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第4章 露れるのは真実と嘘

5.まさかの出来事

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 気まずい沈黙は、人のまばらな電車の中でも続いていた。

 損ねたらしいユクミの気分を変えさせるべく、司は話題を探そうとした。だがあの歌のことが頭から離れず、気がつけば歌のことばかりを考えてしまう。
 歌を聞いたユクミの反応は何だったのだろう。歌詞が気に障ったのだろうか。ユクミの元が狐だっただけに、仲間に入れてもらえない子狐に同情したのか。
 それともユクミはあの歌を知っていて、以前から嫌悪感を抱いていたのだろうか。歌の後半には「人の助けになりたいなら隠邪を倒せ」という歌詞がある。一方的に手助けを強いる、その内容が嫌いだったのかもしれない。
 どうしても歌のことに気を取られて仕方のない今はまったく別の話になっても歌を口ずさんでしまいそうな気がして、司はなかなか口が開けなかった。
 対してユクミはといえば、下を向いたままで何も言わない。
 結局二人はただの一言ですら言葉を交さず電車に揺られ続け、昨日と同じ駅へ静かに到着した。

 重苦しい空気の二人を、蕎麦屋から漂う出汁の香りが出迎える。そこでようやくユクミが顔を上げた。

「あっちだ」

 彼女が指さしたのは聡一たちの家があるのとは反対側だった。司はほっとして、ほっとした自分になんだか腹が立つ。
 己を鼓舞する意味も込めてジャケットに入れたカッターを握り、駅舎の外を窺う。見知った顔がいないことを確認してからうなずいてみせるとユクミが歩き出す。今回の先導は、駄菓子屋への道を知るユクミだ。
 司がよく通った新興住宅街とは違って、古めの家が立ち並ぶこちらの区画は、道は細くて入り組んでいる。しかし「覚えている」と自信をもって言うだけのことはあってユクミの足取りに迷いはない。不安を覚えることなくいくかの角を曲がると、その先に年季の入った自動販売機とカプセルトイマシーンが見えた。あれだろう、と司が思うと同時にユクミが言う。

「あそこがアヤのいた『だがしや』だ」

 ユクミは足を速めるが、しかしなぜかガラス扉の前でぴたりと止まった。なんだか歌の時とシチュエーションが似ていると思いつつ、司は声をかける。

「ユクミ、どうした?」
「……違う」

 今度は返事があった。しかし声は硬い。彼女の表情も声と同じように硬いものだ。

「違うって、何が違うんだ? アヤさんじゃない人がいるってことか?」
「いや。アヤだ。間違いなくアヤだけど……違う」

 軽く首を傾げ、二歩進んだ司はレトロなガラス扉から中を覗く。店内の棚には所狭しと駄菓子が並べられており、そして一番奥の場所では一人の女性が椅子に座っていた。ここからだと暗くて分かりづらいが、服装や雰囲気から判断すると司の母より年上ではないかと思えた。

「あれがアヤさんか?」

 確認の意味を籠めて尋ねると、ユクミは曖昧にうなずいて、もう一度「アヤだけど違う」と繰り返した。

「見た目はアヤだ。だけど違う。陽の気配がない。ここにいるアヤは、昨日のアヤじゃない」

 ユクミは言った。人間は陽の気配を持っているのだと。しかし陰の気で作られたこの異界では人間も陰の気しか持たず、例外が陰と陽を併せ持つ友介と知穂、そして完全に陽の気だけを持つアヤなのだと。
 司は失敗を悟った。司とユクミだけが知っているらしい異界の昨日と今日、この二つの狭間で“陽の気を持っていたアヤ”はどこかへ消えてしまったのだ。

「嘘だろ……」

 つい、呟く。そこに深い意図はなかった。よくあるただのボヤキだ。しかし。

「嘘じゃない!」

 隣のユクミが突然大声をあげた。彼女は怯えた顔を司に向けている。

「私は嘘なんて言ってない! 嘘じゃない! 本当なんだ! ちゃんと、私はちゃんと!」
「ごめん、ユクミを疑ったんじゃないんだ。これは意味のある言葉じゃなくて、俺の口癖みたいなもんだからさ。つい出ちゃうだけなんだよ」

 豹変の理由は分からないが、とりあえず宥めようと思いつくまま言葉を並べると、ユクミはもう一度ぽつりと「……嘘じゃないんだ……」とだけ言って黙った。

(歌といい、今といい……どうしたんだ?)

 困惑しながら司はガラス扉の奥へ視線を向ける。店の前で大人と子どもが言い合いをしていたのだから何かしらのリアクションがあるかと思ったが、アヤに動きは見られない。このぶんだとおそらく表情も変わっていないだろう。確かに奇妙な感じだ。
 昨日のアヤはユクミと話をしたようだが、この状態のアヤは話ができるだろうか。
 司はちらりと視線を横へ向ける。ユクミはうつむいて唇を噛んでいる。アヤと話をしてみてくれ、と頼める雰囲気ではない。

(……ええい、ままよ)

 何かあればきっとユクミが助けてくれるだろう。そう信じて司はガラス扉に手を掛け、ガラガラ、と音を立てて横に開けた。
 暖かい空気が駄菓子の甘い香りを乗せて流れていく。そこに含まれている古い建物特有の匂いはなんだか祖母の家を思い起こさせた。

「あのう、アヤさん……ですよね?」

 声を掛けるとアヤは笑みを張り付けた顔を司へ向ける。

「私はアヤさんよ」
「昨日、ユクミって子に会ったのを知っていますか?」
「このお店には毎日たくさんの子が来るの」
「その中にユクミという子がいたはずなんですけど、覚えていませんか?」
「子どもとお話するのは楽しいわ」

(なんだ、これ)

 話が今一つ噛み合わないばかりではない。アヤの声は肉声ではあるものの機械音声のように平坦で無機質で、人が話しているのだとはにわかには信じられない。
 外からはユクミの「昨日はちゃんと話ができたんだ」という声が聞こえる。

 昨日のうちに話しておくべきだった、と悔いながら司は「失礼しました」とだけ言って店を出る。振り返ってガラス扉を閉めて、そこで気が付いた。
 駄菓子の棚の前にこごった影ができている。
 気のせいかとも思ったが、影は見る間に黒く黒く凝縮した。やがて光を通さないほどに黒くなる頃、ふいに限界を迎えたかのように弾け、中から人間が現れる。

 最初に動いたのは司ではなかった。
 影だった人間がゆっくりと首を巡らせる、その様子を司はスローモーションのようにただ見ていた。相手と目が合ってからようやく司の喉が引き攣ったような音を立て、足がその場から体を飛び退らせる。
 完全に出遅れた。相手の出方によっては今ごろ無様に地面に転がっていてもおかしくない。そうならなかったのは向こうにそのつもりがなかったからだ。舌打ちをしたい気分のまま司はカッターナイフを片手に握り、構える。
 一方で、店の中に現れた人間には気負った様子が見られなかった。頓着なく扉へ近寄り、横開きの扉を音を立てて開ける。現れ方が奇抜だったくせに、人間のように扉を開閉するのはなんだか意外だと司はそんなことを思う。

「やっとお会いできました」

 低く柔らかな声が耳に届く。あの夜、司に「さようなら」と言ったのと同じ声だが、今回は司にかけられたものではない。

「はじめまして、ユクミ。私は納賀良ながら 聡一そういちと申します」

 立ちすくむユクミに目線を合わせるため膝をついた聡一は、そう言って微笑んだ。
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