『安和の変』と『千常の乱』①

安和の変』に付いては、流れは史実その儘です。
 ばらばらだった摂関家が何時の間にか纏まって、高明の娘婿である為平親王が皇太弟となることを阻止し、守平親王を皇太弟としてしまったと言うことです。
 勿論、高明が権力を握ることに危機感を覚えてのことではあるか、摂関家の中の誰が主体となってどう動いたかと言う事は余り分かっていないのです。
 また、満仲が訴え出た事により千晴の逮捕、遠島。高明の左遷に繋がった事、千晴を逮捕したのが満季である事も全て事実です。

 つまり『安和の変』については、流れは歴史その儘で、エピソードを創作したということです。
  
『安和の変』と『千常の乱』②

 一方、『千常の乱』に付いては少々事情が違ってきます。

康保4年(967年)9月1日、守平親王立太子

安和元年(968年)12月18日 信濃国、藤原千常の乱を奏す。(日本紀略)
 
安和2年3月25日 満仲の訴えにより
千晴ら逮捕

安和2年3月25日 高明太宰権帥に左遷

安和2年4月3日 秀郷の子らに教喩を与えた。教喩とは教え諭すことである。
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登録日 2021.05.24 22:41

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