歴史のIfではなく、Whyを。2/3
もちろん、しばしば描かれるように、信長がソシオパス気質だから、
表出した行動自体に大きな意味はない、とも考えました。
だとしたら、彼の行動を歪ませる何が幼少期に起こったのか。
通説にあるように、母親の愛情が薄かったとしたら、それが原因かもしれない。
一方で、素行に問題があっても、父親が廃嫡を検討したという史料はなく、
最後まで信長を次期当主として重んじ続けている。
少なくとも父親は、息子に対して冷淡という訳ではなさそう。
その他いろいろ調べると、
信長という人が、ただ冷酷で残虐な人だとは思えないエピソードも散見され。
残虐な行為ができる人であったのは確かですが、
これは人格が歪んでいるからではなく、もしかしたら、
必要に迫られれば非情な手段に訴えることも辞さない強さだったのではないか。
このあたりから、私の信長愛と曲解が暴走し始めた訳です(笑)。
近代より前の「歴史」というのは「史料」に基づき構築された物ですが、
その「史料」は果たして真実なのか。
疑い始めたら歴史を確定させることが出来ないため、
「定説」というものが確立され、それを歴史として我々は学びます。
けれど、「定説」は「説」に過ぎず、「事実」ではない。
限りなく事実に近い「説」ではあるものの、
新たな史料の発見によっていくらでも覆されるものです(たとえば、斎藤道三は一代で国盗りを成し遂げたのではなく、父との二代に及ぶ事業というのが、現在の定説)。
歴史がそういう、実は曖昧で不確定なものであるならば、
自由に想像(妄想?)して、空白を埋めることができる。
ですから、人によっていろんな信長像があり、信長の物語がある。
それが歴史小説の面白いところだと思っています。
前述の通り、出来事・筋書き自体に新奇なところはありません。
Whyの答に、ファンタジー要素を持ってくることもありません。
納得できないからと言って、Ifに逃げたりもしません。
ただひたすらに、whyの答を信長の心境と、そこに至る物事の見方・感じ方に求めます。
つまり、信長の心理描写・心象風景を描き出す、それだけの話です。
表出した行動自体に大きな意味はない、とも考えました。
だとしたら、彼の行動を歪ませる何が幼少期に起こったのか。
通説にあるように、母親の愛情が薄かったとしたら、それが原因かもしれない。
一方で、素行に問題があっても、父親が廃嫡を検討したという史料はなく、
最後まで信長を次期当主として重んじ続けている。
少なくとも父親は、息子に対して冷淡という訳ではなさそう。
その他いろいろ調べると、
信長という人が、ただ冷酷で残虐な人だとは思えないエピソードも散見され。
残虐な行為ができる人であったのは確かですが、
これは人格が歪んでいるからではなく、もしかしたら、
必要に迫られれば非情な手段に訴えることも辞さない強さだったのではないか。
このあたりから、私の信長愛と曲解が暴走し始めた訳です(笑)。
近代より前の「歴史」というのは「史料」に基づき構築された物ですが、
その「史料」は果たして真実なのか。
疑い始めたら歴史を確定させることが出来ないため、
「定説」というものが確立され、それを歴史として我々は学びます。
けれど、「定説」は「説」に過ぎず、「事実」ではない。
限りなく事実に近い「説」ではあるものの、
新たな史料の発見によっていくらでも覆されるものです(たとえば、斎藤道三は一代で国盗りを成し遂げたのではなく、父との二代に及ぶ事業というのが、現在の定説)。
歴史がそういう、実は曖昧で不確定なものであるならば、
自由に想像(妄想?)して、空白を埋めることができる。
ですから、人によっていろんな信長像があり、信長の物語がある。
それが歴史小説の面白いところだと思っています。
前述の通り、出来事・筋書き自体に新奇なところはありません。
Whyの答に、ファンタジー要素を持ってくることもありません。
納得できないからと言って、Ifに逃げたりもしません。
ただひたすらに、whyの答を信長の心境と、そこに至る物事の見方・感じ方に求めます。
つまり、信長の心理描写・心象風景を描き出す、それだけの話です。
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登録日 2026.09.13 09:10
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