『安和の変』と『千常の乱』②

 上記が記録に残っている事。

 しかし、『千常の乱』に付いては全て謎だらけなのです。

①何故千常が信濃に居たのか分かっていない。
②『秀郷の子らに教喩を与えた』で収束してしまっている。 
③起こったとされる時期がおかしい。
 
①に付いては、
>信濃国、藤原千常の乱を奏す

 『奏す』とは、つまり、信濃の国衙から朝廷への正式な報告を表す言葉です。
 なのに『乱を奏す』と言うだけで、何故乱が起こったのか、どう収まったのか、また何故、千常が信濃に居たのか一切記録が残っていません。変だと思いました。

②『秀郷の子らに教喩を与えた』で乱が収まった? 朝廷から『止めなさい』と言われて、『はい、分かりました』と鉾を収めたと言う事。ですね。

話し合いで収まったのなら、千常を納得させる内容でなければならない。それは、朝廷に取って公表したく無い内容だったのではないのか。そう、考えました。
 現に反乱を起こしておきながら、間も無く千常は鎮守府将軍に任じられて出世しているのだ。

③一番のぎわくはこれです。
>起こったとされる時期がおかしい。
 
 摂関家の罠に嵌って、高明が力を失ったのは967年9月1日。しかし、この時、高明は力を失ったが失脚はしていないのだ。
 千晴らが逮捕され高明が失脚るのは969年3月。万事に気を付けて、摂関家に口実を与えてはいけない時期の筈。その967年12月に千常が乱を起こしたというのだ。

 不自然過ぎる。そう思って、ならば時期をいつにして、どうすれば納得できる流れになるのかを考えて書いたのが、『千常の乱』です。
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登録日 2021.05.24 22:38

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