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第三章

妖狐の小太郎 1

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「なんと人騒がせな! 妖狐の小童など、野良猫のようなものでございます。悪霊とは格が違いますよ」

 危険な悪霊とは比べものにならない無害なあやかしらしい。生意気な男の子に仮装させて、可愛らしくしたようにしか見えないもんな。
 僕は唇を尖らせている妖狐の耳を、ちょいちょいと撫でてみた。柔らかな毛がふわりと指先に触れる。仮装用のカチューシャなどではなく、本物の耳だ。

「はわわ、さわるな、くすぐったいだろ」

 妖狐は耳を押さえて後退ったが、石に足を引っかけて、ころんと後ろ向きに倒れた。
そそっかしい子だ。
 起き上がった妖狐のポケットから、ぽろりと饅頭が零れ落ちる。

「お菓子が落ちたよ」

 微笑みながら拾って差し出すと、はっとした妖狐は僕の手から慌てて饅頭を奪い取った。焦ったようにポケットに隠している。
 その様子を眺めていた清光は、冷めた双眸を妖狐に向けた。

「墓場の供物泥棒か」
「う……うるさい! ずっと置いてあるんだから、おいらが食べたっていいだろ!」
「供物は死者を弔うために捧げてあるのだ。供物を掴むとき、そなたの良心は一片たりとも痛まないのか?」

 俯いた妖狐は唇を噛み締めている。彼の目にじわりと涙が滲んだ。

「だって……おいら、お菓子が食べたかった……。ずっと前に仲間からはぐれて、それからゴミを漁ってばかりだから……お腹が減ってたんだ」

 小さなお腹から、きゅるる……と空腹を訴える音が響く。
 どうやら墓場に現れる悪霊の正体は、お腹を空かせた妖狐の子どもだったらしい。
 小さな手を揉み合わせて、もじもじしている妖狐は悪いあやかしではなさそうだ。
 僕は彼の肩を、ぽんと叩いた。

「もう墓場泥棒はやめにしよう。君は悪霊と間違われて、斬られてしまうところだったんだよ」
「ん……これ、返す……」

 ポケットから取り出した饅頭を、妖狐は素直に差し出す。
 僕はそれを受け取ると、傍の墓石に戻した。

「墓場泥棒をしなくても、お菓子が食べられるよ」
「……どこで?」
「飛島のカフェでだよ」

 嘴を大きく開けた兜丸が息を呑む。
 清光は僕の提案を察して、微笑みを浮かべた。

「妖狐よ。我がカフエーに招待しよう。そこで改良を加えたグンミアイスを御馳走しようではないか」

 彼は身寄りがないようだし、今だけ墓場泥棒をやめさせても、空腹を満たさなければ根本的な解決は望めないだろう。
 ならば、清光のカフェに招待して食事をすれば良いのではないだろうか。この墓場を妖狐が離れれば、悪霊騒ぎも落ち着くだろう。カフェとしても、僕に続く二番目のお客様ということになる。
 呆けた妖狐は金色の瞳を瞬かせていた。

「飛島は聞いたことあるぞ。そこでアイスが食べられるのか……本当か?」
「うむ。平清光に、二言はない」

 ぱあっと、妖狐は笑顔を見せた。
 無垢な笑みは人間の子どもと変わらない。

「おいらは小太郎! よろしくな、清光」
「これ、小童! 清光様を呼び捨てにするとは、妖狐の分際で何たる不敬。『清光様』とお呼びしなさい」

 不満そうな兜丸は、小太郎に注意を促す。
 ところが小太郎は、ちらりと兜丸を見上げると、臆面もなくひとこと告げた。

「ヘンな鳥」
「へっ……ヘンな……清光様の侍従であるわたくしに、ヘンな鳥とは……」

 仰け反った兜丸は失神寸前である。
 ここで兜丸に逆上されては困るので、僕は頬を引き攣らせながら宥めた。

「まあまあ。とにかく八咫烏の依頼は済んだわけだし、早く墓場から出ようよ」
「そうだな。長居は無用だ」

 僕たちは小太郎を連れて来た道を戻り、ようやく墓場から出た。
 道路を照らしている街灯の明かりを目にして、ほっと安堵の息が零れる。

「……依頼人は、この結末に不満があるようだな」
「え?」

 清光の視線の先を追うと、じっとこちらを窺っている八咫烏が街路樹の枝に止まっていた。

「……平清光様ともあろう御方が、なぜ妖狐の小童ごときに情けをかけたのです? あの一閃で斬り捨てられたでありましょうに」

 八咫烏の口調には見下すような響きが滲んでいた。墓場には入ってこなかったのに、なぜ悪霊の正体が妖狐の子どもだと知っているのだろう。
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