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第1章 あずみ

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 ただの、男と女…。

 それは凄まじい破壊力を秘めたひと言だった。

 僕は腰の奥のあたりで、熱いものが発火するのを感じた。

 ちょうど、快楽中枢に火がともったような、そんなヤバい感じ、とでもいえばわかるだろうか。

 うれしくない、と言ったら嘘になる。

 そもそも僕があずみのもとを離れたのは、己の理性に信頼がおけなくなってきたからだった。

 ひとつ屋根の下で愛する少女と暮らしながら、ただ耐えるしかない生活。

 いつも目の前に大好きなあずみがいる。

 でも僕は何もできない。

 なぜなら僕らは兄と妹、だから。

 そう信じてこれまで我慢してきたのに、こいつはたった一言でその壁をぶち破ってしまったのだ。

 もちろん、問題はある。

 自分で言うように、今のあずみは元のあずみとは少々様子が違う。

 空を飛ぶカラスを素手で捕まえ、生で食べてしまう。

 それはヒトというより、やはりゾンビの属性だろう。

 ゾンビ化に個人差があるのなら、なるほど確かに、あずみがこれから本格的なゾンビに変貌していくという恐れは十分ある。

「わかった」

 考えに考えた末、僕は結論を下した。

「結婚だのなんだのは、とりあえず置いといて、おまえがゾンビにならずに済む方法を探してみよう。どの道、ここに居ても助かる見込みはゼロだ。食料もないし、ライフラインは全部止まってる。俺だけだったら、一歩外に出ただけでゾンビに瞬殺されるだろうけど、おまえが一緒なら、あるいは、って気がするし。でも、やみくもに冒険に出るわけにはいかないぞ。何か、確固たる方針を立てなきゃならないと思う」

「さすがお兄ちゃん」

 あずみがにっと笑ってみせた。

「大丈夫。愛があれば、なんでもできるよ」

「愛だけではだめだ」

 僕はかぶりを振った。

「世の中そんなに甘くない」

「でね。あずみ、考えたんだけど」

 ベッドの端に座り、脚をぶらぶらさせながら、あずみが唐突に話題を変えた。

「いつかのケロヨンに訊いてみたらどうかな」

「ケロヨン?」

「ほら、ネットで調べた時見たブログの管理人」

「なんだかそんなの居たな」

「確かあのブログ、質問コーナーもあった気がするよ」

「そうなのか?」

「なにもしないよりはマシでしょ? ね、訊いてみようよ」


 幸い、ノートパソコンのバッテリーはまだもっていた。

 ベッドサイドのテーブルにパソコンを置き、起動する。

 あずみがくっついてくるので落ちつかない。

 半分ゾンビになっても柔らかいのだ。

 ケロヨンで検索すると、ブログはすぐに見つかった。

 この前の時は気にも留めていなかったのだが、

『裏那古野オメガドライブ』

 という、まったくもって意味不明なタイトルのついたブログだった。

 何の修飾もないページに、事件発生後と思われる市内の写真やゾンビの顔写真などが何枚も載っていて、それぞれに短いコメントがついている。

 それとは別に歴史の年表みたいに事件の流れを時系列に沿って並べた表まであり、全体的に管理人の知性の高さを感じさせるクールな内容である。

 しかも最新の更新はきょうの日付になってるから、この管理人、まだ生きてるってことになる。

 一番下の『投稿欄』に、僕の右腕にプニプニした胸のふくらみを明らかにわざとくっつけながら、あずみがすらすらと文章を書き込んだ。

『出雲あずみ、17歳、高校生です。

 知らないおばあちゃんに噛まれて、ハーフゾンビになっちゃいました。

 助かる方法を、教えてください。

 よろしくお願いします』

「なんか、小学生の作文みたいだな」

 一読して、僕は呆れた。

 こんなので返事がくるとは、とても思えない。

 ケロヨンが何者か知らないが、バカに返事を書くほど暇ではないだろう。

「直球ど真ん中のストレートが効くんだよ。愛の告白だってそうでしょう?」

 あずみがぷうっと頬を膨らませた時だった。

 あろうことか、返信が来た。

 それは、こんな一文だった。

『方法はある。ドーム前のイオンに行け』

「ほら!」

 あずみが歓声を上げて、僕の腕にしがみついてきた。

 過剰なスキンシップに戸惑いながら、必死で頭を働かせる。

 イオン?

 なんでまた?

 確かにゾンビ映画では、ショッピングセンターに逃げ込むのは定番中の定番だ。

 でも、なんでゾンビ化を止める方法がイオンなんかに?

『わかりました。ドーム前ですね。イオンに着いたら何をすればいいですか?』

 あずみがまたしても、英語の教科書の直訳みたいな文章を打ち込んだ。

『着いたら連絡したまえ。これは重要機密だ。手に入れるには、それなりの力を見せてほしい』

 間髪を入れず、また返信が来た。

『力って、何ですか?』

『地獄を生き抜く力だ。真の勇気と力を持つ者だけに、私はこの情報を提供しよう』

 どうやらそれで会話は終わりのようだった。

『はい。あずみ、お兄ちゃんと一緒に、がんばりマス!』

 というあずみのメッセージには、もう返事が来なかったからだ。

「やれやれ。何様なんだ、こいつ」

 肩をすくめて、僕はぼやいた。

 これを信じろというのか?

 まあ、確かにイオンなら、自家発電装置くらいありそうだし、自給自足のライフラインもある程度備えている可能性が高い。

 だからもちろん食べ物もある。

 そして、おそらく生肉も。

 どうせ外に出るのなら、目的地としては、申し分ないといっていい。

 しかし、イオンの中に、ゾンビ化を止める方法なんて、本当にあるのだろうか?

 首をひねっていると、

「行くっきゃないね、お兄ちゃん」

 あずみが頬をすりすりしてきた。

「まあ、よくわかんないけど、水も食べ物もありそうだしな。よし。そうと決まったら、出発の準備だ」

 僕はさりげなくあずみのボディランゲージをかわして、ベッドサイドから立ち上がった。

 なぜって。

 これ以上くっつかれたら、理性のタガが吹っ飛びそうだったからである。









 




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