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血は水よりも濃いのかもしれない

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 亜希は早速千種に連絡を取り、喫茶オーリムで少し時間を取ってもらうことにした。ゴールデンウィークが明けて、今日はハッピーストア鷺ノ宮店のチーフ全員が休みで、亜希も部屋の掃除やももちゃんの写真データの整理に勤しんだ。
 羽田空港デートと家族との会食の予定だけでも、亜希としては十分、人並みなゴールデンウィークを過ごせた気がしている。好きな人と沢山の時間を過ごし、久しぶりに妹と忌憚なく話したことは、亜希の気持ちを解き放つ効果があった。
 日が長くなったことを実感しつつ、よく乾いた洗濯物を取り込み、暗くなってから家を出た。一度オーリムの中でももちゃんを撮影してみたいので、店主に頼んでみようかなどと思いつつ、公園に向かって歩く。
 喫茶オーリムの店主とその奥さんは、夜に一緒に食事に来る亜希と千種を恋人同士だと見做しており(別に異議は無いが)、ゆっくり話せるようにという配慮からか、窓際の奥の4人掛けのテーブルに案内してくれる。ゴールデンウィークに入る直前に、千種がぬくもりぬいぐるみ病院のおつかいでコーヒーを買いに行くと、奥さんから亜希についてちょこっと訊かれたらしい。
 喫茶店の木のドアを押すと、いつものようにコーヒーの匂いがして、店主と奥さん、それに調理場の若い男性が店内に揃っていた。この時間になると、客の姿はまばらである。

「こんばんは、後で大西さんいらっしゃる?」

 奥さんに訊かれた亜希は、はい、と素直に答えて、千種が来るまでオーダーを待ってもらう。
 18時半に上がると言っていた千種は、19時に店にやってきた。休み明け初日で疲れたのではないかと思うのだが、千種は元気そうである。そう言うと彼は、俺仕事好きだもん、とにやにやしながら答えた。
 ハンバーグのセットがテーブルに並び、お互いナイフとフォークを持つ。亜希はゴールデンウィーク後半の報告として、父と妹と会った話をした。由希が結婚を控えていることは、千種に話したことがあり、準備もこれから本格化だよねと相槌を打ってくれる。
 亜希はできる限りさらっと話すよう心がけた。

「相手の人のお祖母さんがね、ご病気で……だからお式を早めるんだって、妹はこないだそれを話したかったみたいで」

 説明が足りないかと思ったが、そう、とやや深刻めに千種は応じた。

「でも式場は? いけるの?」
「披露宴の規模を小さくすればいけるって」

 千種はハンバーグを口に入れて、ふんふんと頷く。

「でね、親族だけのお式と披露宴にせざるを得ないみたいで、親族だけだとこちらがだいぶ参列者人数が少ないの」
「ああ、そういうことあるなぁ、でもそれは仕方ないよ」

 ありゃ。亜希はピリオドを打ってしまう千種の返事に怯んだ。しかしここで終わらせる訳にはいかない。

「あと、私よりも妹が先に結婚することをね、何か言う人がいるかも、みたいな話が出て」

 この話をしたのはやや逆効果らしかった。千種は付け合わせのポテトにフォークを刺して、眉をひそめる。

「今時そんなこと言う人いるのか……まあ大西家にもそれっぽい人いるけどな、それは妹さんの彼のお身内?」
「あー……そうね」

 ますます言い出しにくいではないか。亜希はブロッコリーを口に入れて、時間稼ぎにゆっくりと噛む。いやもう、遠回しな話はやめて、結論に入ろう。変な空気になったら、冗談にしてしまえばいい。
 逃げ道を確保した気になった亜希は、ブロッコリーを飲み込んだ。

「妹がね、千種さんに私のお相手として出席してもらえないかなって言ってるの」

 千種はきょとんとした。亜希の言葉が彼の想像を遥かに上回ることがあると、こんな顔をする。動物っぽくて少し可愛いのだが、それを楽しむ余裕は今の亜希にはあまり無かった。

「……いや……それは……」

 言葉を失う千種を見て、まずい、と亜希は焦る。

「いやいや! ほんの戯言でございます、聞かなかったことに」
「戯言って」
「だってこんな話迷惑三千万でしょ、私もそれは難しいって妹には言ってるから、気にしないで、うんうん」

 ヤバい、引かれた。亜希は激しく後悔した。そんな関係じゃないのに、何か面倒くさくて重い……そういうことを言われると覚悟したが、千種はちょっと視線を落とし、右手で口許を覆った。

「……あのさ亜希さん、どういうつもりでそれ言ってんの?」
「え? いや、その……」

 千種は目を合わせてくれなかった。亜希の喉元が、緊張と焦りでじわじわと締まってくる。ノリではごまかせなさそうだ、どう言い訳する?
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