近未来怪異譚

洞仁カナル

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社会的不公正

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 嵐のようだった翔生君の幽体離脱フィーバーの終わりはにわか雨のように全く前触れがなかった。


 いつも朝一で幽体離脱の話をしてくるのに、今日に限っては話しかけに来なかった。



「翔生君、幽体離脱の具合はどう?」



 変だと思い僕から話しかけると、翔生は苦虫を噛み潰したような顔をした。


 あれほど楽しそうに語っていたのに、その話題を口にするのも嫌と言った具合だ。



「昨日もやった」


「その顔は、うまくいかなかったの?」


「いや、いつも通り身体を抜けて外を駆け回ったよ」


「じゃあ、なんでそんなに嫌そうなの?」



 翔生君は右頬をゆっくりと労るように撫でた。



「殴られたんだよ」


「え!? 誰に!?」


「知らない男に」



 予想外の回答に僕は驚きを隠せなかった。


 幽体離脱中に暴力を受けるという未知の出来事を聞かされて、僕は困惑した。



 幽体離脱という素晴らしい世界に暴力があるという事が信じられなかった。



「幽体離脱中って痛みとか感じるの?」


「感じるよ。夢と違うから。それに、嫌なものを見たんだよ」



 翔生君は頭を抱えて自分に言い聞かせるように呟いた。


 身体が小刻みに震えている。


 落ち着かせたいが、何をしたらいいか分からず、僕はとりあえず翔生君の背中をさすった。


 どうしようかと助けを求めるように周囲を見渡すと、登校したばかりの奨君と目が合った。


 奨君は僕と翔生君を見るなり駆けつけてくれた。



「何かあったの?」



 奨君が翔生君の肩に手を置いて尋ねた。


「翔生君が幽体離脱中に恐ろしいものを見たんだって」


 僕が奨君に説明を終えると、翔生君は震える唇で弱々しく話し始めた。


 二人で翔生君の言葉に耳を傾ける。



「男の人達が、三人くらいいて、一人の女の人を囲んで、殴ってた。


女の人の悲鳴とかが聞こえてきたんだけど、叫ぶ度に殴られてて可哀想だった。


服を脱がされて蹴っ飛ばされてた。


怖くて身動きが取れなくて固まってたら、男の人達の一人が俺に気づいて、近づいてきていきなり殴られた。


他の人達も俺に近づいてきたから、怖くなって慌てて逃げた。


家に着くと同時に目が覚めた」



 言い終えると翔生君はデバイスを手首から外した。



「やるよ」


「いや、そんな高価なもの受け取れないよ」



 僕は翔生君の手を押し戻す。


 しかし翔生君の力の方が強かった。



「持っていたくないんだよ」


 僕は渋々デバイスを受け取った。


 受け取ったはいいものの、翔生君の恐ろしい体験を聞いた後では身につける気にならない。


 奨君と目を見合わせて、後でこれをどうするか相談することにした。



「翔生君、今日は早退したら?」


「とりあえず保健室行って来なよ」



 僕と奨君が説得すると、翔生君は無言で頷いた。



 僕はちょうど登校してきたばかりの大池君達に付き添いを頼み、彼らを見送った。



「ねえ」



 翔生君達の背中を見送っていると、今度は奨君の後ろあたりから声が聞こえてきた。


 声の主はわっくんだった。


 どこか思い詰めたような、苦々しい顔をしている。



「わっくん、どうしたの?」



 僕は尋ねた。


 先日僕達──というか水鈴ちゃんを見ていたわっくんの眼差しを思い出した。


 水鈴ちゃんのことでそんなに思い詰めていたのだろうか。


 そんなに彼女が僕達と一緒にいる事が許せなかったのだろうか。


 ひょっとして、宣戦布告されるのか?


 わっくんが話すのを 躊躇ためらっている間、僕の身体は緊張で固まっていた。


 よくテレビで見る、催眠術をかけられた人の身体が硬直してまったく動かなくなる状態を僕は思い出していた。



「どうしたのー? 皆で黙りこくって」



 一番来てほしくなかった人が来てしまった。


 何も知らない水鈴ちゃんが会話に入ってきた。



「あー、煌君とわっくんはこれから修羅場に入るから水鈴ちゃんはあっちに行ってて」



 奨君が余計な事を言う。


 というかなんで分かるんだよ。



「修羅場?」



 水鈴ちゃんは眉を顰めて首を傾げた。


 そしてわっくんは固く結んでいた唇をゆっくり開いた。


 ついに来る!


 僕達の恋の闘いが今始まるのだ!



「実は、僕のお姉ちゃんがそれ使ってるみたいで、最近おかしいんだ。聞いてくれる?」



 予想外の言葉に僕は目をぱちくりさせてしまった。


 奨君は「あれー? 予想と違ったー」と気の抜けた事を言っていた。


 僕は一人で妄想を爆発させていたのが恥ずかしくなり無言で頷いた。
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