94 / 417
第3章:成長『食品展示会編』
94 もふもふ深呼吸
しおりを挟む 酔っ払いの兎人族のおじいちゃんは無人販売所イースターパーティーの店内で眠ってしまった。
そしてマサキが恐れていた通りのことが起きた。それは他のお客さんが来店して商品を選ばずにすぐに退店してしまうことだ。
酒のニオイにやられたのか、眠っている酔っ払いが居るからなのか。どちらにせよこれでは商売にはならない。
マサキたちは酔っ払いを起こし帰らせる策を練っていた。
「なんとかして起こして帰らせたいけど、スーーーハーーースーーーハーー」
「このままですとお店がお酒臭くなりますよ、スーーハーースーーハーー」
「クーはもう近付きたくないぞ、スーーハーースーーハーー」
マサキとてネージュそしてクレールは会話をするたびにチョコレートカラーのイングリッシュロップイヤーのルナを受け渡し合っていた。そしてもふもふの体に顔を当てて思いっきりウサギ臭を吸い込んでいる。
一種の依存症である。これをウサギ臭依存とでも呼ぼう。このウサギ臭を嗅いでしまったら最後、なかなか依存からは脱却することはできない。
「ンッンッ」
されるがままのルナだが小さな声を漏らして嫌がる様子を見せなかった。むしろ無表情からでも喜びの感情が生まれていることが感じられるほどだ。
だからこそマサキたちは余計にやめられなくなっている。
「よしっ。俺に名案がある。スーーハーースーーハーー」
「名案ですか?」
「そう。名案。ダールが帰ってくるまでルナちゃんのニオイを嗅いで待つ。どう? 名案だろ?」
「さすがマサキさんですね! そうしましょう! でも、それまで他のお客さんがお店に入れなくなりますよ……」
「それはもう目を瞑るしかない。だって俺たちじゃ酔っ払いを帰らせるどころか起こすこともできないよ。だったらダールに任せるしかない。そのためのダールだ」
「仕方ありませんね。そうと決まればルナちゃんを渡してください。順番ですよ」
マサキは会話に夢中になりネージュに会話のキャッチボールもといルナのキャッチボールを忘れていたのだ。
「あっ、悪い悪い。忘れてた。そんじゃ渡す前に、スーーハーースーーハーー。はい!」
「スーーハーースーーハーー」
ネージュはルナを待ちきれずに渡された瞬間に思いっきりニオイを嗅いだ。その姿はもはや違法薬物でも吸っているかのようだ。
その横ではクレールが紅色の瞳をキラキラと輝かせ今か今かとルナを待っている。
「はい。次はクレールの番です。どうぞ」
「わーやったー! スーーハーースーーハーースーーハーー」
クレールもルナを渡させた瞬間にウサギ臭を嗅いだ。先ほどよりも一回吸引が多い。そのことにマサキは真っ先に気付く。
「クレール、一回吸うの多いぞ」
「だ、だって……」
「しょうがない。今回だけだぞ」
「うん! じゃあ次はおにーちゃんの番だぞー!」
「スーーハーースーーハーースーーハーー」
クレールを注意したばかりのマサキも一回吸引が多い。
「おにーちゃんも多いぞー!」
「し、しまった。耐えきれずに吸ってしまった……これが依存症ってやつか……なんて恐ろしいんだ……」
三人は依存症の恐ろしさを身をもって体験したのであった。
こうしてルナのウサギ臭を嗅ぎながらダールたちの帰りを待ち続けた。
しかしダールたちは待てど待てど帰ってこない。そして時間はあっという間に過ぎて閉店時間となった。
「おいおいおいおい、もう閉店時間だぞ。なんでダールたち帰ってこないんだよ」
「何かあったのかもしれませんよ……デールとドールも一緒ですから心配ですよ」
「一番考えられるのは、暗くなってきたから兎園に泊まったとかかな。デールとドールくらいの幼い子供がいればマグーレンさんが『ワシの家に泊まっていけ』とか言いそうだし……」
「確かにそうですね。そ、それじゃあ今日はダールたちが帰ってこないってことじゃないですか!」
「そうなるな……」
「ど、どうするんですか! お店の閉店時間なのに閉店作業ができないですよ!」
酔っ払いはまだ眠ったままだ。なので外へ出れない三人は閉店作業ができない。
そして閉店することができなければその分の電気代がかかってしまう。ただでさえ売り上げが減りピンチの状態だ。無駄な出費は避けたいところ。
「もう……俺たちがやるしかないな……」
マサキは覚悟を決めた。
これ以上無駄な出費が重なれば自分たちの食費がなくなってしまう。そんな残酷な運命に抗うためにマサキはネージュに右手を差し出したのだ。
言葉の通り『俺たち』でなんとかするつもりなのである。
「わかりましたよ。やるしかありませんね……」
「俺一人だったら絶対に無理だったけど、ネージュとならできる気がする」
「もう。調子いいんですから。でもわかりますよ。私もマサキさんと一緒ならできる気がします! 今までだってそうでしたから!」
ネージュはマサキが差し出した右手を取った。そして雪のように白くて細長い指をマサキの指に絡め恋人繋ぎをする。
その恋人繋ぎをした手からは相手の温もりを感じ勇気が漲ってくるのだ。一人では到底感じることができないであろう勇気だ。
「クレールはここでルナちゃんを持って待っててくれ。俺たちの蘇生に必要だ」
「わかったぞー! スタンバイしておくぞー」
「ンッンッ」
クレールとルナも準備万端だ。あとはマサキとネージュが戦場へと駆けるだけ。
「ネージュいいか。酔っ払いってのは話が通じない相手が多い。だからこそ俺たちの対応力が試される。でも酔っ払いの対応に正解なんて一つもない。だから出たとこ勝負になるぞ。そんで一瞬の判断が命取りになる……」
「わ、わかりました……」
「それと優しすぎるのはダメだ。酔っ払いはその優しさに甘えてくる。寝てる酔っ払いなら尚更だ。絶対に起きなくなる。だから時に厳しく時に優しくのギアを上手く変えながら注意しなきゃダメだ。でも厳しくすぎると今度は逆ギレされる可能性もある。そうなったら最後。会話が通じない一方的な会話が始まる。こればかりはどうしようもないが面倒なことにならないように気を引き締めるぞ!」
居酒屋で働いていた時代に学んだ接客スキルが今でもマサキの心のどこかの引き出しに眠っていたのだろう。
その接客スキルが酔っ払いのおじいちゃんを前にして目覚めたのである。
そんな頼れる存在のマサキをネージュは青く澄んだ瞳で見つめていた。
「な、なんだかマサキさんが頼れる人に見えます。かっこいいです」
「そ、そうか? ちょっと照れる。けどもう一回言ってほしい」
「も、もう言いませんよ。は、恥ずかしいです」
顔を赤らめたネージュ。本当に恥ずかしがっているのだと繋ぐ手のひらの温もりからマサキは感じていた。
そのまま二人は息を合わせて一歩踏み出す。打ち合わせや合図を無しに二人三脚でもするかのような息の合った一歩だ。
無人販売所イースターパーティーの店内へと繋がる通路を通る。勇気を振り絞って出して踏み出した二人は誰にも止められない。
普段の二人からは想像できないほど堂々と歩いている。
そしてカーテンの前へと立った。このカーテンの先こそが店内。つまり酒に潰れて眠ってしまった酔っ払いがいる店内だ。
(こっちの世界に来て酔っ払いの対応か……無人販売所なら無縁の存在になると思ったんだが…………でも今の俺はあの頃の俺とは違う。隣にはネージュがいる。後ろにはクレールとルナちゃんだっている。どんなことが起きても大丈夫だ。その証拠に心がめちゃめちゃ落ち着いてる。自分でも信じられないが緊張なんて一切してない。いける。いけるぞ)
マサキは確信した。酔っ払いを起こすことができると。そして鋼の精神で挑めば精神的ダメージを受けることはなくなるのだと。
「マサキさん。行きましょう! 成長した私たちの力を試しましょう!」
ネージュも緊張しているというよりもワクワクしているといった様子だ。
人間不信のマサキだけでなく恥ずかしがり屋で人前に出るのを拒んでいたネージュもいつの間にか成長していたのだ。
「そうだな。俺たちの力を存分に試そうぜ! 相棒!」
「はい!」
二人は堂々とカーテンを開けて一歩踏み出した。
その一歩はクレールが踏み出してトラウマを植え付けられそうになってしまった一歩だ。
二人の鼻腔には強烈な酒のニオイを感じた。それと同時にクレールが感じた悪臭はこれかと酒のニオイに対して怒りを覚える。
(く、くさ……これは強烈なニオイだ……クレールが耐えられるはずもない……ルナちゃんがいなければ一生心の傷として残ってたぞ……だから酔っ払いは嫌いなんだよ。絶対に起こしてやる!)
二人は二歩目を踏みしめた。怒りを感じた二歩目は力強いものだ。
そして三歩目も同じように踏みしめた。気持ちよく眠っている酔っ払いまでのあと僅か。
「お、お客さん! お、起きてください!」
マサキは先に声をかけた。その声は突然出た声だったので喉が閉まりきっていて思うように声が出せていないといった状態だ。
しかし声をかけることができたということはそれだけ成長したということ。
この調子で四歩目を踏み出してほしいところだが、二人は四歩目が出なかった。
マサキは声を出したことによって心の奥に潜んでいた緊張感が姿を現しマサキを蝕み始めたのである。その緊張感は勇気や覚悟を一瞬で呑み込む。
本来なら四歩目を踏み込むことで、姿を現し心を蝕んだ緊張感を抑制することが可能なのだが、その一歩をさせまいと強烈な酒のニオイが邪悪なオーラのように空気中を漂っているのである。
「うっ……」
マサキはここで激しい嘔吐感を味わう。
「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
横にいるネージュも顔色を悪くして震え始めてしまった。今にも吐き出してしまいそうなほど顔は青い。否、緑に近い。
「……ゔぉ」
吐瀉物が食道を通る感覚を味わう。もう直ぐそこまで来ている。しかしここで吐くわけにはいかない。
けれど心と体が限界だ。これ以上は心身ともに負担がかかってしまう。
二人は踏み出せなかった四歩目を後ろへと足を動かした。一歩二歩と戻っていく。
三歩進んで二歩下がにある。
そのまま方向転換。全力で部屋へと飛び込んだ。
「む、無理でしたー!!!!」
「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
部屋に飛び込んだ二人はクレールの前までキレイに滑り込んだ。ボウリングの玉のようにキレイにそして滑らかに。
「おにーちゃん! おねーちゃん! ルナちゃんを吸って!」
クレールは滑り込んできたマサキとネージュの間にルナを置いた。どちらかを優先するのではなく同時にルナを吸ってもらおうとしているのである。
マサキとネージュは倒れながらもルナのもふもふに顔を埋めてウサギ臭を思いっきり吸い込んだ。
「スーーーーーーーーーー」
どこまでもどこまでも吸い込む。一向に息を吐く気配がない。
「スーーーーーーーーーー」
肺がパンパンになるまでウサギ臭を吸い込んだ。そして肺が限界を迎えて息を吐き出す。深い深い深呼吸だ。
「ハーーーーーーーーー」
二人は生き返った。
ルナのウサギ臭を体内に取り込むことによって先ほど受けた精神的ダメージを回復することができたのである。
これは魔法やスキルの類ではない。そしてルナが幻獣だからという特殊なことでもない。ただウサギという生き物が素晴らしい存在だというだけなのである。
ウサギは世界を救うということだ。
ルナを吸うことに夢中になっているマサキとネージュは精神状態を回復し、ふと瞳を開けた。それも同時にだ。
日本人らしい黒瞳と青く澄んだ瞳が交差し合う。
交差し合った瞳からマサキとネージュの顔が近いことがわかる。その距離ウサギ一匹分。
二人は急激に顔を赤らめた。なぜならルナを挟みながらキスをしているように思えたからだ。
人間不信のマサキは恋人を作ったことがない。もちろん恋人がいないのだからキスをしたことがないのだ。
人間不信になる前の学生時代もそうだ。もしかしたらその時から人間不信の節があったかもしれない。そのせいで恋人は一度もできたことがないのである。
恥ずかしがり屋のネージュも同じ。恥ずかしがり屋な性格から学者などにも行けず友達はおろか家族以外の知り合いがいなかった。
そんなネージュも恋人などできたことがない。ましてやキスなどもしたことがない。
そんな二人がルナを挟みキスしているかのような状態になって緊張してしまっているのである。
実際にはキスはしていないし、今までだって距離が近かったが、瞳が交差したタイミングや安心感などからそのように思ってしまったのである。
二人は恥ずかしさのあまりルナを吸うのをやめた。同時に繋いでいた手を離して立ち上がり距離をとった。
「ど、どうしたの?」
クレールが小首を傾げている。当然の反応だろう。
今までお互いをそこまで意識していなかった二人が急に意識をし始めたのだから。
そんなマサキは誤魔化すかのように口を開いた。
「あ、えーっと……今日は店の閉店ができないな……」
続けてネージュが口を開く。
「仕方ありませんよね。起きてくれるまで待ちましょう」
「そうだよな。でも見た感じなかなか起きないぞアレは……ダールが帰ってくる方が先かもしれないからダールに酔っ払いのことは任せよう」
「そうですね」
普通に会話をする二人。
先ほどのキスのような現象は気のせいだと、錯覚だと、勘違いだと、頭の中で言い聞かせて自分を誤魔化し、いつも通りの接し方をしているのである。
「酔っ払いには勝てなかった。俺たち完全敗北だ。このまま休もう」
マサキたちは負けを認め酔っ払いがいなくなるその時まで部屋で待機することになった。
そしてマサキが恐れていた通りのことが起きた。それは他のお客さんが来店して商品を選ばずにすぐに退店してしまうことだ。
酒のニオイにやられたのか、眠っている酔っ払いが居るからなのか。どちらにせよこれでは商売にはならない。
マサキたちは酔っ払いを起こし帰らせる策を練っていた。
「なんとかして起こして帰らせたいけど、スーーーハーーースーーーハーー」
「このままですとお店がお酒臭くなりますよ、スーーハーースーーハーー」
「クーはもう近付きたくないぞ、スーーハーースーーハーー」
マサキとてネージュそしてクレールは会話をするたびにチョコレートカラーのイングリッシュロップイヤーのルナを受け渡し合っていた。そしてもふもふの体に顔を当てて思いっきりウサギ臭を吸い込んでいる。
一種の依存症である。これをウサギ臭依存とでも呼ぼう。このウサギ臭を嗅いでしまったら最後、なかなか依存からは脱却することはできない。
「ンッンッ」
されるがままのルナだが小さな声を漏らして嫌がる様子を見せなかった。むしろ無表情からでも喜びの感情が生まれていることが感じられるほどだ。
だからこそマサキたちは余計にやめられなくなっている。
「よしっ。俺に名案がある。スーーハーースーーハーー」
「名案ですか?」
「そう。名案。ダールが帰ってくるまでルナちゃんのニオイを嗅いで待つ。どう? 名案だろ?」
「さすがマサキさんですね! そうしましょう! でも、それまで他のお客さんがお店に入れなくなりますよ……」
「それはもう目を瞑るしかない。だって俺たちじゃ酔っ払いを帰らせるどころか起こすこともできないよ。だったらダールに任せるしかない。そのためのダールだ」
「仕方ありませんね。そうと決まればルナちゃんを渡してください。順番ですよ」
マサキは会話に夢中になりネージュに会話のキャッチボールもといルナのキャッチボールを忘れていたのだ。
「あっ、悪い悪い。忘れてた。そんじゃ渡す前に、スーーハーースーーハーー。はい!」
「スーーハーースーーハーー」
ネージュはルナを待ちきれずに渡された瞬間に思いっきりニオイを嗅いだ。その姿はもはや違法薬物でも吸っているかのようだ。
その横ではクレールが紅色の瞳をキラキラと輝かせ今か今かとルナを待っている。
「はい。次はクレールの番です。どうぞ」
「わーやったー! スーーハーースーーハーースーーハーー」
クレールもルナを渡させた瞬間にウサギ臭を嗅いだ。先ほどよりも一回吸引が多い。そのことにマサキは真っ先に気付く。
「クレール、一回吸うの多いぞ」
「だ、だって……」
「しょうがない。今回だけだぞ」
「うん! じゃあ次はおにーちゃんの番だぞー!」
「スーーハーースーーハーースーーハーー」
クレールを注意したばかりのマサキも一回吸引が多い。
「おにーちゃんも多いぞー!」
「し、しまった。耐えきれずに吸ってしまった……これが依存症ってやつか……なんて恐ろしいんだ……」
三人は依存症の恐ろしさを身をもって体験したのであった。
こうしてルナのウサギ臭を嗅ぎながらダールたちの帰りを待ち続けた。
しかしダールたちは待てど待てど帰ってこない。そして時間はあっという間に過ぎて閉店時間となった。
「おいおいおいおい、もう閉店時間だぞ。なんでダールたち帰ってこないんだよ」
「何かあったのかもしれませんよ……デールとドールも一緒ですから心配ですよ」
「一番考えられるのは、暗くなってきたから兎園に泊まったとかかな。デールとドールくらいの幼い子供がいればマグーレンさんが『ワシの家に泊まっていけ』とか言いそうだし……」
「確かにそうですね。そ、それじゃあ今日はダールたちが帰ってこないってことじゃないですか!」
「そうなるな……」
「ど、どうするんですか! お店の閉店時間なのに閉店作業ができないですよ!」
酔っ払いはまだ眠ったままだ。なので外へ出れない三人は閉店作業ができない。
そして閉店することができなければその分の電気代がかかってしまう。ただでさえ売り上げが減りピンチの状態だ。無駄な出費は避けたいところ。
「もう……俺たちがやるしかないな……」
マサキは覚悟を決めた。
これ以上無駄な出費が重なれば自分たちの食費がなくなってしまう。そんな残酷な運命に抗うためにマサキはネージュに右手を差し出したのだ。
言葉の通り『俺たち』でなんとかするつもりなのである。
「わかりましたよ。やるしかありませんね……」
「俺一人だったら絶対に無理だったけど、ネージュとならできる気がする」
「もう。調子いいんですから。でもわかりますよ。私もマサキさんと一緒ならできる気がします! 今までだってそうでしたから!」
ネージュはマサキが差し出した右手を取った。そして雪のように白くて細長い指をマサキの指に絡め恋人繋ぎをする。
その恋人繋ぎをした手からは相手の温もりを感じ勇気が漲ってくるのだ。一人では到底感じることができないであろう勇気だ。
「クレールはここでルナちゃんを持って待っててくれ。俺たちの蘇生に必要だ」
「わかったぞー! スタンバイしておくぞー」
「ンッンッ」
クレールとルナも準備万端だ。あとはマサキとネージュが戦場へと駆けるだけ。
「ネージュいいか。酔っ払いってのは話が通じない相手が多い。だからこそ俺たちの対応力が試される。でも酔っ払いの対応に正解なんて一つもない。だから出たとこ勝負になるぞ。そんで一瞬の判断が命取りになる……」
「わ、わかりました……」
「それと優しすぎるのはダメだ。酔っ払いはその優しさに甘えてくる。寝てる酔っ払いなら尚更だ。絶対に起きなくなる。だから時に厳しく時に優しくのギアを上手く変えながら注意しなきゃダメだ。でも厳しくすぎると今度は逆ギレされる可能性もある。そうなったら最後。会話が通じない一方的な会話が始まる。こればかりはどうしようもないが面倒なことにならないように気を引き締めるぞ!」
居酒屋で働いていた時代に学んだ接客スキルが今でもマサキの心のどこかの引き出しに眠っていたのだろう。
その接客スキルが酔っ払いのおじいちゃんを前にして目覚めたのである。
そんな頼れる存在のマサキをネージュは青く澄んだ瞳で見つめていた。
「な、なんだかマサキさんが頼れる人に見えます。かっこいいです」
「そ、そうか? ちょっと照れる。けどもう一回言ってほしい」
「も、もう言いませんよ。は、恥ずかしいです」
顔を赤らめたネージュ。本当に恥ずかしがっているのだと繋ぐ手のひらの温もりからマサキは感じていた。
そのまま二人は息を合わせて一歩踏み出す。打ち合わせや合図を無しに二人三脚でもするかのような息の合った一歩だ。
無人販売所イースターパーティーの店内へと繋がる通路を通る。勇気を振り絞って出して踏み出した二人は誰にも止められない。
普段の二人からは想像できないほど堂々と歩いている。
そしてカーテンの前へと立った。このカーテンの先こそが店内。つまり酒に潰れて眠ってしまった酔っ払いがいる店内だ。
(こっちの世界に来て酔っ払いの対応か……無人販売所なら無縁の存在になると思ったんだが…………でも今の俺はあの頃の俺とは違う。隣にはネージュがいる。後ろにはクレールとルナちゃんだっている。どんなことが起きても大丈夫だ。その証拠に心がめちゃめちゃ落ち着いてる。自分でも信じられないが緊張なんて一切してない。いける。いけるぞ)
マサキは確信した。酔っ払いを起こすことができると。そして鋼の精神で挑めば精神的ダメージを受けることはなくなるのだと。
「マサキさん。行きましょう! 成長した私たちの力を試しましょう!」
ネージュも緊張しているというよりもワクワクしているといった様子だ。
人間不信のマサキだけでなく恥ずかしがり屋で人前に出るのを拒んでいたネージュもいつの間にか成長していたのだ。
「そうだな。俺たちの力を存分に試そうぜ! 相棒!」
「はい!」
二人は堂々とカーテンを開けて一歩踏み出した。
その一歩はクレールが踏み出してトラウマを植え付けられそうになってしまった一歩だ。
二人の鼻腔には強烈な酒のニオイを感じた。それと同時にクレールが感じた悪臭はこれかと酒のニオイに対して怒りを覚える。
(く、くさ……これは強烈なニオイだ……クレールが耐えられるはずもない……ルナちゃんがいなければ一生心の傷として残ってたぞ……だから酔っ払いは嫌いなんだよ。絶対に起こしてやる!)
二人は二歩目を踏みしめた。怒りを感じた二歩目は力強いものだ。
そして三歩目も同じように踏みしめた。気持ちよく眠っている酔っ払いまでのあと僅か。
「お、お客さん! お、起きてください!」
マサキは先に声をかけた。その声は突然出た声だったので喉が閉まりきっていて思うように声が出せていないといった状態だ。
しかし声をかけることができたということはそれだけ成長したということ。
この調子で四歩目を踏み出してほしいところだが、二人は四歩目が出なかった。
マサキは声を出したことによって心の奥に潜んでいた緊張感が姿を現しマサキを蝕み始めたのである。その緊張感は勇気や覚悟を一瞬で呑み込む。
本来なら四歩目を踏み込むことで、姿を現し心を蝕んだ緊張感を抑制することが可能なのだが、その一歩をさせまいと強烈な酒のニオイが邪悪なオーラのように空気中を漂っているのである。
「うっ……」
マサキはここで激しい嘔吐感を味わう。
「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
横にいるネージュも顔色を悪くして震え始めてしまった。今にも吐き出してしまいそうなほど顔は青い。否、緑に近い。
「……ゔぉ」
吐瀉物が食道を通る感覚を味わう。もう直ぐそこまで来ている。しかしここで吐くわけにはいかない。
けれど心と体が限界だ。これ以上は心身ともに負担がかかってしまう。
二人は踏み出せなかった四歩目を後ろへと足を動かした。一歩二歩と戻っていく。
三歩進んで二歩下がにある。
そのまま方向転換。全力で部屋へと飛び込んだ。
「む、無理でしたー!!!!」
「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
部屋に飛び込んだ二人はクレールの前までキレイに滑り込んだ。ボウリングの玉のようにキレイにそして滑らかに。
「おにーちゃん! おねーちゃん! ルナちゃんを吸って!」
クレールは滑り込んできたマサキとネージュの間にルナを置いた。どちらかを優先するのではなく同時にルナを吸ってもらおうとしているのである。
マサキとネージュは倒れながらもルナのもふもふに顔を埋めてウサギ臭を思いっきり吸い込んだ。
「スーーーーーーーーーー」
どこまでもどこまでも吸い込む。一向に息を吐く気配がない。
「スーーーーーーーーーー」
肺がパンパンになるまでウサギ臭を吸い込んだ。そして肺が限界を迎えて息を吐き出す。深い深い深呼吸だ。
「ハーーーーーーーーー」
二人は生き返った。
ルナのウサギ臭を体内に取り込むことによって先ほど受けた精神的ダメージを回復することができたのである。
これは魔法やスキルの類ではない。そしてルナが幻獣だからという特殊なことでもない。ただウサギという生き物が素晴らしい存在だというだけなのである。
ウサギは世界を救うということだ。
ルナを吸うことに夢中になっているマサキとネージュは精神状態を回復し、ふと瞳を開けた。それも同時にだ。
日本人らしい黒瞳と青く澄んだ瞳が交差し合う。
交差し合った瞳からマサキとネージュの顔が近いことがわかる。その距離ウサギ一匹分。
二人は急激に顔を赤らめた。なぜならルナを挟みながらキスをしているように思えたからだ。
人間不信のマサキは恋人を作ったことがない。もちろん恋人がいないのだからキスをしたことがないのだ。
人間不信になる前の学生時代もそうだ。もしかしたらその時から人間不信の節があったかもしれない。そのせいで恋人は一度もできたことがないのである。
恥ずかしがり屋のネージュも同じ。恥ずかしがり屋な性格から学者などにも行けず友達はおろか家族以外の知り合いがいなかった。
そんなネージュも恋人などできたことがない。ましてやキスなどもしたことがない。
そんな二人がルナを挟みキスしているかのような状態になって緊張してしまっているのである。
実際にはキスはしていないし、今までだって距離が近かったが、瞳が交差したタイミングや安心感などからそのように思ってしまったのである。
二人は恥ずかしさのあまりルナを吸うのをやめた。同時に繋いでいた手を離して立ち上がり距離をとった。
「ど、どうしたの?」
クレールが小首を傾げている。当然の反応だろう。
今までお互いをそこまで意識していなかった二人が急に意識をし始めたのだから。
そんなマサキは誤魔化すかのように口を開いた。
「あ、えーっと……今日は店の閉店ができないな……」
続けてネージュが口を開く。
「仕方ありませんよね。起きてくれるまで待ちましょう」
「そうだよな。でも見た感じなかなか起きないぞアレは……ダールが帰ってくる方が先かもしれないからダールに酔っ払いのことは任せよう」
「そうですね」
普通に会話をする二人。
先ほどのキスのような現象は気のせいだと、錯覚だと、勘違いだと、頭の中で言い聞かせて自分を誤魔化し、いつも通りの接し方をしているのである。
「酔っ払いには勝てなかった。俺たち完全敗北だ。このまま休もう」
マサキたちは負けを認め酔っ払いがいなくなるその時まで部屋で待機することになった。
0
お気に入りに追加
453
あなたにおすすめの小説
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
神々の間では異世界転移がブームらしいです。
はぐれメタボ
ファンタジー
第1部《漆黒の少女》
楠木 優香は神様によって異世界に送られる事になった。
理由は『最近流行ってるから』
数々のチートを手にした優香は、ユウと名を変えて、薬師兼冒険者として異世界で生きる事を決める。
優しくて単純な少女の異世界冒険譚。
第2部 《精霊の紋章》
ユウの冒険の裏で、田舎の少年エリオは多くの仲間と共に、世界の命運を掛けた戦いに身を投じて行く事になる。
それは、英雄に憧れた少年の英雄譚。
第3部 《交錯する戦場》
各国が手を結び結成された人類連合と邪神を奉じる魔王に率いられた魔族軍による戦争が始まった。
人間と魔族、様々な意思と策謀が交錯する群像劇。
第4部 《新たなる神話》
戦争が終結し、邪神の討伐を残すのみとなった。
連合からの依頼を受けたユウは、援軍を率いて勇者の後を追い邪神の神殿を目指す。
それは、この世界で最も新しい神話。

元天才貴族、今やリモートで最強冒険者!
しらかめこう
ファンタジー
魔法技術が発展した異世界。
そんな世界にあるシャルトルーズ王国という国に冒険者ギルドがあった。
強者ぞろいの冒険者が数多く所属するそのギルドで現在唯一、最高ランクであるSSランクに到達している冒険者がいた。
───彼の名は「オルタナ」
漆黒のコートに仮面をつけた謎多き冒険者である。彼の素顔を見た者は誰もおらず、どういった人物なのかも知る者は少ない。
だがしかし彼は誰もが認める圧倒的な力を有しており、冒険者になって僅か4年で勇者や英雄レベルのSSランクに到達していた。
そんな彼だが、実は・・・
『前世の知識を持っている元貴族だった?!」
とある事情で貴族の地位を失い、母親とともに命を狙われることとなった彼。そんな彼は生活費と魔法の研究開発資金を稼ぐため冒険者をしようとするが、自分の正体が周囲に知られてはいけないので自身で開発した特殊な遠隔操作が出来るゴーレムを使って自宅からリモートで冒険者をすることに!
そんな最強リモート冒険者が行く、異世界でのリモート冒険物語!!
毎日20時30分更新予定です!!
最強の職業は解体屋です! ゴミだと思っていたエクストラスキル『解体』が実は超有能でした
服田 晃和
ファンタジー
旧題:最強の職業は『解体屋』です!〜ゴミスキルだと思ってたエクストラスキル『解体』が実は最強のスキルでした〜
大学を卒業後建築会社に就職した普通の男。しかし待っていたのは設計や現場監督なんてカッコいい職業ではなく「解体作業」だった。来る日も来る日も使わなくなった廃ビルや、人が居なくなった廃屋を解体する日々。そんなある日いつものように廃屋を解体していた男は、大量のゴミに押しつぶされてしまい突然の死を迎える。
目が覚めるとそこには自称神様の金髪美少女が立っていた。その神様からは自分の世界に戻り輪廻転生を繰り返すか、できれば剣と魔法の世界に転生して欲しいとお願いされた俺。だったら、せめてサービスしてくれないとな。それと『魔法』は絶対に使えるようにしてくれよ!なんたってファンタジーの世界なんだから!
そうして俺が転生した世界は『職業』が全ての世界。それなのに俺の職業はよく分からない『解体屋』だって?貴族の子に生まれたのに、『魔導士』じゃなきゃ追放らしい。優秀な兄は勿論『魔導士』だってさ。
まぁでもそんな俺にだって、魔法が使えるんだ!えっ?神様の不手際で魔法が使えない?嘘だろ?家族に見放され悲しい人生が待っていると思った矢先。まさかの魔法も剣も極められる最強のチート職業でした!!
魔法を使えると思って転生したのに魔法を使う為にはモンスター討伐が必須!まずはスライムから行ってみよう!そんな男の楽しい冒険ファンタジー!
アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~
明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!!
『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。
無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。
破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。
「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」
【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

『希望の実』拾い食いから始まる逆転ダンジョン生活!
IXA
ファンタジー
30年ほど前、地球に突如として現れたダンジョン。
無限に湧く資源、そしてレベルアップの圧倒的な恩恵に目をつけた人類は、日々ダンジョンの研究へ傾倒していた。
一方特にそれは関係なく、生きる金に困った私、結城フォリアはバイトをするため、最低限の体力を手に入れようとダンジョンへ乗り込んだ。
甘い考えで潜ったダンジョン、しかし笑顔で寄ってきた者達による裏切り、体のいい使い捨てが私を待っていた。
しかし深い絶望の果てに、私は最強のユニークスキルである《スキル累乗》を獲得する--
これは金も境遇も、何もかもが最底辺だった少女が泥臭く苦しみながらダンジョンを探索し、知恵とスキルを駆使し、地べたを這いずり回って頂点へと登り、世界の真実を紐解く話
複数箇所での保存のため、カクヨム様とハーメルン様でも投稿しています

大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います
町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる