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嫌いだった。
理由は言えない。
言えないくらい、小さい理由だった。
でも嫌いだった。
文化祭の班が一緒になった。
毎日、放課後の教室で顔を合わせた。
毎日、嫌いだった。
それがいつから変わったのか、
正確にはわからない。
気づいたら、
嫌いじゃなかった。
気づいたら、
そっちの方が困った。
登場人物
橘 颯太(たちばな そうた・17歳)
高校2年3組。バスケ部のエース。背が高い。友達が多い。勉強はそこそこ。去年の秋から、同じクラスの宮下のことが嫌いだった。理由は自分でもよくわかっていない。わかっていないのに嫌いだった。文化祭の班が一緒になって、その「嫌い」の理由と向き合うことになる。
宮下 蒼(みやした あお・17歳)
高校2年3組。帰宅部、図書委員。背が低め。口数が少ない。成績は学年トップクラス。橘のことは特に意識していなかった。文化祭の班で毎日顔を合わせるうちに、なぜかこの男のことを考えるようになった。考えたくないのに考えてしまう、というのが初めてで、少し困っている。
坂田 陽向(さかた ひなた・17歳)
橘の親友。バスケ部。橘が宮下のことを嫌っていることを知っているが、理由は聞いていない。聞かなかったのは、聞いたら答えが出てしまうと思ったから。
文字数 9,998
最終更新日 2026.07.16
登録日 2026.07.10
深夜一時に、電話が来た。
「先生、起きてますか」
「起きている。何かあったか」
「別に、何もないです。眠れなくて」
教え子だった。五年前に卒業した、元教え子。
今は二十四歳になっている。
「眠れないときに、電話をするのか」
「先生に、なんとなく」
それが三ヶ月続いている。
夜だけ、深夜だけ、電話が来る。
昼間は何も言わない。夜に、声を聞きたいと言う。
「先生、俺のこと、好きですか」
「教え子だ」
「今は?」
「……今も教え子だ」
嘘だった。
登場人物
白井 誠一(しらい せいいち・34歳)
公立高校の国語教師。勤続十一年。感情を表に出さない。生徒に人気があるのは自覚しているが、必要以上の関係は持たないようにしてきた。眠れない夜が増えている。それが仕事のせいか、電話のせいか、わからない。
橘 颯(たちばな そう・24歳)
白井の元教え子。五年前に卒業。現在はデザイン事務所勤務。眠れない夜に白井に電話をするようになって三ヶ月になる。理由をはっきりと言わない。言わないが、やめない。
文字数 7,267
最終更新日 2026.07.09
登録日 2026.07.03
三十四歳、終電を逃す回数だけ増えていく。
会社を出るのはいつも終電ギリギリで、
間に合わないことの方が多くなった。
そのたびに、連絡する相手が一人だけいた。
二十七歳の、同期の後輩。
「迎えに行きます」
「タクシーでいい」
「行きます」
来る。毎回来る。
何も聞かない。ただ来る。
それがいつからか、当たり前になっていた。
登場人物
黒田 篤(くろだ あつし・34歳)
中堅メーカーの営業部長。仕事は速いが雑に扱われることを許しすぎる。終電を逃すのが月に五回を超えている。感情を出すのが苦手。誰かに頼ることがもっと苦手。
坂本 柚樹(さかもと ゆずき・27歳)
同じ会社の営業部員。黒田の七年後輩。仕事の飲み込みが早く、感情の扱い方がうまい。黒田が終電を逃すたびに迎えに行く。その理由を、一度も言ったことがない。
文字数 7,561
最終更新日 2026.07.02
登録日 2026.06.26
三年間、書けていない。
売れている。重版がかかる。読者からの手紙が来る。
なのに書けない。
書いては消して、書いては消して、
今夜も原稿は白いままだ。
それを知っているのは、たった一人。
担当編集の朝倉だけが、知っている。
「なぜ消すんですか」
「お前には関係ない」
「関係あります」
「なんで」
「あなたの言葉を、俺が一番好きだからです」
登場人物
藤代 律(ふじしろ りつ・30歳)
小説家。デビュー七年、受賞歴あり。三年前から本当の意味では書けなくなった。出版されているのは過去作のシリーズ続編と、短編集の寄せ集め。長編の新作は三年間、一度も完成させていない。それを誰にも言えないまま、今日も原稿を消す。煙草を一日に何本吸うか、自分でも数えていない。言葉を扱うことが職業なのに、言葉が信用できない。
朝倉 光一(あさくら こういち・34歳)
編集者。大手文芸誌の副編集長。担当作家を六人見送った。三人は筆を折り、二人は出版社を移り、一人は死んだ。だから近づかない。感情の距離を保てば、見送るときの痛みが少ないと思ってきた。藤代の担当になって、その距離が少しずつ崩れている。崩れているとわかっていて、止められない。
南 晴子(みなみ はるこ・28歳)
藤代の元担当編集者。純粋に藤代の作品が好きだったが、「書けない」という事実に気づいたとき、どうすることもできなかった。朝倉に担当を引き継いだ本人。今も藤代のことを心配しているが、近づけない。
文字数 12,810
最終更新日 2026.06.25
登録日 2026.06.16
二十六歳、無職、借金三百万。
冷蔵庫にもやし一袋、財布に千二百円。
そんな夜に現れたのが、封筒一通と「来なくていい」の一文だった。
条件は、おかしいほど緩かった。
三ヶ月、隣にいるだけ。触れない。閉じ込めない。逃げてもいい。
ただし——最初から逃がすつもりがなかった。
「俺が貧乏じゃなかったら、選ばなかったんですよね」
その一言で、はじめて御堂新という男が崩れた。
登場人物
相沢 凌(あいざわ りょう・26歳)
元アパレル店員。会社倒産に巻き込まれ失業し、親の借金を連帯保証人として被った。人を信用しないが危機感は薄い。逃げ癖がある。中性的な顔立ちで目立つが本人は無頓着。感情を笑いで誤魔化す癖がある。
御堂 新(みどう あらた・34歳)
IT系コングロマリット代表取締役。合理的・冷徹として知られるが、凌に対してだけ執着の歯止めが利かない。位置情報の把握、SNSの遡り確認など、本人は「確認しているだけ」と思っている。それが普通ではないことを、凌に言われるまで気づいていなかった。
結城 翔(ゆうき しょう・28歳)
凌の唯一の友人。元同僚。凌の状況を心配しているが本人が話さないため詳細を把握していない。御堂に対しては一貫して懐疑的。
文字数 17,077
最終更新日 2026.06.15
登録日 2026.06.02
笑いながら嘘をつく男が、いた。
仕事で組んだだけの相手。
会えば軽口ばかりで、何も教えてくれない。
こちらの話を聞くくせに、自分の話はしない。
それなのに。
気づいたときには、もう遅かった。
三十二歳にもなって、
年下に、完全に振り回されている。
「榛名さんって、俺のことどう思ってます?」
「仕事相手だ」
「それだけ?」
「それだけだ」
嘘だった。
登場人物
榛名 壮(はるな そう・32歳)
大手出版社の雑誌編集者。仕事は速くて正確。感情を表に出さない。他人の気持ちを読むのが職業なのに、自分のことだけは最後まで気づかないふりをする。煙草は三年前にやめた。追い詰められると「煙草を買ってくる」と言って外に出るが、買わずに帰ってくる。
瀬尾 光(せお ひかる・28歳)
フリーカメラマン。飄々としていて軽い印象だが、レンズの向こうでは人の本質を見ている。嘘をつくのが上手い。ただし嘘をつくときだけ笑い方が変わる。それに気づいているのは今のところ一人だけで、そのことが少しだけ不愉快でもあり、どうしようもなく嬉しくもある。面倒臭い一面がある。
青木 茉莉(あおき まり・31歳)
榛名の同僚編集者。三年付き合った相手と半年前に別れた。自分の恋愛の失敗を棚に上げて、榛名の状況に口を出したくてたまらない。榛名に「余計なことを言うな」と言われるのが半ば習慣になっている。
文字数 8,747
最終更新日 2026.06.09
登録日 2026.06.02
担当編集が変わった。
新しい担当は三十五歳で、感情が薄くて、何をしても動じない。
怒らない。焦らない。振り回されない。
それが面白くなかった。
面白くなかったから、試した。
試しても動じないから、もっと試した。
気づいたときには、
動じてほしいんじゃなくて、
見ていてほしかった。
「俺のことが嫌いですか」と聞いた。
「嫌いじゃない」と言われた。
「好きですか」と聞いた。
答えが、返ってこなかった。
登場人物
九条 朔(くじょう さく・29歳)
小説家。デビュー五年、三作連続でヒット。編集者をよく困らせる。締め切りを守らない、気に入らなければ原稿を消す、気分で打ち合わせをキャンセルする。試し行動が癖で、相手が動じないと余計にエスカレートする。本音を言えない。言えないから試す。
沖 誠司(おき せいじ・35歳)
フリーの契約編集者。複数の出版社と契約している。感情が表に出ない。怒らない理由は穏やかだからではなく、怒り方を知らないから。人と一定以上の距離を置く癖がある。九条の担当になったとき、三人の編集者が音を上げた後だった。
水島 留(みずしま とめ・32歳)
九条の旧担当編集者。九条の面倒臭さを一番よく知っている。沖に担当を引き継いだ本人。九条のことを諦めていないが、もう担当できる気力がなかった。
文字数 10,412
最終更新日 2026.06.09
登録日 2026.06.02
幼い頃に捨てられた記憶を胸に抱えたまま育った桐嶋 渚(きりしま なぎさ)は、今や都内でひっそりと花屋を営む28歳。
ある雨の夜、店先に倒れ込んできた男を助けたことで、渚の静かな日常は一変する。
男の名は、柊 一颯(ひいらぎ かずさ)。誰もが知る大企業グループの御曹司にして、冷徹な眼差しで知られる若き実業家。
接点などあるはずのない二人。なのに一颯は気づいていた――十五年以上前から、ずっと。
文字数 15,668
最終更新日 2026.06.01
登録日 2026.05.23
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