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五章

笑顔の作り方

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「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、マルシェラちゃん。新しく来る子も良い子だって聞いてるわ」
「べ、べつに……、緊張なんてしてないし」

 正午を少し過ぎた頃。
 太陽は南の空を過ぎ、少し西の方へと傾いていた。

 この教会は丘の上に建っているため、見晴らしだけは格別だ。
 交通の便の悪さだけは擁護のしようもないが、おかげで麓から訪ねてくる人がいればすぐに見通しがきく。
 今日もいつものように教会の玄関先から丘の下を見下ろしていると、来訪者の乗っているであろう馬車が見えた。

 ゆっくりと蛇行する道を上がってくる車輪と蹄の音。
 その馬車はしばらくののちに教会の前で車両を止める。

 そして扉が開いた先から、一人の初老の男が顔を出した。

「お久しぶりです、シスター・グレイス」
「ええ。お元気そうです何よりです。クロム神父」

 朗らかな笑顔で挨拶を交わすシスター。

 どうやら既知の知り合いらしい。
 シスターより頭ひとつ分大きな背丈を小さく丸め、彼はシスターの顔色をうかがうように頭を下げた。

「急なお願いを聞き入れてくださりありがとうございます。……その、ご迷惑ではありませんでしたか?」
「迷惑だなんて。わたしと神父の仲じゃないですか」
「ああ、シスターにそのようにおっしゃっていただけるだけで光栄です」

 彼は再度深く頭を下げる。

 どう見ても男の方が上司らしく見えるが……。
 二人のやりとりを見ていると、実際は男の方が目上というわけでもないらしい。
 もしくは──、シスターって、もしかして意外と凄い人なのか……?
 単なる泣き虫でぐうたらなエルフでないのならば、考えを改めなければいけない。

 神父は深々とお辞儀をすると、シスターに向かい再度尋ねる。

「仔細は手紙に書いた通りですが……。本当にあの子のこと、お任せしてしまっても大丈夫ですか?」
「はい。うちの子たちはみんな良い子ですから。きっと彼女も馴染めると思いますよ」

 シスターの言葉に、神父は安心したように表情を緩めた。
 肩の荷がおりたといった表情だった。

 そして、彼は背後の馬車へと振り返る。


「──ミシュ。降りてきなさい。彼女たちにご挨拶をしましょう」

 車両の奥へと投げかけられる神父の言葉。
 それに反応するように、馬車の扉が再びゆっくりと開かれる。
 中からは──、一人の黒髪の小柄な少女が、おどおどとした様子で姿を現した。
 
 ──子犬みたいな子だなぁ。

 そんな感想が第一印象だった。

 歳は7、8歳といった頃合だろうか。
 姿形は同年代の少年少女より拳三つ分は小さい。
 気の弱そうな表情に、控えめな態度。
 なるほど、たしかに周囲に簡単になじめる性格ではなさそうだ。

 彼女はちょこんと手のひらを腰の前で揃える。
 そして、深々と頭を下げた。

「……ミシュ・ロウリィ、です……。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

 毛量の多い、長い黒髪がさらりと揺れる。
 小柄なのも相まって、まさに縮こまった子犬といった感じだ。
 それに歳の割に、随分と丁寧な挨拶である。
 彼女の控えめな性格と真面目な性根がよく表れているようだった。

 シスターはにこりと笑顔を浮かべ返事を返す。

「こんにちは、ミシュちゃん。わたしはナタリー。みんなからはシスターって呼ばれてるわ。──で、こっちのお姉ちゃんはマルシェラお姉ちゃんよ」

 シスターに紹介され、わたしは少々どぎまぎしてしまう。

 お姉ちゃん、か……。
 うん、良い響きだ。
 孤児院の子供たちは、わたしのことを呼び捨てか愛称でしか呼んでくれないし。

 しかしこうなると、ますます彼女の前でみっともない真似を見せるわけにはいかないな。
 年長者として、大人らしい振る舞いを見せなければ。

 わたしは背すじを伸ばし、まっすぐに彼女を見つめる。

「よろしく、ミシュ。わたしは──」

 そう告げながら、少女に向かって右手を差し出す。

 すると──。

「───!」

 とたんに、ミシュは二歩三歩後ずさった。
 反射的な行動だったのだろうか。
 彼女は自分でも驚いたかのように顔を上げ、そのまま上目遣いでこちらの様子を伺う。
 
 まるで、次の行動をどうしていいかわからないといった顔である。

 まあ……、わたしもどうしたらいいかわからないんだけど。

「え、えーと……」

 わたしは呆然とその少女を見つめ、次いで自身の手のひらを見おろすのだった。
 


*********************



 さて。
 何かまずいことでもしただろうか。
 もしかして彼女の故郷では、握手は礼儀に反した風習だとか?

 シスターは固まっているわたしたちを見て、「あらあら……」なんて呑気な声を漏らしている。
 しかたなく助け舟を求めてシスターの方を見ると、彼女もうーん、と首を捻った。

「マルシェラちゃんの顔がこわばってて怖いのかも。ほら、もっと笑顔笑顔」
「えぇ……?」

 そんなつもりはないんだけどな……。
 まあ、たしかに気の弱そうな子だし、わたしもよく表情が固いと言われがちだ。
 ちょっと雰囲気を和ませる努力は必要かもしれない。

 ごほん、と一つ咳払いをし、気合いをいれて唇の端を緩める。
 そして、再度目の前の小柄な少女に微笑みかけた。

「よ、よろしくねぇ……?」

 ぴくぴくと自分の口の端が不自然に震えているのがわかる。

 ……まずい。
 普段から意識的に笑顔を浮かべるなんてしてこなかったから、笑い方がわからない。

 頑張って口角を上げようとはしているものの──。
 違和感全開のニヤリとした不穏な笑顔にしかならない。
 はたから見たら絶対キモチ悪い笑みになってるぞ、これ……。

 案の定、血の気の引いた顔で、また一歩後ろに下がるミシュ。
 ……なんてこった。
 距離を詰めるつもりだったのに、また距離が開いてしまった。

 シスターは呆れ顔で、「マルシェラちゃん……」とこちらに残念そうな顔を向けている。

「し、仕方ないでしょ!わたしはニナ姉と違って笑顔とか苦手だし……。き、急に笑えなんて言われても……」

 だんだんと反論する言葉尻も弱くなっていく。
 自分でもわかっている。
 わたしは上手な笑い方を知らないのだ。

「それに、わたしには……、人と仲良くする方法なんてわからないし……」

 ……そうだ。
 おそらくこの場にいたのがわたしでなく、ニナ姉だったなら──。
 おそらく、彼女ともすぐに仲良くなれたのだろう。

 でも、わたしは初対面の相手と親交を深めるやり方がわからない。
 どんなにお姉さんぶりたくても──、所詮わたしの強張った態度では、ニナ姉のようには振る舞えない。


 はぁ、と小さくため息をつく。
 自身への情けなさで胸が張り裂けそうだ。

 ミシュへと一度視線を向け、わたしはそっと口を開く。

「……ごめんね、怖がらせちゃって。でも、この孤児院は良いところだし、子供たちもみんな良い子だから。きっと、あなたも安心して暮らせるはずだよ」

 その言葉に嘘はない。
 この孤児院の子供たちは、みんな笑顔が素敵な良い子たちだ。
 わたしは上手く笑えないけれど──。
 きっとミシュも、彼らの笑顔となら仲良くやっていけるだろう。


 彼女に向けて差し出していた右手を、そっと引っ込める。
 そして、代わりにもう一度苦手な笑顔を作ってみた。

 子犬のような黒髪の少女は、そんなわたしをおそるおそる見あげる。
 わたしの右手を追いかけるミシュの視線。
 その瞳がそっと伏せられる。


 一瞬の間の後──。
 彼女の長い黒髪がふわりと勢いよく揺れた。


「──っ」


 半ば飛びつくように、距離を詰める少女。
 次の瞬間には、わたしの右手は、ミシュの両手に握られていた。


「──ええっ!?」

 突然の彼女の行動に、思わず声を上げてしまう。

 ミシュはわたしの右手を握りしめたまま、「ごめんなさい……」と消え入りそうな声で謝った。

「ちょっとびっくりしただけなんです。あなたの好意を無碍にするつもりなんてなかったんです……。本当にごめんなさい。わたし、臆病だから……」

 絞り出すように続ける彼女の小さな声。
 右手に彼女の震えが伝わり、代わりにわたしの心は落ち着いていくのを感じた。
 
 わたしはそっと彼女の手を握り返し、安堵の息をつく。

「……そっか、良かった。嫌われちゃってたらどうしようかと思った」

 小さく、冷んやりとした両手だ。
 だが、柔らかな手のひらの先に、彼女の心の暖かさを感じる。
 控えめで、引っ込み思案。
 けれど、芯にあるのは誠実さと優しさだ。
 彼女とならきっと、良い家族になることができる。

 わたしは彼女の手を握り返しながら、そう思うのだった。


「──それじゃあ、これからよろしくね、ミシュ」

 とりあえず仕切り直しだ。
 ニヤニヤ笑いを浮かべているシスターを横目に、わたしはミシュに向かって微笑む。

 ミシュも先ほどより朗らかな表情で微笑んだ。

「はい、こちらこそ。──えっと……」

 彼女は一瞬思案するように視線を宙に向ける。

 なんだろう。
 まだ何か悩み事でもあるのだろうか。
 気になることがあるなら何でも言って欲しいけど……。


 ミシュはしばらく考え込んだ後、小さく頷き──、わたしに向き直ると、その言葉を告げた。



「よろしくお願いします、──マルシェラお姉ちゃん」



「───ぅっ!」

 まさにその瞬間、衝撃に震えるわたし。
 ズキュンッ、とハートを撃ち抜かれた思いであった。

 マルシェラお姉ちゃん……、お姉ちゃん、お姉ちゃん……。
 
 脳内でリフレインする、ミシュの甘々お姉ちゃん呼びボイス。
 普段は絶対誰もお姉ちゃんなんて呼んでくれないからなぁ……。

 ぼんやり虚空を眺め、ほぅ、と上の空で頬を緩める。
 わたしはまたキモチの悪い笑みを浮かべつつ、小首を傾げるミシュを見つめるのだった。
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