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4巻

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 ■プロローグ


 最近、なんだか良い夢を見ている気がする。
 この世界に来て何度目かの朝。俺――杖本優人つえもとゆうとは机にしてまどろみながら、そんなことを考えていた。
 高い所から落ちるとか、意味不明な怖いやつとかじゃなく、ずっと見ていたいと思える夢がここのところ続いているのだ。
 元の世界にいたときは、夢について深く考えたことはなかったし、そもそも夢を見た覚えがほとんどないので、こちらの世界に来て自然と意識するようになった。
 夢の内容も、元の世界のことではなく、こちらの世界のことだし。
 まあ、そもそもここは夢みたいな世界なので、寝ても覚めても夢の中にいるのと変わらないのかもしれないが。
 他愛たあいのないことを考えながら身をよじり、今しばらく眠気に身を任せる。いや、起こしに来てくれるのを待っていると言い換えた方がいいかもしれない。
 最近、良い夢を見る理由……それはきっと、男子諸君が一度は〝夢に見る〟であろう、美少女に起こしてもらえるというイベントがあるからだ。
 そのために俺は、自力で起きられる場合でも、こうして寝たフリをしている。
 早く起こしに来てくれないかなぁ。なんならいびきをかいているフリもしてみようか……なんて、よこしまな考えをめぐらせる今朝の俺を目覚めさせたのは、残念ながら美少女ではなかった。
 突然、部屋が音を立ててぐらついた。

「おわっ!」

 その衝撃に思わず飛び起きてしまう。
 見ると、机のみならず、窓や置物、天井にるされた魔法科学を利用したランプもキィキィと音を立てて揺れていた。
 しばらくランプの青白い光を目で追っていると、次第に揺れは収まっていき、再び部屋に静寂せいじゃくが訪れる。
 揺れの余韻よいんでいまだに動くランプを見上げながら、俺は欠伸あくび混じりに独りごちた。

「ふわぁぁぁ……最近多いなぁ、地震」

 この世界で普段どの程度地震が発生するのかはさっぱり分からないが、四、五日前からずっとこれが続いているのだ。
 一日三回というときもあるので、ちょっと普通じゃない気がする。

「そうですねぇ」
「うわっ!」

 突然後ろから声を掛けられて、ぐるりと首を巡らせる。
 そこにはライトブラウンの髪をこしまで伸ばした、美しい少女の姿があった。
 魔法使いたちが暮らすこの魔法都市でも屈指くっしの回復魔法の使い手で、俺に回復魔法を教えてくれる先生でもあるフーレさんだ。
 彼女はクラフト魔法女学院の生徒にして〝聖女〟と呼ばれる逸材だ。
 俺は少し遅れてやってきた恥ずかしさを誤魔化ごまかすために、口元を隠して苦笑する。

「い、いたんですかフーレさん」
「はい。ここは私の部屋ですから」
「……ですよね」

 俺が寝起きでボケていただけだった。
 それにしても、無防備に大欠伸しているところを見られてしまっただなんて、恥ずかしい。
 フーレさんは部屋で寝落ちした俺をいつも起こしてくれるのだが、なんとなく、寝顔を見られるのはセーフで、欠伸はアウトな気がする。
 そんな俺の心中を知ってか知らずか、フーレさんは相変わらず優しそうな笑顔で部屋の中央を指差した。

「朝ご飯、できてますよ。さぁ、食べましょう」
「は、はい」

 窓からし込む朝日に照らされて湯気ゆげを上げる朝ご飯は、いつもながらとても美味おいしそうに見える。
 きっと彼女が作ってくれるこの朝食も、俺の良い夢の成分になっているのだろう。


 第四迷宮都市フィーアに行くことを決めてから五日。
 今日この後、俺は相棒の魔法使いの少女――ノアとともにこの魔法都市を旅立つことになっている。
 街を出ると決めてからというもの、俺はフーレさんの部屋にもって、彼女の指導のもと回復魔法の修業に没頭した。具体的には範囲回復魔法、ヒーリングの範囲操作の会得だ。
 結果はまずまず良好と言っていいだろう。
 しかし、フーレさんとのお別れが決まってから、あっという間に今日という日を迎えてしまったような気がする。
 俺は彼女が作ってくれた最後の朝食を、できる限りゆっくり味わって食べながら、時折正面に座る彼女に目を向ける。
 フーレさんは俺と同じペースで朝食を口に運んでいて、いつも通りの様子だった。
 俺だけが別れを意識しているのかな? それとも、もしかして、俺ってかなり寂しがり屋? なんてつまらないことを考えていると、不意に彼女が口を開いた。

「今日ですよね? 魔法都市を旅立つの」
「えっ……は、はい、そうです」
「確か朝に集合という話でしたが、時間は大丈夫ですか? ノアさんはそろそろ待ち合わせの場所に来ているんじゃないですか?」
「い、いやぁ、まだ平気だと思いますよ? あいつ、朝弱いんで。それに早食いは体に悪いから、ゆっくり食べましょう。ゆっくり」

 そう言って、俺はさっぱりした味付けの野菜スープを、特に熱くもないのにフーフーしてからすする。
 どんだけこの部屋にいたいんだよ、俺は……
 しかし、それも無理からぬことだ。たった数週間しか一緒にいなかったけど、彼女は俺の中でとても大きな存在になっていた。ただ回復魔法を教えてくれるだけでなく、気がつけばいつもサポートしてくれて、俺のわがままだって聞いてくれる。
 いまだ友達ゼロ人の〝ぼっち〟な俺には、彼女のような存在をなんて呼べばいいのか分からないけど、別れぎわの今、こうして胸を痛めているのだから、大切な人であるのは間違いない。
 そんな気持ちを抱えながらもこの状況に相応ふさわしい言葉が思いつかず、俺はただ黙々もくもくとスプーンを動かし続けた。
 小部屋を満たす静寂を破ったのは、またも彼女の声だった。

「ツエモトさんたちがいなくなったら、こんな風に静かになってしまうんでしょうね」
「えっ……?」
「ツエモトさんたちが来てから結構経ちますし、自分の部屋が以前どんな感じだったのか思い出せなくて。きっとさっきみたいに静かだったんでしょうね」

 フーレさんは自分の部屋を感慨かんがい深そうに見渡した後、ふっと目をせた。
 一瞬、彼女の顔にかげが差す。
 俺はするどく息を呑み、目を見張みはった。
 すぐに彼女は元の様子に戻って食事を再開したが、俺はしばらくの間スプーンを動かせずにいた。
 彼女が一瞬だけ見せた暗い表情の理由はさだかではないが、俺たちの旅立ちが間近に迫って何か思うところがあるのかもしれない。
 いつも俺たちの前で笑みを浮かべて、弱気なところなんて微塵みじんも見せなかった彼女の顔から、どこか寂しそうな思いがにじんでいた。
 これは単に俺が、そうであってほしいと願っているから?
 いや、違う。
 そこで俺は、彼女の本質を思い出した。
 フーレさんは聖女とたたえられるほど有名な回復魔法使いで、学校ではあこがれのまとになっている。いわば、高嶺たかねの花だ。そんな彼女には、友人と呼べる人はほとんどいないらしい。
 実は俺やノアと同じく、孤独なのだ。
 周りからは一方的に知られていて、話し相手がたくさんいても、部屋に招くほど親しい人はいない。友達というよりテレビの向こう側の有名人みたいな存在になっている。
 そんな彼女が俺やノアと一緒に過ごすことで、最近この部屋はにぎやかになった。それが消えてしまうということを改めて意識して、彼女は寂しくなったのかもしれない。
 人と話すのが好きなフーレさんが、そんな気持ちを抱くのは当然だ。俺たちがこの街を去ったら、また前のように高嶺の花に戻ってしまう。
 ここに至って俺は、今さらながら彼女の置かれている状況を理解した。
 そして、一つの妙案を思いつき、自然と口を開いていた。

「あ、あの!」
「……?」

 フーレさんは優しい微笑ほほえみをたたえて俺の呼びかけに応えてくれる。
 その表情を見た俺は、一瞬躊躇ちゅうちょして舌が重くなり、すぐには続きの言葉を口にすることができなかった。
 今思いついた妙案というのは、ただ俺がそうしたいだけで、相手の都合なんか一切考えていないんじゃないか?
 それに、彼女自身が寂しいと言ったわけじゃない。
 先ほどの暗い表情だって、何か別の心配事があっただけだとも考えられる。
 ノアはともかく、俺みたいな奴がいなくなったところで、有名人の聖女様が気持ちを揺さぶられるはずがない。
 そう思っているにもかかわらず、俺は無意識のうちに荷物に手を入れ、ノアに渡されていた地図を取り出していた。
 そして、数日前のノアと同じく地図上の一点を指差して、小首をかしげるフーレさんに問いかけた。

「も、もしよかったら、俺たちと一緒に行きませんか?」

 大きく見開かれたフーレさんの綺麗きれいな瞳に、〝第四迷宮都市フィーア〟を指差した俺の姿が映り込む。
 ……言ってしまった。
 彼女の事情なんか一切考えず、自分がこうしたいだけの希望を。これは完全に俺のわがままだ。
 再び静寂がこの部屋に訪れる。
 その沈黙にいたたまれなくなった俺は、言い訳がましく言葉を重ねていた。

「あっ、ほら、第四迷宮都市フィーアには、回復魔法の使い手が少ないっていう話だし、魔法都市でも屈指の回復魔法使いであるフーレさんが来てくれれば、とっても心強いなぁって。それに、俺もノアも、フーレさんとずっと一緒にいられればうれしいし」

 しゃべっているうちに段々恥ずかしくなってきて、尻すぼみになる。
 最後に、あははとわざとらしく笑いながら頭をいた。
 その様子を見たフーレさんは、目をゆっくりと細めていき、躊躇ためらうように視線を泳がせる。
 しばらくそのままでいたが、やがて考えがまとまったのか、いつもと同じ優しい笑みを向けて答えてくれた。

「私がお二人に、ついていくわけにはいきません」

 今度はこちらが固まる番だった。
 彼女がどう返事をするか、多少は予想していたものの、心のどこかで自分のわがままが通るんじゃないかと期待していた。
 少し理由を想像してみる。
 単純にこの街から外に出たことがないから不安なのか、あるいは、魔物と戦ったことがなくて怖いとか?
 もしかしたら、魔法都市の人たちのために何かやりたいことがあるのかもしれない。
 それを事前に察することができず、不用意に彼女を旅に誘ったことを、俺は反省した。
 あえて彼女に理由を聞くことはせず、先ほどの無礼をおびする。

「そう……ですか。変なこと言ってごめんなさい」

 ぎこちなく頭を下げて、誤魔化すようにスープを一口啜る。
 するとフーレさんは、めたスープすら温まりそうな優しい微笑みをたたえて、首を横に振った。

「いえ、誘っていただいたのは、とっても嬉しかったです。私もツエモトさんたちと一緒に旅がしたかったです。ただ……」

 フーレさんはそこで一度口をつぐみ、少しくもった表情をつくろうように、冗談めかして言った。

「お二人の邪魔をしたくないと思ったんです」

 いつもの笑みとは若干違うその表情を見ても、彼女が本気なのかどうか、俺には分からなかった。
 うそはついていないが、本当のことも言っていない。
 冗談で真意を塗り隠したその台詞せりふを聞いた俺は、理由を問いたい衝動を抑え込み、彼女に調子を合わせることにした。

「邪魔なんてことありませんよ。ノアと二人っきりだと大変なことも多いですし。このところはフーレさんがいてくれたから大助かりでした。なんだかんだで世話が焼けるんですよ、あいつ」

 どの口が言うか、と心中でツッコミを入れる。
 迷惑を掛けているのは誰がどう見ても俺の方なのに。
 地下迷宮での情けない思い出が頭をよぎり、ついつい自嘲じちょうめいた笑いがこみ上げる。
 その最中、空耳ともとれるフーレさんのささやきが、聞こえた気がした。

「(……だから私は入り込めないんです)」
「……フーレさん?」
「さあ、遅くなってしまいましたし、そろそろ行きましょう。まだ食べ終わってはいませんけど、持っていけるものは包んでしまえば大丈夫です。旅の途中で食べてください」

 話を切り上げるように、フーレさんはあわただしく席を離れる。
 彼女の様子に何か引っ掛かりを覚えたものの、どんな言葉をかければいいのか分からず、俺は少しの間呆然ぼうぜんとその場に座り続けた。


   ********


 場所は変わって、魔法都市の正門前。

「遅いですね、ノアのやつ」
「きっと準備に時間がかかってるんですよ」

 俺とフーレさんは、人々が行き交うメインストリートを眺めながら、水色髪の少女の姿を探していた。
 魔法都市を旅立つ瞬間が刻一刻と近づいている。
 結局、あの後すぐに部屋を出てしまった。
 残った朝ご飯はほとんど包んでしまったし、フーレさんと過ごす最後の朝食の余韻を楽しむ時間もなかった。
 ここに来るまでの間も、彼女の本心が気になって一人で考え込み、会話に適当な相槌あいづちを打つだけというていたらく。
 フーレさんはなんら変わりなく振る舞っていたというのに……
 一緒にいられる残りわずかな時間を、最大限楽しむべきじゃなかったのかと、自省する。

「あっ、ノアさんが来たみたいですよ」

 不意に隣からフーレさんの明るい声がした。
 見ると、彼女はメインストリートの中央を指差して微笑んでいた。釣られて俺もそちらに視線を移す。
 この街で最大の往来おうらいにもまれながら、水色の髪を三つみにした少女が必死な様子でこちらに手を振っていた。
 俺も隣のフーレさん同様、ほおゆるめる。
 すっかり見慣れた青マントに青い服と、全身青で固めた少女は、俺の目の前まで走ってくると、最後にぴょんと両足をそろえて止まった。

「お待たせしました、ツエモトさん」

 さわやかな笑顔を引き締めて、ノアはびしっと敬礼をした。

「……」

 うん、まあ、可愛かわいいんじゃないんですか。
 そんな感想はさておき、彼女の後ろに見え隠れする不可解なものについて、小声で聞いてみた。

「なんであいつらがいるんだよ」

 彼女の後ろで揺れる桃色の長髪は、火属性魔法の使い手として知られるアゼリアのもの。
 そして薄青色のポニーテールとツインテールは、アネとモネの双子ふたごだ。
 なぜその三人がここにいるのか、俺には理解できなかった。
 何せ三人は少し前までノアのことをいじめていたのだから。そのいじめは俺が決闘してやめさせることができた(?)けど、それはごく最近の話だ。
 最終的に三人とノアは和解したとはいえ、俺は少し身構えてしまう。
 そして先ほどの、虫の羽音にも満たないほど小さな俺の問いかけは、桃色髪の少女の耳にしっかり届いていたみたいだ。

「見送りに来ちゃ悪いの?」
「うっ……」

 なんという地獄耳じごくみみ。彼女の前で内緒話をするのはやめた方が良さそうだ。
 理由を聞いただけで文句は言っていないとでも言い返してやろうかと思ったが、アゼリアの後方で身構えるアネとモネの視線に気圧けおされてできなかった。
 ガルルとうなりそうな勢いで威嚇いかくしてくる双子の姉妹から視線を外し、俺は普通の声量でノアに聞く。

「ていうか、もう三人と仲良くなったの? この五日間、ノアは何してたわけ?」
「えっ? えっと……」

 水色髪の少女は、なぜか居心地いごこちが悪そうに身をよじり、ちらちら後ろを確認しながら小さく返事をした。

「アゼリアさんたちとは、仲良くなれましたよ。何をしていたのかというと、普通に学校の授業に出てました。あと、魔法の修業とか……」
「ふぅ~ん……」

 なく返す俺だったが、内心ではかなりびっくりしている。
 まさか、見送りに来るほど彼女たちと仲良くなっていたとは。
 普通に授業に出て、学校で顔を合わせているだけじゃ、こうはならないはずだ。一体どんな手品てじなを使ったんだ? ぼっちの俺にはさっぱりだ。
 頭上に疑問符を浮かべる俺をよそに、少女五人が言葉を交わし合う。
 そして軽い雑談を終えたころを見計みはからって、俺は口を開いた。

「んじゃ、行くかノア」
「はい!」

 短くそう言って、俺とノアは魔法都市の出入り口である巨大な門を通り抜ける。
 それからくるっと振り向いて、改めて四人の少女の顔を見た。
 まずノアが最後の挨拶あいさつをする。

「皆さん、色々とありがとうございました。またこの街に戻ってきたとき、改めてお礼をさせてください」

 アゼリアとアネ、モネ姉妹は大きくうなずき返し、フーレさんは顔をほころばせた。
 そして俺もお礼を言う。フーレさんのみに。

「フーレさん、色々とありがとうございました」
「いえいえ、お礼を言うのはこちらの方ですよ。とっても楽しかったです」

 最初に見たときと変わらない、温かな笑顔。
 不意に俺は、先刻彼女が見せたどこか寂しげな表情を思い出す。
 いつも笑顔の彼女が初めて見せた、あの瞳。
 やっぱり、フーレさんは無理して強がっているのではないか。そんな風に考えた俺は、未練がましく再び旅への同行を持ちかけようとした。

「あ、あの……フーレさん」
「大丈夫ですよ、ツエモトさん」

 言い終える前にさえぎられてしまい、俺の誘いは未然に断られてしまった。
 彼女はその返答の意味を示すためか、隣にいるアゼリアに抱きつく。

「私にはほら、アゼリアさんがいますから」
「ちょ! 何やってんのよ、フーレ」

 次いでその後ろの青髪姉妹にも。

「それにアネさんとモネさんも」
『きゃっ!』

 ひとしきりぎゅっとしてから、フーレさんは屈託くったくのない笑みを浮かべて言った。

「ですから、私のことは気にしないでください」
「……は、はい」

 あそこまでのものを見せられてしまったら、頷く以外にない。
 たとえそれが彼女の強がりだったとしても。
 彼女の本心を理解することができなかった俺には、これ以上どうこう言う資格なんてない。
 それに、彼女ははっきりこう言った。
 俺たちとは一緒に行かない、と。
 理由はどうあれ、それは彼女自身が決めたことで、無理いしたら本当に俺のわがままになってしまう。
 だから俺は、芸のない感じで、先程のノアとそっくりなことを言った。

「また絶対にこの街に戻ってきて、フーレさんの部屋に遊びに行きますよ。そのときは改めて、以前約束したご飯をご馳走ちそうしたいと思います」
「はい、楽しみにしていますね」

 彼女はやはり、いつもの優しい笑みで応えてくれた。
 そしてついに俺たちは、四人の少女に手を振り返しながら、魔法都市を出発した。
 街道を進みながらも、数歩進んで振り返り、また数歩進んでは振り返りと、未練がましく十回以上は繰り返した。
 フーレさん、アゼリア、アネ、モネ姉妹の四人は、その度に手を振ってくれて、完全に姿が見えなくなるまで俺たちの背中を見届けてくれた。
 しばらくの間、ノアと二人で黙々と平坦な道を歩く。
 確か少し先にある小さな村から出ている馬車に乗るんだよなぁ、などと、別れの場面を振り払うように思考をらす。
 すると不意に、脇からひょこっとノアが顔を出す。
 マントについているフードは被っていないので、透明感のある前髪の下の表情は、嫌というほど明らかだった。
 彼女はまるで、悪戯いたずら好きの少年が好きな子にちょっかいを出すみたいに、それでいてどこかこちらを気遣きづかう様子で聞いてきた。

「寂しいですか、ツエモトさん?」

 ……寂しい。
 なんて素直すなおに言えるはずもなく、恥ずかしさを隠すために少し冗談めかして返した。

「あぁ、すっごく寂しいよ。だから、お前の〝お願い〟なんてさっさと達成して、またこの街に戻ってこよう」

 そうは言ったものの、今となってはノアとのこの旅を楽しんでいる俺がいるわけだけど。

「……」

 ノアはしばし呆然と俺の顔を見つめていたが、やがて視線を前に戻すと、小さく笑って応えた。

「はい、そうですね」

 俺は、たくさんの人たちに借りがある。
 それはもう言い表せないくらいの。
 クラスの人たちしかり、この世界で出会った人たち然り、隣を歩く水色髪の少女然り。
 借りを返さなければならない人の数なら簡単に数えることができるけど、その借りの大きさは、大すぎて測ることができない。
 そしてまた一つ、この街で借りを作ってしまった。
 師匠であり、恩人でもある、この街最高の回復魔法の使い手、〝聖女〟ことフーレさんに。
 その恩返しは、食事をご馳走するくらいではもちろん足りない。かと言って、何をすれば同等のお返しになるか、俺には分からない。
 たぶんあの人は、「そんなのいりません」と言うに決まっている。
 だけど、きっとまたこの街に戻ってこよう。
 隣にいる水色髪の少女とともに。
 新たな決意を胸に、俺は魔法都市を旅立った。

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