おいでよ、最果ての村!

星野大輔

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第2章 彷徨う森

閑話 ケルベロス1

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その者を脅かすものなど存在しないはずだった。


仄暗い森の中、大気中に漂う魔素がひとつに収斂してゆく。
最初は花の種ほどの小さな黒い点だったものは、やがて異形の魔物となる。

一つの体に三つ首の獣、ケルベロス。
この世に知らぬものはいない、かつて世界を恐怖に陥れた伝説の魔獣。

生まれたばかりにも関わらず、彼は自身の強大な力を理解していた。

ニンゲン、ヲ、クラウ!

真っ赤な口腔を剥き出しにし、自慢の嗅覚で獲物を探す。

スル、ニンゲン、ノ、ニオイ、スル!

道中襲いかかってくる魔物たちを歯牙にもかけず、ケルベロスは匂いのする方向へひた走る。

そこにいたのは一人の小さな女の子。

チイサイガ、ウマソウダ。

初めての獲物にケルベロスは一心不乱に飛びついた。
警戒?
自分にそんなもの必要ないとばかりに、真っ正面から。
絶対的強者はただ悠然と獲物に近づき喰らうのがあるべき姿なのだといわんばかりに。

「めっ!」

ケルベロスは突如襲いかかった衝撃と、遅れてくる激痛に地面を転がり回った。

ナニ、ナニ!?
メッチャ、イタインダケド!?

目の前を見れば、小さな女の子が拳を握って怒っている。
その位置関係に、先ほどの衝撃はこの少女が繰り出したのだと理解する。

エーーーーッ、ハナシトチガウ!

人間は弱い生き物だと、生まれた瞬間に与えられた知識の中にあった。
まるで自分のことかのように、かつて人間の世界を蹂躙した記憶がある。

もしかして自分は弱くなったのか?
いやいや、そんなはずはない。
先ほど襲ってきた魔物たちは、並々ならぬ強者ども。

では、この人間が特別強いのか?
こんなにも小さな少女が。

しかしそれを認めざるを得ない。
事実ケルベロスは地に伏しているのだから。

ココハ、センリャクテキテッタイ!

自分に言い訳するように、ケルベロスは少女の前から逃げ出した。
その際、急ぐあまり足がもつれて木にぶつかったのは愛嬌だ。




ココマデ、ニゲレバ、ダイジョウブ、ダロウ。

あんな人間がいたとは。
しかしあいつにさえ出会わなければよい。
あの少女さえいなければ、自分は最強なのだ。
再び自分に檄を、飛ばし奮い立たせた。

がさっと背後で音がして、ビクッとその場を飛び退くケルベロス。
先ほどの一件で完全にビビり癖がついていた。

現れたのは屈強な岩型魔物、クリスタルゴーレム。
並の攻撃はいっさい通さない、冒険者殺しで名高い魔物である。

ケルベロスは、後ろ足に力を込め、一足飛びでゴーレムに襲いかかる。
魔力を込めた前足の爪が、一撃でゴーレムを沈める。

フン、ヤハリ、ワレハ、ツヨイ!
サイキョウノ、マモノナノダ!

そこへひょこりと現れるフェンリル。

アッ、チーースッ、フェンリルサマ!

そそくさと道を譲るケルベロス。
フェンリルはちらりと横目でケルベロスを見ると、てくてくと優雅に素通りしていった。

その姿が遠く見えなくなりと、ケルベロスはピシッとしていた姿勢を崩した。

ヘッ、イマハ、カラダガチイサイ、カラ、ワレガ、ヨワイガ、イマニミテロヨ!

完全に下っ端の発想。

ケルベロスは強い魔物なのだが、可哀想なことに生まれた場所が悪かった。

彼に輝かしい未来はあるのか。

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