乾坤一擲

響 恭也

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南蛮襲来ー戦後処理ー

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 スペイン艦隊は、ほぼ再起不能な状態まで叩かれた。フランシスコ・カブラルは旗艦の爆発に巻き込まれ行方不明、将軍義昭も同じである。ただ旗艦から海に飛び込んで逃げた者も相当数おり、その救助の最中は日本艦隊からの砲撃もなかった。そもそもその救助が終わったあたりで潰走に移ったのである。勝敗は旗艦が炎に包まれた時点で決していたのである。
 九鬼義隆と守隆親子は多大なる武勲を上げた。遠距離での砲撃戦に勝利した功績は彼らの作り上げた水軍の力であった。また、本家の九鬼澄隆も参戦しており、副将として尾張衆の脇坂安治は大規模な戦いは初めてながら、見事に戦い抜いた。
 そして、殊勲は土佐水軍を率いた長宗我部信親であろう。味方の砲撃の合間を縫って攻め上がり、敵旗艦を沈めた判断力と武運は並ではない。元親は家督を信親に譲ることを表明し、自らは石山に屋敷を賜り信忠の相談役に収まることとなる。
 このたびの騒動の仔細を聞いた正親町天皇はことのほかお怒りになられた。私利私欲のために外国を引き入れ、成し遂げられた日ノ本の安寧を見だそうとしたのである。織田のもとにまとまった天下の静謐を見た陛下は禅譲を考えておられたほどであった。
「足利義昭を朝敵とせよ! 将軍位も剝奪の上、彼の者の追討を命ずる! 生きて日ノ本の地を踏ますな!」
 平和主義者で、正義感の強い主上としては非常に珍しいほどのお怒りであった。ただ、義昭の此度の悪行はそれを納得させられるものであり、名実ともに、そして最悪の形で室町幕府は幕を閉じたのである。

 薩摩で戦後処理をしていた光秀のもとに知らせが入ったのは戦いの半月後であった。漂流していた南蛮船が琉球に流れ着いたとの知らせだ。そして生存者の中に天下の謀反人、足利義昭がいるとの知らせである。
 翌日早船を仕立てて光秀と、島津家久らが急行した。

「公方様、いや天下の謀反人、足利義昭。主上の命により、汝を討伐する!」
「どういうことじゃ!? 偽りを申すでない! 早くこの縄を解かぬかこの無礼者が!」
「事情を知らぬようである故、説明いたす。貴様の罪は私利私欲のために外国の兵を引き入れ、日ノ本の安寧を乱そうとした。足利幕府再興など、もはや貴様の世迷言にすぎぬを、そのために日ノ本の民を危険にさらした罪は重い。主上は二度と日ノ本の地を踏むなとの仰せじゃ」
「なんと…なんということじゃ…信長のせいじゃ。あの者がいなければわしは!」
「信長公がいなければ貴様などとうに首になっておるわ。この戯け!」
「儂は足利の名を継ぐものじゃ! 儂が一番偉いのじゃ! 儂に逆らってはいかんのじゃ!」
「もうよい、そこの小舟に乗って去れ。せめてもの情けじゃ。斬らずにおいてやる」
 泣きわめき涙と鼻汁にまみれた顔で義昭は船に乗る。そしてどことも知れぬ方角に漕ぎ出した。沖合に出たころ合いで陸に向けてつぶやく。
「見ておれ、儂はあきらめぬ。儂を追悼するような天皇家ならば儂が潰してやる。見ておれ、怨敵どもよ…」
 ターーーーーーーン!
 唐突に響いた銃声と同時に義昭は自らの胸が血を噴出しているのを知る。
「あれ? 何があった? 誰かある! 手当せよ! 藤孝はおらぬか!? 天下を取り戻すの…じゃ…」
 ザブンと音を立て義昭の遺体は海中に没した。そのまま浮かび上がってくることはなく、足利家最後の将軍は海の藻屑と消えたのである。
 義昭が漕ぎ出した浜辺には鉄砲を構えた光秀の姿があった。傍にいた近習に愛用の銃に弾込めを命じる。そして受け取るとひょいっと構えて引き金を引いた。あまりに無造作な動きに、周囲の者は銃声が響いてから光秀が発砲したことを知ったほどだ。
 そしてもはや人影すら定かでない距離であったにもかかわらず、義昭を撃ち抜いたのである。
「ふん、眉間など撃ってやるものか。腹を撃たれて悶死しろ」
 彼の手にあったのは、本圀寺の変の前に秀隆から拝領した尾張筒であった。

 光秀の普段は見せぬ酷薄な表情と、普通の種子島ではありえない長距離の狙撃。さらにやろうと思えば眉間を撃ち抜くことができたと言い放つ技量。なんかいろいろと目の当たりにして、歴戦の猛者である島津家久をして冷や汗をかいたとのちに言わしめたのであった。

 外敵からの攻撃を防ぎ切った織田家の新たな当主である信忠の武勲は主上からも祝いの言葉が下された。足利家は滅び、日ノ本の統治は織田家に任すとのお言葉があり、織田家は幕府を開くこととなった。平家を名乗る家系で初めての将軍就任である。初代将軍は織田信忠であり、信長は魏武の顰に倣うとだけ告げていた。

「兄上、意味わかって言いました?」
「うむ、なんかかっこいいだろ?」
「ていうか、おおもとは周の文王でしょう? んで岐阜城改名の時の話って…」
「おお、択彦和尚がなんか言うておったの。たんに呼びやすい名前を選んだだけじゃぞ?」
「えっと…」

 この会話は永久に封印されたという。
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