僕たちはその歪みに気付くべきだった。

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痛みを知ったその先で②

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 僕が相談室を出る頃には、すっかり日は沈み切っていた。
 既に大半の生徒は下校しており、辺りは静寂に支配されている。
 夜の学校特有のどこかひんやりとしたこの空気感は、まさに一昔前のホラー映画のお約束と言ったところか。
 そんなシチュエーションも相まってか、正体不明の焦燥感に駆られてしまう。
 シンプルに言ってしまえば、心細い。
 昼間はあれだけ鬱陶しく感じていた生徒たちの声も、今となっては恋しいとすら思えてくる。
 これから、起こり得ることを考えれば尚更だ。

 とは言え、呑気に迷走してばかりもいられない。
 自分が今、何に追いやられているかなど、分かり切っている。
 現状、僕が出来ることは一つしかない。
 兎にも角にも、まずはホタカ先生を見つけることが先決だ。
 何もかもが、手遅れになってしまう前に……。

 しかし、だ。
 どうやら僕はホタカ先生のことを、買い被り過ぎていたらしい。
 確かに、彼女はこれまで僕のことを散々振り回してくれた。
 とは言え、僕はどこかそれを彼女なりの指導……、いや。
 彼女の土俵に立って言うなら、カウンセリングの一貫だと思っていた。
 実際、ホタカ先生自身もそういう体だった。

 だから、というわけでもない。
 先に生まれた者の宿命、だか何だかよく分からないものに囚われていた僕の苦悩を理解してくれる、唯一の大人なのかもしれないと、心のどこかで期待してしまっていたのだろう。
 だが、結果としてそれは間違っていた。
 いや。厳密に言えば、してくれていたのだと思う。
 ただ、そこから先は別だ。
 奇しくも、高島先生にも釘を刺された。
 彼女とは大人としてではなく、一人の人間として向き合え、と。
 
 いずれにせよ、これが僕に欠けていた視点であることに間違いない。
 何かと偉そうに講釈を垂れてきた彼女も、結果的には利己的に動いていたと言わざるを得ない。
 言葉は悪いが、端から僕の存在など、仕事の延長線上で手に入れた副産物だったのだろう。
 そう思えば、良い意味で諦めもつく。
 何より、それに気付いた今の僕なら、彼女と対等に話せる気がする。
 高島先生も言っていた通り、むしろ救済を求めているのは大人の方なのだ。
 そして、それは高島先生自身も。
 
 ……今は一刻を争う。
 悠長なことを考えていると、せっかく固まりかけた方針が揺るぎかねない。
 実際、今こうして彼女を追いかけているだけでも、不安で押しつぶされそうになっている。
 大してスピードを出しているわけでもないのに、息があがり、脈も早い。
 油断していると、今すぐこの場で倒れ込んでしまいそうだ。
 それだけ、頭の中がぐちゃぐちゃとしている。
 『一端の人間になる』というプロセスは、これほどまでに過酷なものなのだろうか。
 世の大人たちが、本当にソレに耐えてきたのであれば、嫌味でも何でもなく尊敬に値する。

 さて、肝心なホタカ先生の居場所だが、やはり僕としては、一つしかないと思えてしまう。
 少し短絡的かもしれないが、高校生の僕如きがいくら考えたところで、他に思い当たるものはない。
 というより単純に、それを上回る、を想像したくないだけなのかもしれない。
 そんなことを思いながら、屋上へ向かうべく、夜の校舎を一人闊歩していた。


「燈輝くん。久しぶり、だね」


 背筋に激しい悪寒が走った。
 身体中に纏わり付くようなその声に、僕は今すぐ逃げ出したい衝動に駆られた。
 そんな僕を他所に、声の主は真っ暗な空き教室から、意味ありげに微笑んでいる。

「麻浦、先輩……」

 この約2ヶ月間。
 僕の日常を奪い、混乱に陥れた張本人。
 そんな相手に対して、僕の口から出てきた言葉はたったそれだけだった。
 動揺の色を隠す気もない僕を前に、麻浦先輩は困ったように笑ってみせる。

「そう……、だよね。そうなるよね。ごめん。いきなり声掛けちゃって」

 麻浦先輩は、何故かしおらしく頭を下げてきた。

「とりあえず、さ。少し、話さない?」

 そう言って、麻浦先輩は自分のいる教室から手招きする。
 強迫観念に駆られるように、僕は彼の居る教室に入っていった。


「えっと……、今日はまた随分と遅いですね」

 教室に入るまでの間、僕は必死に自分自身を鼓舞する。
 そうして、何とか平静を装えるくらいまでには、感情の整理がついた。
 とは言え、こうして白々しく遠回しな切り出し方しか出来ないところが、如何にも自分らしくて悲しくなる。
 麻浦先輩としても、今の僕にだけは言われたくないセリフだろう。
 
「うん、進路面談でね。何か俺だけ、すごい後ろに回されちゃってさ」

 麻浦先輩は、僕のことには踏み込まずに淡々と応えた。

「進路面談、ですか……」

「うん。もう2年生だからね」

 麻浦先輩はそれだけ言うと、黙り込む。
 ……生憎、こちらは悠長に持久戦をしている余裕はない。
 僕は麻浦先輩とのをつけるべく、意を決して口を開く。

「あ、あのっ!」

「小岩くんや能登のこと、恨まないで欲しいんだ」

 僕の言葉を遮り、麻浦先輩は言う。
 ただただ。何を弁明するでもなく。真っ直ぐに僕を見つめて、そう言う。
 その堂々たる様子に、むしろ問い詰める僕の方が怯んでしまった。

「……一つ、聞いてもいいですか」
 
 僕は何とか声を絞り出し聞くと、麻浦先輩は静かに頷く。

「麻浦先輩にとって……、僕は、堕ちるべき存在なんですか?」

 僕の質問に麻浦先輩の瞳は、一瞬大きく開かれる。

「ぷっ。あはははっ! ははっ!」

 すると程なくして、盛大に吹き出す。

「いや、あの……」
「ううん、何でもない! キミが急にヘンなこと、聞いてきたからさ!」
「……僕が変なのは自覚してますよ。第一、アンタが最初に言ったことでしょうが」
「そうだったね。ごめんごめん。うん! そうだな……。今は、かな!」
「そうですか……。満足していただけたようで、何よりです」

 僕はせめてもの抵抗とばかりに、皮肉めいた言葉を投げつける。
 歪、極まりない。
 頭がバンクしそうになる。
 このままでは、またぞろ自分を見失ってしまいそうだ。

「うん。キミのおかげ、かな。だからさ」

 麻浦先輩は一呼吸を置き、静かに語り掛けてくる。

「今度はキミの手で……、俺を堕としてくれないかな?」
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