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第一章 モフはモフを呼ぶ

第5話「猫パンチは急には止まれない」

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 俺たちは地下の訓練場にやってきた。

 円形の闘技場みたいになっていて、広さもかなりある。
 地面は固い土で、周囲の観客席っぽいところは石造のようだ。

 みんな暇だったのだろうか……。

 ひいふうみゃ……、二十人くらいの冒険者たちが観客席に散らばっている。

 まあ野次馬だろうけど、あの兄弟だけよりかはいいか。

「クルニャー(まるでコロシアムだな)」

 もちろん実際に見たことはないが、頭に浮かんだのはローマのコロシアムの簡易版だ。

「へ~、すごいね~」

 リルが感心している。

 たしかにかなり立派に作られている。
 物理的に、そして魔法的に暴れるのが前提だから当然か。

 俺たちは訓練場の中に足を踏み入れる。

 ガロン兄弟とガルム、リルと俺、と闘技場に入ったところで、一人の男が一緒についてきた。

「決闘ということだから、僕が立会人をやろう」

「クルルゥ?(誰だ?)」

 二十代だろうか、チャラそうな見た目。 
 軽装で腰にナイフを差している。
 なんとなく斥候職かなと思った。

 観客席が少しざわついている。
 観客席まで距離があるけど聞き取れそうだ。
 ちょっと聞き耳を立ててみる。

「おい、Bランクのハンズだぞ」
「閃光のハンズよ。最近Bランクに上がったのよね」
「かっこいいよね。私あの人だったら……」

 Bランクって一流冒険者って言われてるんだよね。
 閃光……か。
 二つ名って憧れるよね。
 いつかリルや……、俺にも二つ名とか付くときがくるのかな。

 ハンズは同じBランクのガロン兄弟と違って評判も良さそうだ。

 チャラいけど……。

 リルにはあまり近寄らないでね。
 
「ハンズよお、頼んでもいねえのに邪魔するのは勘弁してくれよ」

 ガロン兄弟の兄の方が文句を言う。

「なあに、口を出したり、結果に文句を言ったりはしないよ。ただの立会人さ」

 ハンズは飄々ひょうひょうとした様子でそれに応える。
 
「ちっ……、早くはじめようぜ」


 というわけで、ハンズ立会いの元、決闘が行われることになった。

 向かい合う俺とガルム。
 リルとガロン兄弟は戦いの場から距離をとる。

 ハンズも戦いの邪魔にならない位置に移動した。

「じゃあ始めるよ。従魔どうしの戦い。お互い結果には遺恨を残さないように。始めっ!!」

 ハンズの掛け声で、俺とガルムの戦闘が開始した。

「ガルム! やっちまえ!! 食い殺せっ!!」

 ガロン兄の下品なかけごえが飛ぶ。

「ガルルルゥ……」

 ガルムがこっちを威嚇してくる。
 ガラの悪い魔物だ。ペットは飼い主に似るって本当かもね。

 俺はリルに似たら嬉しいよ!

 あんなに可愛くて、モフモフで、性格もすごく良くて。

 リルの方をチラリ見ると、心配そうな顔をしている。

「がんばって! シュン!」

 リルは胸の前でこぶしを握りしめている。

 大丈夫だよと、尻尾をフリフリしておく。


 このガルム、Cランクの魔物だっけ

 この感じだと、相手は俺を殺すつもりでかかってきそうだ。
 まあ、組み伏せて、はいおしまいだとは思ってなかったけど。

 あの鹿よりも、2ランクも上の魔物。
 見た感じはあまり強そうに見えないけど、強い奴ほど実力を隠すのだろう。

 殺さないようにとか、手加減してるとこっちがやられちゃうよね。


「クルゥ!(全力で叩く!)」

 まずは牽制!

 俺は風刃ふうじんをジャブの要領で、ガルムに向かって放つ。

 空気が揺らぎ、次の瞬間には、放った風刃がガルムの顔をかすめ、後方の壁にあたる。
 ビシッと音を立て、観客席手前の石壁には亀裂が入った。

 ガルムのおでこ辺りの毛がパラパラと落ちる。
 
 風神がかすり、ガルムのおでこのところが剃り込み入れたみたいになった。
 凶悪さが増したよ……。

「ニャ?(あれ? 反応しない?)」

 あれか、瞬時に見切って、避ける必要すら無かった的な?
 反応できないわけないから、わざと反応しなかっただけだろう。

 観客席がざわつく。

「え? 今なんかした? 急にそこの壁に亀裂が入ったんだけど」
「そうね。何か音も聞こえたわ」
「けど、誰も動いてないだろ。なんか突風を感じたけどさ」

 戦闘に集中しているせいか、いまいち会話が聞き取れない……。

 きっと、そんな技じゃガルムに通じないとか言ってるんだろう。
 悪かったな、そんな技で。

 鹿の技だよ。

 立会人のハンズをチラリと見てみる。

「な、何だ今のは? この閃光のハンズをもってして見えないだと……」

 ハンズが狼狽うろたえているように見える。

「何かをしたのは確かなのだが……」

 ハンズがぶつぶつと呟いている。

 これはきっと、盛り上げるための演出の一部だな。
 格闘技の解説で、見えてるのに「何だ今のは~!!」みたいな感じだろう。

 Eランクの魔物の技が見えないはずないもんね。

 ハンズ、なかなかの演出家じゃないか。
 自分で二つ名を言ってるのは、ちょっと恥ずかしいけど……。

 ガロン兄弟が無反応なことからも、ハンズの反応は演出で間違いないだろう。
 あの兄弟め……、余裕ぶりやがって……。

 ガルムの様子をうかがう。

 なんかプルプルと震えてる?
 四つ足がガクガクしているようにも見える。

 何かの技か!?

 近づこうかと思ったけど、真っすぐ向かうのはまずいか?

 俺はフェイントを織り交ぜながらジグザグとガルムに近づくことにした。

「ニャッ!(行くぞ!)」

 俺は不規則に動きながらガルムに近づく。

「なっ!? 姿が消えた!?」

 ハンズの声が聞こえる。

 相変わらず演出が上手いなあ。
 さすが、Bランク冒険者。

 フェイントっていっても、見えなくなるほど速くはないはず。
 きっと盛り上げようとしてくれてるんだろう。
 そのサービス精神には恐れ入る。

 動きながら、俺はガルムの左後方にきた。
 手をのばせば届く距離だ。

 無反応なガルムを不思議に思いながらも、俺は左手で全力の猫パンチを繰り出す。
 なんとなく、竜鱗の腕じゃない普通の猫の手の方にした。

 ガルムに届く瞬間。

 凶悪なガルムの横顔が視界に入った。
 その顔はさっきまで俺がいた位置に向いている。

 けど、ガルムがなぜか涙目になっている。

 涙目……?

 俺は、何か大きな勘違いをしているような気がした。
 何かまでは分からないけど、根本的な勘違いを……。

 とっさに、全力猫パンチの威力を八割オフにした。
 急ブレーキだ。バーゲンセールだ。

 ただ、猫パンチは急には止まれない。

 ガルムに猫パンチがあたる。
 威力はだいぶ落ちている猫パンチだ。

 肉球がガルムの顔にめり込む。

「――キャンッ!?」

 ガルムは甲高い悲鳴をあげてふっ飛んでいく。

 そして、観客席手前の石壁に音を立ててぶつかった。

「…………」

 静寂が場を支配する。

 ガルムは動かないし、観客もなぜか動かない。

 誰も何も反応がないから、一瞬……、本当に一瞬だけ、ついに俺は時を止めてしまったかと思った。

 いや、ほんと一瞬だけだから。

 とりあえず……、ガルムに起き上がる気配はない。

 リルを見ると、目をキラキラさせながらこっちを見ていた。

 そんなリルがガッツポーズを取りながら、「さすがシュンだよ~。かっこ可愛かったよ」とつぶやいてるのが聞こえた。

 リルの耳ピコピコ、尻尾フリフリも見えて、戦闘モードだった俺の緊張がほぐれる。

 ええと、これって……。

「クルニャン?(俺の勝ちかな?)」

 可愛らしい猫の鳴き声が、静かな闘技場にやたら響いたのだった。
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