関白の息子!

アイム

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秀頼ルート 徳川家存続作戦

雑だ・・・・・・※読み飛ばし推奨(エロ度☆☆☆☆☆)

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 さて、次話からはお千ルートのお話になります。
 と、言っても明に向かう船上のお話からなので戦はまだ先ですけどね。

 てか、もう少し秀頼ルートを細かく書く予定だったのに・・・・・・。
 うん、面白くない。
 どんだけ書いてもお千のためにもっと働けやって思ってしまうw

 この章では秀頼君による後方支援と家康を攫った犯人探しの話となりました。
 それで気になったのが、この時代の捜査ってどうやっているのだろう? ということでした。

 目撃証言などから始めようとするのは、現在と大差ないはずです。
 でも疑わしきは罰せずの現在と違い、疑わしきは尋問・拷問の時代。

 犯罪の容疑者や被告人から自白を得るために肉体的苦痛を与えます。
 江戸時代には、「笞打(むちうち)」「石抱(いしだき)」「海老責(えびぜめ)」を牢問(ろうどい)とよび、「釣責(つるしぜめ)」を拷問としていました。

 そして苦痛に負け自白すると・・・・・・。

 見懲らしのための刑罰が行われます。
 俗に10両(130万くらい?)盗むと首が飛んだそうです。
 刑罰体系も様々で、刑種は、軽いと叱(しかり)、押込(おしこめ)、たたき、入墨、追放、遠島、死刑がありました。
 死刑も罪状に応じて、軽い方から下手人(げしゅにん・打ち首)、死罪(打ち首)、火罪、獄門、磔、鋸挽と・・・・・・。

 え、鋸挽って・・・・・・。

 時代が違うと刑も残酷で嫌になりますよね。
 ちなみにここら辺の実物は明治大学の博物館で見ることが出来ます。
 興味がある方は是非!

 私は興味はあっても恐ろしくて見ることが出来ませんw
 したくなくても使用している姿を想像してしまうので。

 本来であれば徳川家の人々に対して今この牢問や拷問が執り行われています。
 どちらにしろ処刑するので肉体的に壊れようと気にしないわけですね。
 エグイ話です。

 そういえば昔くノ一を縛って尋問なんてこともありましたねぇ。
 まぁ、あれはごっこでしたけど。
 あ、今回もか。

 人権なんて単語自体が存在しない時代。
 簡単に転生だとか生まれ変わりとか転移だとか言いますけど、現在の一般常識を持った人間が暮らしていくには厳しそうですね。




 話しは変わりますが、最近更新が不定期になっていてすいません。
 明への侵攻の前にいろいろと勉強をと思いまして・・・・・・。

 既に何回も中国を征服しています。
 ええ、三国志13でw
 本も良いけど、ゲームも楽しいですよね☆

 一応理由はあるんです。
 三国志の時代、後漢の終盤とは1400年も時代が経っています。
 でも、交通手段は相変わらず馬が最速。
 この時代、貿易は余り考えなくて良いので、恐らくですが発展する都市もさほど変化ないでしょう。
 結構都市名は変わっているみたいですけどね。

 まぁ、一番知りたかったのは軍が進むのにどのくらいの時間がかかるのかですね。
 なんと言ってもお千には半年しか時間がありません。
 半年の間に上海から南京を制圧するまでどのくらいかかるでしょう?

 南京は後漢時代には建業と呼ばれ、三国の一つ呉の孫権の都が置かれていました。
 上海は呉と呼ばれるところにあります。
 マップ上では隣の都市。
 近いもんですね。

 騎兵のみの編成で16日、歩兵混合で24日です(三国志13準拠w)
 ですが、この後漢時代と違い大砲などの運搬もあるので・・・・・・。
 慣れない道ということもあり、1カ月は見た方が良いでしょう。

 もちろん移動だけでです。
 途中で戦闘が起こったり、上海が攻められることを考えるともう少し欲しいですね。
 ただ、川を逆走することになりますが、建業・・・・・・ではなくて南京は長江と接しています。
 よって海軍力のサポートを受けることは可能です。

 とは言え、たかが数kmの射程です。
 長江から街の中心まではギリギリ届きそうですけど、端から端までとはいかなそうです。
 上海の防衛や北京への陽動も必要となるので決定打に出来るかは謎な感じですね。
 てか、それじゃお千の活躍と言えないし。

 な~んて考えながらゲームしてましたw




 さて、お気に入りも250もいただきました。
 既に連載当初から3カ月。
 あまり目標も無く書いている作品ではありますが、どうぞ皆さんお付き合いください。

 あ、皆様のおかげでいただいた今月のインセンティブは、ポテチ買ってコーラ飲んで消費しますw

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