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第3章 イオン奪還

action 2 装備

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「い、いや、今はダメだ」

 僕はかぶりを振った。

「…どうして?」

 あずみの顔に、傷ついたような表情が浮かんだ。

「夕べ、お兄ちゃん、あずみを朝まで抱いて寝てくれたよね? あずみ、とっても嬉しかった。とっても、幸せな気分だったよ。あれは、何だったの? ただの同情?」

「あ、いや、そうじゃなくて」

 僕は頭を掻いた。

「実はさ、さっきまで一平とニコチン爆弾つくってただろ? だから煙草の臭いがすっかり服に染み込んじゃって。こんな状態で、おまえと、その…キスなんてできないじゃないか」

「あ、そういえば」

 あずみが可愛い鼻をぴくぴくさせた。

「お兄ちゃん、くさーい」

「だろ?」
 
 苦笑いしてごまかした。

 したくないと言えばうそになる。

 いや、はっきりいって、したい。

 キスだって、できればその先のことだって…。

 だがそれは、彼女いない歴20年の僕には、すぐには無理というものだった。

 きのうのあれが夢じゃなかったとしても…。

 おそらくそれが僕には精一杯だったのだ。

「それよりおまえさ」

 気分を変えるために、僕はあずみの服装に話題を振ることにした。

「そんな装備でほんとに大丈夫なの?」

 ロンググローブとブーツ、そして登山靴はいいとしても、あずみは夏服のセーラー服にミニひだスカートのままなのである。

 新しいのに着替えてはいるようだが、スタイルとしてはここに来た時とほとんど変わらない。

「ふふーん、あんまり変わってないように見えるでしょ。でもね、意外にあずみ、すごいんだよ」

 あずみが得意そうに笑った。

 どうやら機嫌が直ったみたいだ。

 僕はひとまずほっとした。

「まずね、このブーツ」

 あずみが膝を曲げ、右手で右足を持ち上げてみせた。

 今にも下着が見えそうな、際どい姿勢である。

「これは革のブーツを足首の所で切って、脚絆の代わりにしてるわけ。だからその下に登山靴が履けるわけなんだけど。で、この登山靴の裏は、ほら、こんなふうに鉄の鋲でいっぱいでしょ」

「踏まれたら死ぬな」

「それから右手にはね」

 足を下ろして、あずみが僕の胸元に、すっと右の拳をつきつけた。

 ブーツ同様、ロンググローブは手首のところで切ってあり、その先の手の甲に、棘だらけの銀色のワッカのようなものがはまっている。

「これ、何かわかる? ステンレススチール製のナックルだよ」

 ゾンビとの戦いぶりを見る限りでは、素手でもあずみのパンチはかなり強力だった。

 それがこんなものを装着して殴られたのでは、ゾンビやヤクザのほうが可哀想というものだ。

「あとね、胸もほら」

 あずみがいきなりセーラー服の上着をめくり上げた。

 突き出たロケットおっぱいを、黄金色の胸当てが覆っていた。

「展示品の、プラチナ製ブラ。ちょっときついけど、頑丈そうでしょ」

 なるほどそれはそうだが、大きくはみ出た下乳はなんとかならないものだろうか。

「最後にパンツだけど」

 くるりと後ろを向き、ぷりっとしたヒップを突き出すあずみ。

 突き出しただけでなく、自分からパッとスカートをめくったのには仰天した。

 下から現れたのは、下半身に極限まで密着した紺のブルマである。

「うは。マジか」
  
 僕は呻いた。

「ブルマって、エロすぎるからって理由で、平成の世になって教育現場から追放されたんじゃ…」

「ブルセラショップとかいうお店にあったよ。でもなんだろ? ブルセラって」

 あずみがケロッとした顔で言う。

「ブルマとセーラー服の略語だよ。しかし、ただのシャッター商店街かと思ったら、この界隈、なかなか品ぞろえがすごいんだな」

「そりゃ、武器産業の闇の下請け、山田工務店があるくらいだもの」

「確かに」

 ナックルだのプラチナのブラジャーだのブルマだのは、イオンのような量販店には間違っても売っていないに違いない。

「ね、だからあずみ、けっこうステータス上がってるでしょ」

「そうだな。まあ、ブルマの防御力にはあまり期待できないが」

「だけどもね、体育の授業の時のハーフパンツはね、あずみ、嫌いなの」

「え? なんで?」

「お股がスースーするもん」

「そうなのか?」

「うん。風邪引いちゃう。それに比べてこのブルマは、いいね」

 スカートをめくったまま、おどけてお尻を左右に振る。

「フィット感がたまんない。デザイン的にもさ、お兄ちゃん、こっちのが好きかな、と思って」

 図星だった。

 いや、日本全国の男性陣にとって、ブルマの復権は、まさしく悲願に値するものなのだ。

 その証拠に。

「あずみ、一枚、いいかな」

 ふと気がつくと、一平が至近距離まで忍び寄り、あずみのお尻めがけてスマホを構えていた。

「っ!」

 あずみの眼が光った。

 次の瞬間、さあっと砂埃が舞った。

 左足を軸に、あずみの長い右脚が風車のように回転し、一平の手のスマホを蹴り飛ばしたのだ。

「うわあ、何すんだよ!」

 悲鳴を上げ、放物線を描いて宙に舞い上がるスマホを、一平が見送った。

「千年早いよ」

 スカートの埃を両手で払い、澄ました顔であずみが言った。

 長い手足を覆う真紅のロングブーツとロンググローブ。

 足にはヒグマでも蹴倒せそうな頑丈そのものの登山靴。
 
 完璧なボディを包んだ純白のセーラー服と紺色の超ミニ丈ひだスカート。

 頬には酋長の娘を連想させる白のライン。

 きりっとした切れ長の眼。

 形のいい顔をふんわりと包む肩まで伸びた髪。

 その究極の戦闘少女スタイルのあずみの前に、小学生の一平はあまりに無力で矮小に見えた。

 今度は、千年か…。

 僕はこの時初めて、一平のことがほんの少し可哀想になった。

 兄と妹の関係がなかったら、僕も彼と同じ運命をたどっていたかもしれないのだ。

 ふと、そう思ったからである。









 

 
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