夢=無王吽

夢=無王吽

『むもん』と読みます。

コマーシャル。

ぼくはあまり、テレビは観ません。

まったく観ないわけではありませんが、
オンタイムで視聴すると、
観たいものだけを観るのが難しいので、
特定の番組だけを視聴するように、
しているのです。

今日、テレビをつけたら、
一日中、全チャンネルで、
同じニュースを流していました。

とんでもない事件が起きていたからです。

確かに悲惨なニュースですし、
あってはならないことだと思います。

でもぼくは、ネットもテレビも、
〝大勢が観ると金が入る〟というシステムで、
制作されていることを、
忘れてはならないとも、思いました。

彼らは、無償奉仕で、
正義のために働いているヒーローでは、
ありません。

みんなが飽きるまでの間、
みんなが観たいものを垂れ流すことで、
スポンサーから大金をもらっている商人です。

一日中、全チャンネルで、
新しい情報が入ったわけでもないのに、
同じことを、ずーっと垂れ流す意味は、
正義のためだとは、ぼくには思えません。

悪人は、当然、悪です。

でも、悪行を垂れ流して、
それについて、
似通ったコメントを、垂れ流す。

残酷な物語を書いている、
ぼくが言うのもなんですが、

ぼくの目には、彼らは、
〝死の商人〟に見えます。

ニュースは、エンタメではありません。

情報を伝え、知る、ツールであるべきです。

ショッキングな映像。
悲惨な目にあっている人々。
悲しみの声。
謝罪。
怒り。

より、過激なものを、
より、目を引くものを。

これをやりたいなら、
物語を作って、売ればいい。

なぜ、人の不幸を売ろうとするのか。

ぼくには全部が、
コマーシャルに見えます。

なのでぼくは、
『あ、同じことを二度言った』と、
感じた時点で、そのニュースを観るのを、
やめるようにしています。

人の死の物語を描いてはいますが、

現実の人の死で甘い汁を吸う、
偽善者どもの片棒は、担ぎたくありません。

不安は、金になります。

だからテレビは、不安をあおるのです。

同じニュースを何度も観ている自分に、
どんな気持ちで観ているのかと、
問いかけるといいと思います。

同情しているつもりでも、
もしかしたら、悲劇を観て、
怒りや悲しみを感じることで、
脳が、快感を覚えてはいないか?と。

これを〝カタルシス〟といいます。


ぼくは明日も、気を付けます。
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登録日 2019.05.30 00:47

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