手放したのは、貴方の方です

空月そらら

文字の大きさ
31 / 60

第31話 架け橋の模索

しおりを挟む
エスタード王国との間で不穏な空気が漂い始めてからというもの、ライオネル公爵の執務室は、以前にも増して緊張感に包まれていた。国境付近での小競り合いの報告や、エスタード側からの不当な交易要求に関する書類が、日々山のように積み上がっていく。

(このままでは、本当に……両国間で取り返しのつかない事態に発展してしまうかもしれない……)

私は、公爵の隣でそれらの情報に目を通しながら、暗澹たる気持ちに襲われていた。エスタードは私の故郷であり、今でもマーサのような大切な人が暮らしている。その故郷が、自らの愚かな行動によって破滅の道を突き進もうとしているのを見るのは、耐え難い苦痛だった。

かといって、ガルディアの立場を無視することもできない。私は今、ヴァルテンベルク公爵の婚約者であり、この国に忠誠を誓うべき人間なのだ。エスタード側の理不尽な要求に対し、ガルディアが毅然とした態度を取るのは当然のことだ。

(私に、何かできることはないのかしら……? この二つの国が、無益な争いを避けるために……)

その思いは、日増しに強くなっていった。私は、エスタードの貴族社会の内情や、レオンハルト王子の性格、そしてあの国の抱える構造的な問題を、誰よりも深く理解しているつもりだ。その知識を活かせば、もしかしたら、両国の間に立って、何らかの解決の糸口を見つけ出せるかもしれない。

そう考えた私は、公爵の許しを得て、公爵邸の広大な図書室に籠る時間を増やした。エスタードの歴史書や法律書を改めて読み返し、過去に両国間で起きた紛争の事例や、その解決に至った経緯などを徹底的に調べ上げた。また、エスタード時代に僅かながら築いた人脈――と言っても、それはほとんどが父の知人や、社交界で挨拶を交わした程度の人々だったけれど――のリストを思い出し、彼らの現在の立場や影響力を分析したりもした。

そして、そうして得た情報や自分なりの考察を、私は折に触れてライオネル公爵に伝えるようにした。

「公爵様、エスタードの今回の強硬な態度の裏には、国内の貴族たちの間で高まっている、レオンハルト殿下への不満を逸らす狙いがあるのかもしれません。特に、古くからの領地を持つ、地方の有力貴族たちの中には、中央政府の現状を憂い、ガルディアとの安定的な関係を望んでいる者も少なくないはずです」

「彼らは、表立って殿下に逆らうことはできなくても、水面下で何らかの働きかけをすることは可能かもしれません。もし、彼らのような穏健派と接触するルートがあれば……」

私の進言に対し、公爵はいつも黙って耳を傾け、時には鋭い質問で私の分析の甘さを指摘することもあったけれど、決して頭ごなしに否定することはなかった。むしろ、私の視点や情報が、彼の判断材料の一つとして役立っていることを、その態度から感じ取ることができた。

それは、危険な綱渡りのような行為だったかもしれない。一歩間違えれば、ガルディアへの裏切りと見なされかねない。けれど、私は信じていた。ライオネル公爵は、私の真意を理解してくれるはずだと。そして、彼もまた、無益な争いは望んでいないはずだと。

私の行動は、ガルディアへの絶対的な忠誠心と、そして、愚かな指導者の下で苦しむ故郷の民を見捨てられないという、複雑な思いから生まれていた。それが、吉と出るか凶と出るかは分からない。けれど、何もしないで後悔するよりは、自分にできる限りのことをしたい。その一心で、私は今日も、二つの国の間で揺れ動く歴史の奔流の中に、小さな舟を漕ぎ出そうとしていた。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!

にのまえ
恋愛
 すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。  公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。  家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。  だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、  舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。

報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?

小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。 しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。 突然の失恋に、落ち込むペルラ。 そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。 「俺は、放っておけないから来たのです」 初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて―― ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。

【完結】真の聖女だった私は死にました。あなたたちのせいですよ?

恋愛
聖女として国のために尽くしてきたフローラ。 しかしその力を妬むカリアによって聖女の座を奪われ、顔に傷をつけられたあげく、さらには聖女を騙った罪で追放、彼女を称えていたはずの王太子からは婚約破棄を突きつけられてしまう。 追放が正式に決まった日、絶望した彼女はふたりの目の前で死ぬことを選んだ。 フローラの亡骸は水葬されるが、奇跡的に一命を取り留めていた彼女は船に乗っていた他国の騎士団長に拾われる。 ラピスと名乗った青年はフローラを気に入って自分の屋敷に居候させる。 記憶喪失と顔の傷を抱えながらも前向きに生きるフローラを周りは愛し、やがてその愛情に応えるように彼女のほんとうの力が目覚めて……。 一方、真の聖女がいなくなった国は滅びへと向かっていた── ※小説家になろうにも投稿しています いいねやエール嬉しいです!ありがとうございます!

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

虐げられてきた妾の子は、生真面目な侯爵に溺愛されています。~嫁いだ先の訳あり侯爵は、実は王家の血を引いていました~

木山楽斗
恋愛
小さな村で母親とともに暮らしていアリシアは、突如ランベルト侯爵家に連れて行かれることになった。彼女は、ランベルト侯爵の隠し子だったのである。 侯爵に連れて行かれてからのアリシアの生活は、幸福なものではなかった ランベルト侯爵家のほとんどはアリシアのことを決して歓迎しておらず、彼女に対してひどい扱いをしていたのである。 一緒に連れて行かれた母親からも引き離されたアリシアは、苦しい日々を送っていた。 そしてある時彼女は、母親が亡くなったことを聞く。それによって、アリシアは深く傷ついていた。 そんな彼女は、若くしてアルバーン侯爵を襲名したルバイトの元に嫁ぐことになった。 ルバイトは訳アリの侯爵であり、ランベルト侯爵は彼の権力を取り込むことを狙い、アリシアを嫁がせたのである。 ルバイト自身は人格者であり、彼はアリシアの扱われた方に怒りを覚えてくれた。 そのこともあって、アリシアは久方振りに穏やかな生活を送れるようになったのだった。 そしてある時アリシアは、ルバイト自身も知らなかった彼の出自について知ることになった。 実は彼は、王家の血を引いていたのである。 それによって、ランベルト侯爵家の人々は苦しむことになった。 アリシアへの今までの行いが、国王の耳まで行き届き、彼の逆鱗に触れることになったのである。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜

腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。 「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。 エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。

処理中です...