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第二章.浄土誘導員のあれこれ

§1.マンネリ気味の生活3

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 時間は後生支援センターでの一幕から数時間前、早朝の駅前通りで太一と真理亜が別れたところまで遡る。
 太一がまっすぐ家路に就いたことを確認した真理亜は、本来の目的である砂糖を購入すべく、早朝でも営業している店へと向かう。
 時刻は午前六時半を少し過ぎたところ。駅前通りもちらほらと人気が増え、これから一日が始まることを感じさせる。
 調味料類を買うのであればスーパーマーケットの方が比較的安く購入できるのだが、流石にこの時間では営業してはいない。大方、九時から十一時の開店が支流だろう。故に、真理亜は少し高く付いてしまうが、二十四時間営業のコンビニで購入を決めたのだ。

「まぁ、他に目的もできちまったしね」

 真理亜が向かうコンビニは現在地から五分ほど歩いた所に位置する。『ウッドストック』から見ても、最寄りのコンビニといわれればそこになるだろう。
 といっても、距離にしてみれば一キロ弱。ちょっとコンビニ行ってくる、というには少し遠い距離である。もともと土地がない上に、取って付けたような住宅街。そんな閑静な場所には当然のごとく商店の類など存在せず、駅前広場のような開けた場所に店が凝縮してしまったのだ。
 また、それはそこで働く側にしても同じことで、近辺に住む人のアルバイト選びは駅前に絞られる。
 つまり、真理亜が向かっているコンビニは太一のアルバイト先なのだ。

「いらっしゃいませー!」

 入店とともに響くハキハキとした挨拶。早朝だというのに一切の眠気が含まれていない。これが、だらだらと生きるフリーターと家庭のために働きに出ている主婦の差なのだろうか。だとすれば、主婦勢に粗探しされるフリーターという構図も致し方あるまい。
 頭の中で残念すぎる入居人の顔を思い浮かべ、真理亜は苦笑する。

(ほんと、もっとシャキッとしてほしいもんだね)

 太一が『ウッドストック』に入居して早二ヶ月。物件案内での一幕で彼にシンパシーを感じた真理亜は、色々な手段を用いて太一を浄土誘導員にしようと試みてきた。
 初回こそうまい具合に話がかみ合い応募へ踏み切らすことに成功したが、そこでの結果がよほど堪えたのかそれ以降はめっきり聞く耳持たずだ。また、無駄に揚げ足取りが上手い故に、喝を入れてやろうにも毎回お茶を濁して終わってしまい進展なし。
 こんな状態が一カ月続いたのだ。いい加減に真理亜のモチベーションも続かなくなってしまう。

(なんにしても、さっきの取引で上手く回りゃいいけどね)

 やる気も削がれ、次の手段に思い悩んでいたとき知人から朗報が入った。実際は朗報ではなく『店で椎名君が不審な行動をしている』といった保護者への連絡だったのだろうが。
 ともあれ、これによって真理亜は絶好の交渉材料を手に入れたのだった。

「どっこいしょっ」

 ドカッとしゃがみ込み、商品棚の下段から白砂糖の袋を手に取った。目的の品を見つけ、他に目ぼしいものもない真理亜は砂糖を片手にレジカウンターへと歩を進める。

「いらっしゃいませ――おや、真理亜さん」
「あぁ、おはよ」

 レジカウンターで待っていたのは初老の主婦。真理亜の知人でもある村瀬だ。
 客が真理亜だと分かった村瀬は、手早い動作で砂糖のバーコードをスキャン。早々に接客を終わらせ、真理亜と世間話でもするつもりなのだろう。
 元より、真理亜も買い物以外の目的がある故、向こうから絡んできてくれたのは好都合。

「最近、ほんとに暖かくなりましたねぇ~」
「そうさね。うちのボロアパートは隙間風が酷いんで、ほんと嬉しい限りだよ」
「あの家じゃ仕方ないですよね……まったく、真理亜さんにあんな所の管理させるなんて組合はなにを考えてるんだか」

 自虐的な真理亜の言葉を聞いて、毒吐く村瀬。
 ボロアパート『ウッドストック』の存在は近所のちょっとした名物と化しており、そんな名物の管理を任されているのだから、真理亜の存在が知れ渡っているのも当然といえよう。加えて、真理亜は面倒見もよく接しやすい。カウンセラー経験者ということもあり、不満を溜め込んでいる近隣住民にとっての良き聞き相手なのだ。
 そんな背景もあって、この近辺で真理亜は有名人であり、多くの人に懐かれている。

「そうだ。ちょっと頼みがあるんだけど、ちょっと時間いいかい?」
「ええ。トイレ掃除に行ってる君津さんが戻ってきたら大丈夫ですよ」

 真理亜はバックルームの方を指差し、村瀬に頼みを持ち掛ける。
 それを受けた村瀬の反応も良好。この客数で断られるとは思っていなかったが、ここまで即答するのだから彼女の真理亜への忠誠心は結構なものなのだろう。

「戻りましたー。あ、真理亜さん、いらっしゃいませ!」

 程なくして君津が戻ってくる。彼女もまた真理亜によく懐いている主婦の一人だ。
 当然、真理亜の頼みを断るはずもなく、快く村瀬がレジを離れることを承諾してくれた。

「それで、頼みってなんですか?」

 村瀬はバックルームへと移動するや否や、真理亜に尋ねる。
 確かに、彼女は仕事中の身。現在進行系で時給が発生している以上、関係のないことで拘束するのも良くあるまい。なにより、真理亜とこの店のオーナーは旧知の仲であり、彼の不在中にあまり好き勝手やるのも精神衛生上よろしくない。
 もう少し雑談を楽しみたい欲求はあるが、真理亜は邪念を追い払い本題に入る。

「昨日の録画映像、見せてくれないかい?」
「いいですけど……また、椎名君絡みですか?」

 村瀬の問いに、真理亜はコクリと頷く。それを見た村瀬は呆れた表情をして、レコーダーの操作を始める。すると、モニターはすぐに見覚えのあるシルエットを投影。レジカウンターの後ろに寄りかかり、ぼーっと突っ立った太一の姿だ。
 こんな姿を晒しているようでは、主婦勢から勤務態度が悪いとクレームが来ても弁解のしようがない。真理亜も帰ったら太一を叱りつけてやろうと密かに決心する。
 が、今日来た目的は太一のミステリーショッパーをするためではないのだ。

「そこを回せば早送り出来るのかい?」
「ええ」
「じゃあ、あんまり引き止めても君津さんに悪いし、あとは勝手にやらせてもらうとするよ」

 そう言って、村瀬にレジカウンターへ戻るよう指示を出す。村瀬もその一言で自分が仕事中だったことを思い出したのか、軽い会釈をすると急ぎ足でバックルームを後にした。

 独りになったバックルームで、真理亜はレコーダーの丸いノブを右へと回す。高速で展開する映像に目を凝らし、真理亜は目的の相手を模索する。
 太一がレジに入る度にノブを戻し、接客態度に変化がないかを丁寧に確認していく。
 一人、二人、三人。一分、十分、一時間。明確な証拠を探す。
 まるで刑事にでもなったかとさえ思えてくる現状。次第に真理亜の双眸はキリキリと痛みを放ち、視界をぼやかしてしまう。
 流石に疲れを感じた真理亜は、レコーダーから手を離し、瞼の上を軽い手つきでマッサージする。
 と、そのときだ――

『いらっしゃいませっ!!』

 聞きなれたはずなのに、聞きなれない声が真理亜の鼓膜を振るわせる。太一のもので間違いはないのだが、おおよそ彼から出るとは思い難い凛とした声。これこそ真理亜の待ち望んだ変化そのものだ。
 やっと目的の場面に遭遇できたことに喜びを感じながらも、真理亜はモニターをじっと見つめる。そもそも、今回来たのは太一の変化を見るためではない。彼を変化させた相手にを見に来たのだ。
 真理亜は画面の端から端まで丁寧に目線を泳がせ、確実にターゲットを捕捉する。

 雑誌売り場――違う。飲料売り場――違う。カップ麺売り場――違う。弁当売り場――

「っ!?」

 弁当売り場で見つけた影。長い黒髪を一つに纏め、カジュアルなスーツに身を包む一人の女性。太一の反応を見るに、彼女がターゲットに違いない。
 違いないのだが――

「こりゃまた太一……どえらいのに目をつけたもんだね……」

♦♦♦

 刺々しい空気を放つ春香が急ぎ足でやってきたのは、回帰窓口のある十六階から一つ上のフロア。パブリックスペースに近い十六階とは異なり、こちらはフロア一面に個室が配置されている。
 春香はその中から『A-7』と記載されたドアを開き、太一と共に入室。部屋の中央に置かれた円形のガラステーブルを挟む形で椅子に座る。
 回帰登録こそ窓口にて行われたが、正式なカウンセリングともなるとそういうわけにもいかない。心に傷を負った人間には、人との会話以上に一定のプライバシーが重要視されるのだ。
 そんな理由から、登録後の正式なカウンセリングは十七階の個室を用いて行われている。
 予想外の待遇に初回は戸惑ったものの、太一のカウンセリング経験は今回で三度目。美人と個室に二人っきりと魅惑のシチュエーションではあるものの、いい加減になにも起きないことぐらい理解している。あくまでもカウンセリングのためにこの部屋へと通されたのだ。

「まったく……なんであいつがいるのよ。あぁぁ、さいっあく! 朝から気分悪い!」

 カウンセリングを始める気満々の太一とは裏腹に、春香は完全に苛ついてしまっている。
 太一としては早いところカウンセリングを切り上げて寝床への帰還を果たしたいところなのだが、肝心のカウンセラーがこうではなにも始まらない。出勤して即カウンセリングルームへ通してくれたおかげで、結果的には時短になってはいるのだが。

「えっと……結局のところ、あいつ誰なんすか?」

 ピリピリした空気を打ち破るべく掛けられた太一の声。個人的な興味も無かったわけではないが、この空気をどうにかしたいと考えて発した意味の方が強い。それにはまず、春香の荒ぶる怒りを吐露させてやるのが一番だろう。
 カウンセラーが対象者に気を使わせてしまった時点でどうしたものかというところだが、残念ながら今の彼女にはそんな余裕はなかった。

海堂令かいどうれい。フライリーフの誘導員よ」

 春香は心底嫌そうな表情で回答する。だが、彼女の表情に反して飛び出した単語は華やかなものだった。
 設立からわずか三年で、年間獲得報酬、案件解決率ともに業界トップまで上り詰めた超上昇企業。それが『フライリーフ』である。去年、組合が取り扱った案件の実に四割を解決したという話も有名なところだ。
 また、その活躍は保安局の枠に留まらず、一昨年から小売業界へも参戦。こちらでも相当な売り上げを叩き出しているという。
 当然、そんな成功者をメディアが放っておくはずもなく、雑誌や新聞には度々社長インタビューが掲載され、『フライリーフ』の名前は民間人に大きく知れ渡っている。
 太一も夜勤の暇つぶし程度に眺めていた雑誌でその存在を知り、読み終わる頃にはすっかり憧れを抱いてしまっていた。

「滲み出る戦隊ヒーローのブルー臭……やっぱフライリーフは局員の名前からして違うのね。あーぁ、俺もフラグ回収要員ヴァイオレットとかでいいから入社さしてくんねぇかな?」
「馬鹿なこと言わないでっ!!」

 春香は太一の軽口を一刀両断。両手をテーブルに叩きつけ、声を荒げる。
 予想以上に過敏な反応を見せる春香に、太一は身を引いて退避。空気を和らげようと思ってやったことが裏目に出てしまった。
 地雷を踏んでしまいバツの悪い顔をする太一。だが、恐る恐る顔を上げてみると、どうやらそう感じているのは自分だけではないようだ。

「ごめん……今のは完全に八つ当たりね」

 額に手を当て俯くは春香は、今しがた自分の仕出かした行いを悔いているように見て取れる。冷静ではなかった。彼女からはそんな空気が溢れ出していた。

 二ヶ月前の『ウッドストック』でのやり取り以来、春香が太一に取る態度は幾分にも素直になった。きっと、真理亜がなんらかのプレッシャーを与えているが故の結果なのだろうが、それでも過去二回のカウンセリングでは比較的素直に太一の要望を聞いてくれている。
 それに伴い、あれだけ難色を示していた太一の進路――浄土誘導員についても、まだ完全に納得とまではいかないにしても頭ごなしの否定はされなくなった。
 太一としても、春香が素に近い態度で接してくれるのは素直に喜ばしい。しかし、素直になった分隠していた過去が見え隠れしてしまうのもまた事実。今回のケースもその類で違いないだろう。
 そもそも、春香にしても真理亜にしても『フライリーフ』に対して、なにか複雑な事情を有している気がしてならない。
 以前、『フライリーフ』の記事を見て感化された太一が真理亜に相談したところ、即断即決の彼女にしては珍しく返答に困っていたよう感じられる。
 春香の過敏な反応に、真理亜の釈然としない回答。おおよそ太一の知る限り最も大人といえる二人が、揃いも揃ってこんなに釈然としない対応をするだろうか。そこには複雑な因果が存在するのではないか。
 太一の好奇心が疼く。

「八つ当たりしたこと許してあげるんで、代わりに一つ教えてくれませんか?」
「は?」
「大丈夫。過去は追求しないんで」

 春香が過去を語りたがらないのは理解している。また、それを知ったところで今の太一では受け止めきれなれない。どれだけ好奇心が疼こうとも、基本的に臆病な太一は真実を知ることを恐れている。生前の最後、碌な準備もせずに真実を知った結果があれなのだから致し方ない。
 そこで、揺らめく好奇心を満たすために太一が選んだのは他の質問での上書き。海堂令、彼との一幕は太一の心に大きな波紋を生んだ。
 少しキザな印象はあったが、あれだけの好青年、それも業界トップの局員である彼の口からあんな言葉が出るなど、太一にはどうしても信じられなかった。
 仮にも自分は浄土誘導員を目指す身。そんな元に降って湧いた不信感の種。春香の過去に繋がっているかもしれないが、これだけはどうしても聞いておきたいのだが――

「えー、バイト先のお客さんナンパしようとしてる人には教えたくないなぁ」
「へ?」

 まさかのカウンター。予想だにしなかった返答に、太一の思考回路は白く染まっていく。

「真理亜さんから全部聞いてるよ。この浮気者ぉ~まゆちゃんが泣くぞっ」

 春香はニヤニヤしながら追い討ちをかける。
 が、太一も伊達に春香のカウンセリングを受けてきてはいない。内容こそ予想外だったが、話題転換されること自体は想定内だ。こういうときの対策くらい事前に練ってある。
 太一は白く染まる思考を強制的につなぎ止め、究極の切り札を投入。

「素直にカウンセリングしてくれないって、おばちゃんにチクリますよ?」
「うっ……」

 これぞ太一の持ち得る最強の手札。春香が真理亜に頭が上がらないのを知っての、なんとも卑怯なやり口だ。しかし、効果は絶大。直撃した春香の表情はみるみる引きつり、挙句には溜息を漏らしてしまう。
 それを見た太一は勝利を確信し、用意していた質問を口にする。

「あの海堂って人、対象者をって言ってた……それに対象者のおっさん、怯え方が尋常じゃなかった気がするんですよ」

 太一は冷静にあのとき抱いた不信感を言葉にする。
 異常なまでに怯えた対象者と、対象者を物扱いする誘導員。太一も真由美以外の誘導員を知っているわけではないが、かといって真由美の方が異例とも考え難い。
 しかし、そんな太一の不安に春香は答えてくれなかった。

「悪いけど、その質問には答えられない。一般人が知るべきことじゃないの」

 春香の表情は真剣そのもの。いつものように、はぐらかしているわけではない。
 そして、太一自身なぜだかその雰囲気に納得してしまった。まだ、知るべきでないと――

「ひとつだけ教えてあげる」

 口を噤む太一を真っ直ぐ見つめ、人差し指を立てた春香が再び口を開く。

「それがフライリーフのやり方よ。浄土誘導員を目指すなら覚えておきなさい」

 どこか陰りのあるセリフ。
 素直に太一を応援してのアドバイスなのか、質問に対するせめてもの回答なのかは分からない。だが、太一の疼いていた好奇心は嘘のように静まっていた。

「さって、前置きはここまで。カウンセリングを始めましょ」

 甲高く響く春香の手拍子をきっかけに、雰囲気は切り替わる。
 こうして、三度目のカウンセリングが始まるのだった。
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