アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第三章】追 跡

  マサと姐御  

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 街灯に照らされて白く光る街路樹並木を歩きながら、茜がハンディタイプのディスプレイを覗き込んでいた。もちろん携帯電話でもスマホでもないのは説明の必要は無いだろう。

 フワフワした銀色の短い髪の毛を揺らして、辺りをキョロキョロ。
 手元の装置を覗きこみ、ほっそりした指で自分のおでこをツンツン。
「どうしたの?」
「あ、はい。たぶんこれがドロイドだと思います。レイコさん……」
「ケイコだっ! いま言ったばかりだろ、プロパティのオーバーライドはどうした!」
「あ、そっか……」
 目を吊り上げて怒鳴る俺に、茜は頭の横をコンコンとつっ突いて、小さく舌を出して言い直す。
「あの……ケイコさん。ここから250メートル。えっと地上4メートルあたりから信号が出てまーす」

 俺はずっこける寸前で立ち直り、脱力して睨み返した。
「お前、本当にアンドロイドか? ただのおっちょこちょいじゃねぇだろうな」

「えへへへ」
 銀髪へ指を突っ込んで掻(か)きあげる仕草は、どうみてもどこか間の抜けた少女だった。

「で? マジでプロトタイプとなるドロイドのモノか? どこかの冷蔵庫が放つ電磁波と見間違ってないだろうな?」

「やだなー。そんなのと間違えるわけないだろ。シンスケぇ」
「おい、タメ口になってんぞ……」

 何だか先が思いやられるぜ。
 俺の予言はなぜかこういうときだけ的中するんだよなぁ……って、おい。どこ行った?

 ちょっと目を離すとこれだ。
「おい玲子!」
 二人は人混みに流されるようにして、数メートル先を歩いていた。
「勝手に行くな玲子。お前はミッションを理解してんのか?」
「大丈夫よ。アカネの探知器どおりに進んでるもん」
「はい、そぉーでーす。この先200メートル、地上4メートルでぇす」
 と告げてから、俺の顔色を窺った。

「何だよ?」

「迷わないでくださいね。ちゃんと付いて来るんですよ」
「お前に言われたかねえよ」
「でもさ。地上4メートルってどういう意味なの。空中に浮いてるのかな?」
 毛皮のコートを風になびかせて振り返る玲子から芳しい香りが漂ってくる。

「そりゃぁ、あれだろ。ビルの2階辺りに居るっていうことだろ」
「うっそお。ここらのビルはみんな飲食店かブティックなのよ。あんなダルマみたいな黒いロボットがうろついていたら、大騒ぎになるわよ」

「確かにそれは言えるよな」

 アルトオーネでのロボット技術はようやく二足歩行が可能になった程度だ。ケチらハゲの研究グループがもっとも進んでいるが、それでも命令されたことを何とかこなす程度。ネブラのプロトタイプが不細工だと言っても、自立制御でちゃんと自分の目的どおりに動けるスタンドアロンタイプは驚きだし、あの殺人ビームでも放射されたらとんでもないことになる。

 まだ他にも不安材料はある。

 もしデバッガーも一緒に現れて、生体パラレティックビーム(パラライザー)とか呼ばれる粒子線を乱射されたら、この平和なアルトオーネがパニックに陥る。俺たちは身を持ってその脅威を体験しているだけに、考えるだけで恐怖だ。

 にしてもこの静けさは何だろう?
 この星ではあり得ないオーバーテクノロジーの物体がうろついているはずなのだ。気付けば大騒ぎになるはずなのに、見たところいつもどおりの賑やかでいて楽しげな雰囲気が漂う夜の街だった。


 首を捻りつつも警戒しながら歩いていると、人混みの先で空気をつんざく甲高い女性の悲鳴がした。
「で、出たぞ! プロトタイプだ」
 俺は身構え、玲子は人混みを掻き分けて突っ走った。

「だからよー。ちったあ、考えて動けって!」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



「くおぉら、クソガキ! ちょっと前に出ろ」
 低い声音で大きな怒鳴り声。そしてもう一度女性の悲鳴が渡り、大勢の歩行者が騒然として足を止め、あるいは早歩きでその場を避けようと入り乱れ、波を打つように人だかりがどよめいた。

「どこ見て歩いてんだ、こんガキ! おうっ、おめえがぶち当たってきたから、スーツが汚れちまったじゃねえか。あててて。もしかした肩の骨も外れたかもしれねえな。いたたた。どうしてくれんだ!」

「す、すみません。で、でもちゃんと前見て歩いていたんですが……」

「なんだとぉ、ごらあ。じゃあオレが悪いとでも言うのか、おおぅっ! 怪我の治療費とクリニーング代出してもらおうか。あ~~ん?」

 ただの悪ぶった男だった。プロトタイプが現れたのかと緊迫していただけに拍子が抜けた。

「オレはよー、被害者なんだ。とぼけやがるとパンチぶっこむぞ!」
「い、いえ。すみません。ごめんなさい……」
 田吾に負けじ劣らず四角い顔をした男が相手にするのは、痩せこけた背の低い青年だ。
 人の良さそうな顔をして、おどおどと声を震わせた様子は、今にも膝を落としそうなほどに怯えきっている。

 反面、こっちの男は大仰に肩をそびやかし、威嚇めいた厳つい顔をして迫る。
「おらっ、おらっ! ごめんで済むほどな、世の中は甘くねえんだ」
 青年の襟を乱暴に掴んで振り回し始めた。

 あー。見てられん。
 こういうのは見過ごすわけにはいかないんだ。
 俺はここで生まれ育った地元っ子さ。だからこの街に対する悪いイメージがこの青年に色濃く残るのは許しがたい気分になる。自分が汚(けが)された感がして、じっとしていられない。悲しいかな変な正義感ってヤツだ。

「にいさんよー。それぐらいで許してやってくれねえか?」
 両手をズボンのポケットに突っ込み、肩を突っ張らせ、できるかぎり凄みを利かせて近寄ってみる。
 胡散臭さ満点の変装もこういう時には役に立つかもしれない。

「あ~ん? 誰だおめえ。この辺りでは見慣れないヤツだな。おぅ?」
 向こうは本職だった。俺のサングラスを雑に引っ剥がすとぽいと向こうへ放りやがった。

(やっべーな。こりゃハッタリなんか利かねえぞ)
 でも弱みを見せるとさらに詰め寄られるので、ここは踏ん張りどころだ。

「俺は通りすがりのもんだが、見てっと、お前、ムチャクチャやってんな」
 案の定、俺の空威張りなんて、なんの効果も無かった。

「うっせぇな!」
 男は俺の肩をドンと一突きにし。
「こっちはなー。怪我させられたんだ! それが正当な主張をしてなんか文句あんのか。部外者は引っ込んでやがれ!」
 ぬぁんだと……。
 こっちも臨戦態勢に入ろうと身構えたところへ、水が差された。

「ちょっと。何やってんの、そんなことしている暇は無いでしょ。行くわよ」
 俺の腕を引っ張った玲子が、こういう方たちに言ってはいけない言葉を続けて発した。

「──こんなサンピン相手に」

「ぬあぁぁんだと、このアマ! お前どこの店のオンナだ。乗り込むぞ! ごらぁ!」
 ほーら。マジで怒り出したよ。

 男は俺の胸ぐらを鷲掴みにしようとしていた手をそのまま玲子へ、
「いででで……」
 あ──ってぇぇぇぇ!
 オッサンのほうが鷲掴みにされてんじゃねえか。玲子、お前は熱くなるな。

「せっかく俺が上手くあいだに入って収さめようとしたのに、火に油を注ぎやがって。いつものパターンに持っていくな、玲子。ちょっと落ち着け!」

 切れ長の目が吊り上り、猛禽類にも似た眼光の奥に獲物を見つけた悦楽の光が煌めいていた。
「見え見えなのよ、このサンピン! 自分のほうからぶつかっておいて、何が服を汚された? 何が怪我した? うだうだ言ってると容赦しないわよ!」

 男は玲子の腕を振り払い、ドスの利いた声で応戦する。
「何だとこのアマ。俺からぶつかった証拠でもあんのか。その瞬間でも見ていたとでも言うのか!」
「見なくったってわかるわ。そうやって因縁つけて、弱い人からお金を巻きあげてシノぐダニだっていうことまでお見通しよ」

 玲子は一歩も引き下がらない。いやそれよりも鋭い目で睥睨しながら詰め寄り、男はジリジリと後退りしつつ罵声を浴びせる。
「うるせえ! 黙って聞いてりゃ、このオンナ!」
 男は強硬手段に出た。顔を真っ赤にして飛びついてきたが、玲子は俊敏に身をくねらせると男の攻撃をかわし、ひょいと片足を引っ掛ける。
 どしん、と簡単にひねり倒され、地面の上で丸められた。

「あでででで」
「女性に手を触れるなんて10年早いわ! ドサンピン!」

 やばいなあ。こういう輩(やから)は面子(めんつ)をたてることが仕事なんだ。それを公衆の面前でぶち壊されたら後に引けなくなるんだよな。どうして玲子は物事を深く考えないで、即行で手を出しちまうんだろ。

 腕っぷしで勝てないとなると、この後、この男は最終兵器を出すに決まっている。と予測して寒気が走った。
 ついでに言うが、こっちの身の危険を感じて、ではないことだけは先に宣言しておこう。

 こいつ……。
 まさかここでハンドキャノンを抜かねえだろうな。それだけはご法度だぞ。
 玲子は藩主から護身用の小型拳銃の所持許可を貰ってはいるが、こんな大型のは警官でさえ持っていない。見つかったら大ごとになる。

 ところが俺の懸念は別の方向へと展開していくことに──。

「どうしたヤス。オンナ一匹シメれねえのかよ。そんなことだからいつまでたってもペーペーなんだぞ」
 玲子にねじり伏せられていたチンピラの前に、あきらかにワンランク上の筋者が登場した。

 身長が高いだけでなく体つきもごつい。顔もごつい。数歩退きそうだ。実際下がっちまった。

 ヤスと呼ばれた男は地面から顔を上げて、
「マサあにい。すまねえ。こんな恥ずかしいところを見られて」
 大げさに頭をしな垂れた。

(ぬあにぃー! マサって!?)
 俺は息を飲んだね。この大男、いつだったか、例のおでん屋の横で玲子にボコボコニされたヤバ系の本物だ。
 驚きはそれだけではない。

「何よー。カマイタチの兵隊なの。あんたらまだこんな稼業やってんの? 御大さんに言いつけるわよ」

「誰だこのアマ? おう。オレのペンネームを知ってるったぁ、てめえ誰だ! それを口にできるのはごく限られた人物だけなんだぞ」
 なんだよペンネームって、物書きに転職したのか?

「それを言うならニックネームっていうのよ」
 玲子に言い直された男は、にわかに赤くなり、
「うるさい、言いそこ間違いだ。誰なんだ、てめえ?」
「なにカッコつけてんのよ。あたしよ玲子よ」
「どぁぁぁあぁ。じゃないっす。すみません。この人はケイコでして、決してレイコではなくて……」

「──? なに言ってやがるんだ、このハゲ?」

 そいつは肩で風をひと切りすると、俺に迫って突き飛ばし、訝しげな視線で舐めるように玲子を観察してから、すっ頓狂な声を出した。

「姐御(あねご)っ! レイコ姐(ねえ)さんじゃねえすか!」

「いいえ、違いまーす。この人はケイコでーす」
「うっせぇぇ!」
 飛んで割り込んだら、またまたぶっ飛ばされた。
 こういうパターンは想定外なんスけど……。

「レイコさん、こんなとこで何してんすか?」
「ち、ちがう。この人はそんな人じゃないっすよ」
「お前に訊いてるんじゃねえ! この、ハゲオヤジ……。ん? どこかで会ったことねえか?」

「あぅ。初対面でぇーっす。じぇんじぇん知らないでーす」
 両手のひらをパアにして振り振りする。

 数年前、あんたをボコボコにした玲子とおでん屋にはいませんでしたよー。

「おでん屋? あの時の男はもっと長髪だった。そうか、他人のそら似ってヤツか」
(ぶっ、ひょ──。髪の毛を刈っといてよかったぜ。田吾、感謝だ。謝謝)

 こういうモノホンのヤカラに顔は覚えられたくはないからな。


 玲子は平気で鬼顔のマサに詰め寄っていた。
「ちょっと! 汚い顔を近づけないでくれる」
「わぁーお。玲子、口を挟むな」
「玲子? やっぱり姐御じゃないっすか」
「あ、あたしはケイコよ」
 ──もう遅いワ。こんバカ。

 社長から口を酸っぱくして、過去を変えるなと厳命を受けていたのに──玲子はこの男に正体をバラしちまった。

 あ……?
 俺か?

 この街に送り込まれてからずっと心配していたことをしでかしてしまったのだ。このミスが未来ではどうなっていくやら、とりあえず今の俺たちには何の変化もないところを見ると、そうたいしたことではなかったのか、あるいはもっと先で、何らかの時空修正をする必要に迫られるのか、どちらにしてもあまりややこしくなることだけは、避けなければならない。

 不安に曇る俺の前で、2年過去の男、マサは勝手に勘違いをして、
「まさか舞黒屋を追い出されたとか……。姐御をクビにするなんぞ、イイ度胸してやがるぜ。アッシにおまかせくだせえ。あのハゲ野郎をスマキにして海に沈めてやります。オレたちのマドンナをいぢめるヤツは許さん」

 玲子はぬぁんと筋者の頭をポカリとやって──すげぇ。
「あたしの親分に手を出すと容赦しないわよ」

 お前いつから任侠者になったんだよ。おっかさんが悲しむぞ。

「今、特別任務中なの、ここは黙って下がってちょうだい」
「あ。例の、特殊なんとか課ってヤツっすね。へい。了解しやした」

「いい? ここであたしと会ったことは極秘にするのよ。いいわね」
 どこにいても誰に対しても玲子の態度は揺るぎ無いのだ。感心するね。
 
 マサは素直に頭を下げ、地面で尻を吐いたままポカンと見上げている下っ端の頭をひと殴りして、
「ほら。ヤス引きあげるぞ」
「え? マサあにい。このオンナ、いやこの方は誰なんです?」

 マサは、レイコと言いかけて、彼女にすげえ怖い顔で睨まれ、
「だ、誰でもいい、オレたち裏稼業を牛耳る怖いお方なんだ」
 肩をすくめてから、ヤスを引っ張り上げた。

 ──違うっし~~。舞黒屋のただの社長秘書だし~~。

「で、でもマサあにい。オレ、こんな女に辱(はずかし)めを受けたんっすよ」
 あんたは今夜だけだろ。俺なんか毎日受けてんだぞ。

 マサはヤスの頭をもうひと小突きして、
「オメエなんか百人寄っても敵うもんか。テツジ兄貴と鬼のキムさんがコテンパンにやられてんだ。オレなんてその状況を目撃してションベンちびったぐらいだぜ」

「ひっ! キムさんとテツジさん……が?」

 そのビビり方から想像すると相当な鉄人なんだろうな。ご冥福をお祈り申しあげますが、なにしろこいつがいま目の敵にしているのは、宇宙を支配しようとするデバッガーなんだ。それにキムさんとテツジさんがどれぐらい怖くても二人だろ、こっちは500兆だぜ。お前らとは規模が違うからね。

 マサとヤスは玲子に向かって──決して俺ではない──深々と頭を下げると、人でごった返した繁華街に広がるちょっとした空き地から消えた。

 いつからだろうか、そう玲子が二人のヤバ系を叱り飛ばし始めた頃からだ。遠巻きにして怯えた目をしていた群衆が消え去り、普段通りの雑踏に戻っていた。ついでに因縁を吹っかけられていた青年もいなかった。

 あ──っ!
 青年だけではない、茜もいない!
「おい、玲子! アカネはどこ行った?」
「え? あ、ほんと」
 今の騒動ですっかり自分の世界に浸っていた。俺たちが時空修正という宇宙規模のミッションの最中だったことを忘れていた。
「やばいぞ。あいつ粒子加速銃を担いだままだ」

 だが心配は無用だった。茜は人の流れが切れた路地の角に立っていた。しかも壁と対面して、何やらぶつくたつぶやいている。

「おい、どうしたんだアカネ。俺たちから離れると迷子になるぞ」

「アカネはただいま留守にしております。ご用の方はシズカが代わってウケタマわっていまーす」
 壁に向かってそう言った。

「あ、そうだったな」
「シズカ、そんな暗いところで何してんだよ?」

 不安に揺れる眼差しでビルの側壁を見つめていた瞳をオロオロと俺へ移し、
「コマンダぁー。怖いですぅ」
「何が?」
「こんなに大勢のヒューマノイドを見るのが初めてで、顔認証機能がオーバーロードしそうなんです」
 不安げに俺を見つめる茜の目が半泣きだ。もしやして。
「お前、ここを歩く人、全員の顔を覚えようとしていたのか?」
 白い顎をこくんと落とした。

「そりゃあオーバーロードするワ。そんな無駄なことはやめておけ。せいぜい会話を交わした人だけでいい。コマンダーからの命令だ。ここに来てから新たに認識した全データを破棄しろ」

 まだ不安に揺れる視線を俺へと注ぎ、
「そんなことして、あとから58番目の人と73番目の人から声を掛けられたらどうしたらいいんですか?」
 俺は茜に力の抜けた吐息をして見せ、
「それはあり得ない。もしそうなったら、『どちらさまでしょう?』で済ませておけばいい」
「そんなアバウトな……」
「人間なんてアバウトな生き物なのよアカネ」
 優しく茜の肩に手を添える玲子。

「そうだな。アバウトの典型みたい玲子が言うんだし、間違いない」
「何よ……」
 丸い目を俺に据えるものの、図星なのだろう。尖らせかけた唇に笑みを浮かべて黙りやがった。

「了解しました、コマンダー。では327人分の顔認証データを削除します」
「327って……まだここに来て半時(はんとき)も経っていないぜ」
 呆れるやら感心するやらだった。

 茜はすぐに表情を落とすと、目をつむり全身の力を抜いて下を向いた。
 ほどなくして──。

『承認コードを述べてください』

「は?」

 その声は茜ではない。彼女は丸めた背中を俺に見せた姿勢で、口や目を閉じたまま静止。どちらかというとシロタマの報告モードを思い出させるような冷然とした声色、これは茜のシステムボイスだ。
 だが、首を捻る。
「承認コードはまだ貰っていない。 俺は知らないぞ。お前知ってる?」
 玲子も首を振る。

『承認コードをお忘れ、あるいは新規に取得するには、コマンダー登録時に当ガイノイドとタッチ認証を行った部位を触れてください。登録された場所とDNAの比較検証を行います。3回間違えますとそれ以降、24時間コマンド変更が無効となりますのでご注意ください』

「めんどくさいなあ……。電話会社かよ。それってパスワードみたいなもん? タッチ認証の部位ってなんだよ?」

『コマンダー登録時に当ガイノイドと認証接触した部分です』

 あー。なるほどね。
 こういう時に使われるものだとは思ってもいなかったが、あの時、触った場所ならはっきりと記憶にある。

 正式に茜のコマンダーとして登録される時のことだ。初めてドロイドと対面して、かなり緊迫していた状況だったが、いきなり『体のどこでもいいから触れ』などと、小躍りしたくなる要求を受けたんだ。せっかくなんで、どこにしようかと色々悩んでいたら、玲子に睨まれ取り急ぎ左の手首を触ったのさ。

 今から思えば変な場所を触らなくてよかった だってよー。すんげえ怖ぇぇ顔してたんだ、あの時の玲子の奴。

 とりあえず左手首を人差し指で触れてみる。
『──承認完了しました。327人分の顔認証データの削除コマンドを受け付けます』
 終わりかと思ったらまだ何かあるようで、音声案内が続く。

『続きまして新規承認コードを発行します』
「ん?」
 俺には何ともないのだが、隣にいた玲子が眉をひそめて耳に指を突っ込み空を見上げた。

『承認コードは《7730、ユウスケ3321》です』

 通りすがりの数人も不審な目をして夜空へ視線を仰いだり、周囲を見渡したりし、続いて玲子が不思議なことを言う。
「今、耳がおかしくなったわ」
 俺はいたく感心した。
 どんな仕組みだか知らないが、俺にだけ承認コードが伝わり、それ以外の人へは音声にスクランブルが掛かるようだ。管理者製のアンドロイドはよくできている。

 すべての処理が終わった茜は、目覚め直後みたいなすっきりした口調に変わり、
「あー、頭が軽くなったれす。ぎゃははは」
 明るい表情に戻すと、湿布薬でも貼ったバアさんみたいに笑った。

「そりゃ……よかったね」
 今後のことを考えると憂鬱になった。こんな面倒くさいヤツの世話をずっとしなければいけないのかと思うと。



 えらい道草を食っちまったが、プロトタイプの輻射波はどこかへ動いた気配は無く、探知器が示すポインターは最初の予想どおり、この先にあるビル、2階辺りを指していた。

 しかしそこは考えもしなかった場所で……。

「マジかよ……」
 俺と玲子は互いに視線を合わせ、そしてゆっくりと見上げた。
  
  
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