に体が熱を帯び、生きていることを実感する。体が引きまる思いで一日を始めることができる。鐘突き堂で、鐘を突き、皆に一日の開始を知らせる。
白衣の上に、黒の道服、泥色の袈裟衣を纏う。袈裟が泥色なのは、衆生の底辺からこそ人人を救い出すとことが大事だという教えからきている。
本堂、御真骨堂など、お堂を回り、蠟燭や水を変え、読経を行う。納牌所や霊園も回り、檀家の皆々のご回向を行う。一日の勤めは、妙法蓮華経の読経で始まり、終わる。変わらぬ勤めを日々積み重ねていく。
囲碁は、仙也についてから数年、発想自体を鍛える指導方針からめきめきと腕を上げ、ついには師匠の仙也を追い越すほどの実力を身につけるまでになっていた。
「大局観に優れている。型は守るが、発想が柔軟で、独創性がある。駆け引きも巧みになった。これからも修行を怠るでないぞ」
仙也は日海に改めて訓示した。
天正六年(一五七八年)、叔父日淵が京都東山に寂光寺を開くことになった。八歳の時に仏門に帰依し、日淵について、修行を積み重ねて十一年目のことであった。
日海は、開山に伴い、寂光寺の一室で、檀家や近隣の同門の方々に挨拶状をしたためていた。ふと、馬のいななきに驚き、部屋の小窓から覗くと、小刀をおび、小袖に馬乗袴の簡便な姿で、跨る馬からひょいと飛び降り、そそくさと玄関に近づいてくる武将がいた。
気短なのか歩く足も速いが、着崩れた様子もなく、部下数人を従え、その威厳たるや特別な風格を醸し出している。
小気味良い一定の拍子で歩いていて、剣術の覚えのない一僧侶がふと躓いてその懐に飛び出したとしたら、瞬く間に切り捨てられそうで、一分の隙も感じさせない。
日海が身分の高そうなお武家が何の用だと疑問に思っていると、弟弟子の一人が部屋まで日海を呼びに来た。日淵和尚が取次ぎをしているものの、何やら、かの織田信長が市中で噂の碁打ちに会いたいとのことで、本堂横の客座敷で待っているらしい。
人違いではないかと思いつつ、急ぎ客座敷まで向かう。
「強い碁打ちというのは其方であるか」
「はは、まだ修行中に身でござりますが、日々修行に励んでおりまする」
日海は、突然の訪問に驚き、何のことかわからず咄嗟に口にしたものの、身を硬くして縮み上がり、恐縮する。
「であるか。改めて使いを出す。安土城にて対局するがよい」
「はは」
信長は、それだけ言うと、客座敷から外に出て、吟味するように辺りを見回し、新築の真新しい境内を歩き回り始める。
「法華の者達は羽振りがいいのぉ。まだまだ、京周辺の戦乱も治まらぬが、新しい寺院の建立か」
「信徒の篤き信仰の賜物でござりまする」
連れ添ってお供をしていた叔父日淵が恭しく頭を下げた。
「そういえば、九州から来た普伝とかいう博識の僧に、金品を渡して真言から其方の法華に改宗させたと聞いた。宗派の喧伝にも余念がないのぉ」
「法華こそ真実の経典だと悟られたがゆえとお聞きしました」
「ふん、左様か。まるで商いのような喧伝じゃな」
信長は、踵を返し、境内を去っていた。
日海は、改めて安土城に召され、対局させられた。
豪壮な安土城の一室、床の間のある茶室のような小さな部屋で対座した。案内に連れられ、正直ここがどこかもわからない。訳も分からず、いきなり安土に呼ばれ、あの信長公と対局するなど、狐につままれたような妙な心持である。夢か現か、目の前の人物が果たして本当に信長公なのかも怪しまれる。
六子の手合割、信長黒、日海白で対局した。既に天元を除き各隅の星と辺の中央が黒で埋まられている状態である。六子の置碁、普通に打たれたら勝ちようがない。
打ち進めていくと、右上隅、左下隅で攻めた日海の白は眼ができず、両隅の地が取られそうな情勢になっている。
「さすがに六子の手合割であれば厳しいかの」
信長は自信たっぷりでつぶやく。
日海は、右上隅の全く関係ないところで白石を放り込み、信長は黒石を置きその白を受けた。日海は、今度は左下隅に白を放り込む。あれよあれよと左隅下の黒が埋っていき、気が付けば黒は逃げだし、逃げていった先にも白があり、左下隅から逃げ出したすべての黒が奪われた。これで形勢が決した。
「最初の其方の放り込み、恐ろしい一手じゃ」
信長は感嘆の声を上げた。
「噂どおり並みの技量ではない。一体、何十手先を読んでいるのじゃ。末恐ろしいのぉ。そうじゃ……」
信長はふと黙ってうつむいたかと思うと、何かをひらめいたように日海を凝視した。
「例の碁盤、この者に任せるか……」
日海は、信長が何かを小さく呟くのが聞こえた。
以降、技量に感心した信長に「名人」としてもてはやされることになる。信長四十五歳、日海十九歳のことである。
戦国時代、日海に限らず、僧侶・商人達は、武家、公家の権力者に取り入ろうと、将棋・囲碁・茶の湯等の芸事にいそしんでいた。囲んだ陣地の大小を競う囲碁、味方が倒れても大将が討たれるまで続く将棋は、実地の戦術・戦略の習いの場として武家の間で大いに流行していた。
突然「名人」と褒めそやされた安土城での御前対局からまだ日も浅いのに、日海は、再び織田信長に呼び出されることになった。
京都から安土に向かい、城下町に差し掛かる。陽の光で煌めく琵琶湖を背後に、天主が山の頂きそのもののように大きく見える。
秋風も冷たくなる中、さすがに京から安土まで間を置かず二度も呼び出されては体に堪える。正装とはいえ、真白な素(そ)絹(けん)に、指貫(さしぬき)をはき、五條袈裟をまとうと、秋口の肌寒さも幾分和らぐ。
(信長様も囲碁がお好きなようだが、お褒め頂いてから直ぐに登城せよとは、一体なんの御用であることやら)
日海は不満げに歩を進める。
天主台に向かう大手道に差し掛かり、櫓の続く急な坂道を登りながら、顔から僅かながら滴り落ちる汗を拭う。息を整え、心臓の鼓動を抑え、一歩一歩重くなる両足を前に進めていく。
坂を登り切り、二の丸入口の黒金門を通り、天主台麓の江雲寺御殿で守衛に取次ぎを依頼すると、大広間に案内された。殿上の背後で釖持の小姓が控える中、平伏しながら待つ。着衣が擦れ合う音が徐々に大きくなるかと思と、信長が現れ、目の前で着座した。
殿上に座っている信長は、扇を右手に持ち、小袖に肩衣袴で儀礼の様式に従ったように微動だにしない。小姓達が下がるのを待ちながら、ただこちらを見下ろしている。その動と静、攻と守が一人の人間内部に結晶している姿に、日海は、畏怖の念を感じざるを得なかった。
いくら丸腰とはいえ信長と二人きり。大広間で対峙していることに何か事の重大な言いつけがあるやもしれぬと想像を働かせてみる。しかし、一介の僧侶の身で見当もつかない。信長の言葉を神妙に待つのみである。
「日海よ、安土城も来年には完成予定じゃ。見事なものであろう。伊丹の荒木村重の乱も鎮圧し、京周辺の安寧も近い状況じゃ。まだまだ予断は許さぬがの」
「全て信長様の御威光によるものと存じております」
日海は、両手をつき、頭を畳に付け、より深く平伏して答える。
「今日そなたを呼んだのは他でもない。もちろん、碁の話じゃ。正倉院の宝物の一つに碁盤があるのを知っておるか」
「噂によると聖武天皇が使用された日本最古の碁盤があるとか」
「そう、聖武天皇が使用したと言われる一品での、少し前になるが朝廷に要請し、正式に拝借の勅許を得たのじゃ。たかだか倉庫の置物の一つや二つで手続きが面倒での、人を遣って貴族どもに贈り物をしたり、礼状をしたためたりと手間がかかったわい」
往時を思い出したのか、信長は得意げな様子で語った。
「肝心なのはここからじゃ。その碁盤、使い始めてから不可思議なことが起こっての、合間を縫っては、その碁盤を使い、近習の小姓や僧侶と度々囲碁を打っていたのじゃ。しかし、そうこうして数日経過すると、同時期に対局をしてきた三名の近習達が、時を置かずに亡くなっての」
「時を置かずに、でござりますか。偶然でござりましょうか」
日海は、怪訝な様子で尋ねた。
「もちろん、亡くなり方に不自然な点はない。背後に何かしらの黒幕が糸を引いていたとも考えられぬ。ただ、この三名に共通することは、儂がその碁盤で何度か対局をさせた者たちであるということだけなのじゃ」
「その碁盤で碁を打つと人が亡くなる、ということでござりますか。にわかには信じられませぬが」
「信じられぬのも無理はない。儂もまだ半信半疑じゃからの」
信長は、声高に笑った。
「既に朝廷には木画紫檀棊局は返却済みじゃ。返したのは模造品じゃ」
「なんと、模造品、でござりますか。朝廷もお気づきにならぬとは。しかし、仮に表沙汰になれば揉事になりませぬか」
「揉事に等ならぬわい。返却した物が本物になるだけの話じゃわ。今の朝廷など、この信長が献金せねばまともな儀式も執り行えぬ程困窮を極めておる。戦乱で貴族どもは京から逃げ出し、朝廷の御料地も守護や国人衆に荒らされておる。旧弊を守る以外、今の朝廷に何ができるのじゃ」
信長の言葉には、何かしらの不満とも似た、怒気が込められていた。
「大変失礼をば仕りました。確かに、朝廷も将軍も、力がなければ何も出来ぬ世の中でござりまする」
日海は平伏し頷く。
「それで、木画紫檀棊局じゃが、言われねば、儂も気づかないほどの出来栄えじゃったたわい。匠人は制作に少々手こずって時間を要したがの、本物はここにある」
信長自ら、まるで秘蔵の茶器を披露するかの如く、自慢気に大広間の奥の別室から金銀の亀甲文様の箱を持ち出してきた。そして、日海の前で箱のふたを開けた。
日海は、碁盤を見て、信長の御前ながら、壮麗で繊細な作りに感嘆の吐息を漏らした。
色黒い盤面は、十九の黄金の線で区分けられ、各隅と中央にある金色に塗られた黒点は、まるで薄暮に灯し始める星のようだ。
それらの星が、夕暮れの湖面に映し出されているように見える。幾何学的な装飾や、側面に描かれた鹿、鳥、駱駝等の動物から、唐か、天竺か、その由来もはっきりしない。
しかし、豪華な装飾の陰で、妙に黒々とした盤面からか、何か面妖な禍々しい雰囲気が漂っているのを日海は感じざるをえなかった。
「そして、その突如亡くなった者達じゃが」
魅惑の碁盤に見とれていた日海だが、信長の言葉にはっと意識を取り戻す。
信長が言うには、三名のうち一名は、馬廻衆の一人で、数人と町中で喧嘩沙汰の末、手傷を負い、恥をかかせまいと自害して果てたという。もう一名は、祐筆の者で、安土城で執務中急に胸が痛むと苦しみ始めて瞬く間に命を失ったそうだ。もう一名は僧侶上がりの同朋衆の一人で、町娘と密会をしていたことを他の僧に知られ、脅迫を受け城のお堀から飛び降りて亡くなったとのことらしい。
信長は続ける。
「この三名に共通するのは、儂がその碁盤にて三局対戦をさせた者たちだということじゃ。三局目に儂が勝った日以降、馬廻衆の者はその翌日、祐筆の者は三日後、同朋衆の者は十日後に亡くなっておる。単純に考えて、あの碁盤を用いて三局負けると負けた日の翌日から十日間の間に亡くなるということになる。日海よ、どう思うか」
信長の推論は妥当に思えたが、容易に腑に落ちるものでもない。
「聖武天皇ゆかりの碁盤の話は聞き及んでおりましたが、そのような因果は宗徒の間でも聞いたことがございませぬ」
「そこでじゃ、この碁盤に、どんな秘密が隠されているか調べてくれぬか」
日海は、まさかの依頼に当惑はしたが、一棋士として好奇の念を抑えられなくもあった。
「されば、承知いたしました。では、恐れ多いことでございますが、碁盤をしばらくお貸し頂けますでしょうか」
「よかろう」
日海は、朝廷ゆかりの宝物を自分の手元における喜びを感じた。平静を装い、半信半疑ながら、実態の解明を進めることとした。
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歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
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