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4.わたしは言えない
4-①
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おおきなガラスのはまった窓際の席は、外に降る雨でぼんやりと冷えていた。硬直する指先をあたためるために、手をぎゅっと握りなおす。
雪深堂と家、そして真登といくショッピングモールだけを生活の拠点にして、わたしはあいかわらず毎日を過ごしていた。特別なことはなにもなく、よそものみたいな気持ちを抱きながら、この町で生きている。これまでと変わりのない日々のなかで、唯一変わったのが里恵ちゃんの存在だった。
会えなくても、わたしはいつも里恵ちゃんをそばに感じていた。それはたとえば、キティちゃんの目覚まし時計や、幼いころ里恵ちゃんとあそんだ場所までの道を歩くときや、スマートフォンに登録された電話番号なんかの、まるで本人の欠片みたいなものだったけど、それでもわたしは満たされていた。
それを変えたのは、ほかでもない里恵ちゃんだった。
「なんか最近スマホ気にしてんね」
あれは、いつだっただろうか。普段のように雪深堂でのバイトを終えてフードコートで向きあってラーメンを食べているとき、真登が口を尖らせて言った。
「え」
そのとき見ていたのは、あの日、結婚することを告げられた日、里恵ちゃんからかかってきた電話の着信履歴だった。そんなもの、見たくなんてなかったのに、わたしはなぜか、スマートフォンを手に取るたびその記録を確認せずにいられなかった。でもそこに感情はなくて、ただただ、心のなかでくりかえしていただけだった。「里恵ちゃんが結婚した」と。
「おれといるときにそういう顔されると、なんか」
悔しい。そう言って真登は、めずらしく眉を歪ませた。なんで真登がそんな表情を浮かべるのか、ピンとこない。
「自分がどういう顔してるのか、わかんないの」
「……うん」
スマートフォンを眺めていても、真登との会話はつづけているし、笑ってだっている。なにがそんなにいけないのか、想像もつかなかった。
「……泣きそうな顔してるよ、ずっと」
真登は、自分のほうが泣きそうな顔をした。
「スマホ見てて、たのしそうならそれはそれでいいけど、泣きそうなのは、やだ」
そんな顔、したことなかったじゃん。つぶやいて、真登がテーブルに突っ伏す。食べ終わったラーメンのスープの水面が、振動でふるふる揺れた。
真登がこんな顔をするところを、見たのははじめてだった。そして、真登がわたしに対して、わたしの後ろ向きの感情を指摘したのもはじめてだった。高校を辞めて、家族とうまくいかなくて、きちんと前を向けなかったときだって、真登は笑顔でわたしを引っ張りあげてくれた。
「……ごめん」
わたしは、もうわたしのことがわからなくなっていた。真登をとおして見えた自分が、どれだけ暗い雰囲気をまとっていたかを知る。やさしさのかたまりみたいな真登が、弱音を吐いてしまうくらいに。
うつむいたまま、腕の隙間から真登がこちらを見る。その瞳が、ちいさく笑っていた。
「……いいよ」
スマホに嫉妬しただけだからなー、と、身体を起こして背伸びをする。
「さ、デザートなに食べる?」
フードコードを囲むテナントの看板を見まわして、明るい声を真登が出した。真登が会話を終わらせようとしているのに、どうしてわたしにそれをつづけることができただろう。握りしめていたスマートフォンをかばんにしまって、真登の視線を追いかける。それだけでこのひとは、心底うれしそうな顔をして笑った。
真登は、わたしに甘い。対等でいられなくなるほど、わたしのことを考えて、尽くしてくれる。それに報いるだけのなにかを、わたしはほんとうに持っているのだろうか。
里恵ちゃんの結婚相手は、いったいどんなひとだろう。里恵ちゃんのことを思い、大切にしてくれるひとなんだろうか。そして里恵ちゃんは、そのひとにぴったりの形をしているのだろうか。見たことも聞いたこともないその「相手」を、思い浮かべるのは難しかった。
あの日を思いだすようでこわくて、でも目に焼きつけてしまう里恵ちゃんからの着信記録のように。失ってしまうようで不安で、でも触れていなければよけいに遠ざかっていくから何度も見直した里恵ちゃんの電話番号のように。考えてしまったら心が痛むだけなのに、里恵ちゃんの結婚相手について想像することを、わたしはどうしてもやめられなかった。
そんなふうにつよく思いつづけてしまったせいだと思う。それから数日後、里恵ちゃんからメッセージが届いた。
『わたしが結婚するひとに会ってほしいんだけど、会ってくれる?』
まるで、最後通告のようだった。里恵ちゃんの結婚に向きあえないわたしに、現実を突きつけるための。どんなひとなのか、頭に思い描いてさえいたのに、会ってほしいと言われると、会いたくなかった。
「いいじゃん、おれもいく」
耐えきれなかったわたしは、真登に里恵ちゃんからのメッセージを見せた。文面を読んだら、真登はきっとそう言うだろうと、わたしだってわかっていた。それでも話したのは、背中を押してほしかったからかもしれない。「里恵ちゃんが結婚する」。心のなかに、その事実の置き場所を、きちんと見つけたかったのかもしれない。
会いたい。里恵ちゃんには、そう返事をした。
雪深堂と家、そして真登といくショッピングモールだけを生活の拠点にして、わたしはあいかわらず毎日を過ごしていた。特別なことはなにもなく、よそものみたいな気持ちを抱きながら、この町で生きている。これまでと変わりのない日々のなかで、唯一変わったのが里恵ちゃんの存在だった。
会えなくても、わたしはいつも里恵ちゃんをそばに感じていた。それはたとえば、キティちゃんの目覚まし時計や、幼いころ里恵ちゃんとあそんだ場所までの道を歩くときや、スマートフォンに登録された電話番号なんかの、まるで本人の欠片みたいなものだったけど、それでもわたしは満たされていた。
それを変えたのは、ほかでもない里恵ちゃんだった。
「なんか最近スマホ気にしてんね」
あれは、いつだっただろうか。普段のように雪深堂でのバイトを終えてフードコートで向きあってラーメンを食べているとき、真登が口を尖らせて言った。
「え」
そのとき見ていたのは、あの日、結婚することを告げられた日、里恵ちゃんからかかってきた電話の着信履歴だった。そんなもの、見たくなんてなかったのに、わたしはなぜか、スマートフォンを手に取るたびその記録を確認せずにいられなかった。でもそこに感情はなくて、ただただ、心のなかでくりかえしていただけだった。「里恵ちゃんが結婚した」と。
「おれといるときにそういう顔されると、なんか」
悔しい。そう言って真登は、めずらしく眉を歪ませた。なんで真登がそんな表情を浮かべるのか、ピンとこない。
「自分がどういう顔してるのか、わかんないの」
「……うん」
スマートフォンを眺めていても、真登との会話はつづけているし、笑ってだっている。なにがそんなにいけないのか、想像もつかなかった。
「……泣きそうな顔してるよ、ずっと」
真登は、自分のほうが泣きそうな顔をした。
「スマホ見てて、たのしそうならそれはそれでいいけど、泣きそうなのは、やだ」
そんな顔、したことなかったじゃん。つぶやいて、真登がテーブルに突っ伏す。食べ終わったラーメンのスープの水面が、振動でふるふる揺れた。
真登がこんな顔をするところを、見たのははじめてだった。そして、真登がわたしに対して、わたしの後ろ向きの感情を指摘したのもはじめてだった。高校を辞めて、家族とうまくいかなくて、きちんと前を向けなかったときだって、真登は笑顔でわたしを引っ張りあげてくれた。
「……ごめん」
わたしは、もうわたしのことがわからなくなっていた。真登をとおして見えた自分が、どれだけ暗い雰囲気をまとっていたかを知る。やさしさのかたまりみたいな真登が、弱音を吐いてしまうくらいに。
うつむいたまま、腕の隙間から真登がこちらを見る。その瞳が、ちいさく笑っていた。
「……いいよ」
スマホに嫉妬しただけだからなー、と、身体を起こして背伸びをする。
「さ、デザートなに食べる?」
フードコードを囲むテナントの看板を見まわして、明るい声を真登が出した。真登が会話を終わらせようとしているのに、どうしてわたしにそれをつづけることができただろう。握りしめていたスマートフォンをかばんにしまって、真登の視線を追いかける。それだけでこのひとは、心底うれしそうな顔をして笑った。
真登は、わたしに甘い。対等でいられなくなるほど、わたしのことを考えて、尽くしてくれる。それに報いるだけのなにかを、わたしはほんとうに持っているのだろうか。
里恵ちゃんの結婚相手は、いったいどんなひとだろう。里恵ちゃんのことを思い、大切にしてくれるひとなんだろうか。そして里恵ちゃんは、そのひとにぴったりの形をしているのだろうか。見たことも聞いたこともないその「相手」を、思い浮かべるのは難しかった。
あの日を思いだすようでこわくて、でも目に焼きつけてしまう里恵ちゃんからの着信記録のように。失ってしまうようで不安で、でも触れていなければよけいに遠ざかっていくから何度も見直した里恵ちゃんの電話番号のように。考えてしまったら心が痛むだけなのに、里恵ちゃんの結婚相手について想像することを、わたしはどうしてもやめられなかった。
そんなふうにつよく思いつづけてしまったせいだと思う。それから数日後、里恵ちゃんからメッセージが届いた。
『わたしが結婚するひとに会ってほしいんだけど、会ってくれる?』
まるで、最後通告のようだった。里恵ちゃんの結婚に向きあえないわたしに、現実を突きつけるための。どんなひとなのか、頭に思い描いてさえいたのに、会ってほしいと言われると、会いたくなかった。
「いいじゃん、おれもいく」
耐えきれなかったわたしは、真登に里恵ちゃんからのメッセージを見せた。文面を読んだら、真登はきっとそう言うだろうと、わたしだってわかっていた。それでも話したのは、背中を押してほしかったからかもしれない。「里恵ちゃんが結婚する」。心のなかに、その事実の置き場所を、きちんと見つけたかったのかもしれない。
会いたい。里恵ちゃんには、そう返事をした。
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