手放したのは、貴方の方です

空月そらら

文字の大きさ
53 / 60
番外編

第53話 最後の使者、最後の望み

しおりを挟む
ライオネル様とエスタードへの支援について話し合ってから、数週間が過ぎた。その間、ガルディアの情報部からも、エスタードの国内情勢がさらに悪化しているという報告が、次々と寄せられていた。もはや、国家崩壊寸前と言っても過言ではない状況だった。

(レオンハルト殿下は……一体、どうしていらっしゃるのかしら……)

あの傲慢でプライドの高かった彼が、この絶望的な状況を前に、何を思っているのだろうか。そんなことを考えていた矢先のことだった。

エスタード王国から、ガルディアに対し、正式な使節団が派遣されてきたという知らせが舞い込んできたのだ。

「エスタードからの使節団……? この時期に、一体何の目的で……」

ライオネル様は、執務室でその報告を受け、訝しげに眉を寄せた。私も、嫌な予感が胸をよぎる。まさか、また以前のような不当な要求を突き付けてくるつもりなのだろうか。それとも……。

数日後、エスタードの使節団が、公爵邸の応接室に姿を現した。その顔ぶれを見て、私は息を呑んだ。以前のような、居丈高で、華美な装飾を身に着けた貴族たちの姿はどこにもない。そこにいたのは、皆、やつれ果て、その目には深い絶望と疲労の色を浮かべた、数名の年配の貴族たちだった。彼らの服装も、みすぼらしいとは言わないまでも、明らかに質素なものに変わっている。

使節団の代表を務めるのは、アルブレヒト・フォン・ゼーブルック伯爵と名乗る、白髪の老人だった。彼は、エスタード国内でも比較的良識派として知られ、かつては宮廷内で穏健な発言を続けていたが、レオンハルト殿下の側近たちによって疎まれ、要職からは遠ざけられていた人物だと記憶している。

ゼーブルック伯爵は、深々と私たちに頭を下げると、震える声で口を開いた。

「ヴァルテンベルク公爵閣下、並びにアリアナ様……。この度は、かくも突然の訪問、誠に申し訳ございません。我々エスタード王国は……もはや、申し上げる言葉もございません……」

その声は、悲痛な響きを帯びていた。彼らは、もはや国家の代表としての体面を保つ余裕すらないのだろう。

「……して、本日のご用向きは?」

ライオネル様が、静かに、しかし威厳を込めて尋ねた。

ゼーブルック伯爵は、おずおずと懐から一通の封書を取り出し、それを恭しくライオネル様に差し出した。

「こちらを……レオンハルト王太子殿下からの、親書にございます」

ライオネル様は、無言でその親書を受け取り、封を切って中身に目を通し始めた。私も、隣からそっとその内容を覗き見る。

そこに書かれていたのは、レオンハルト殿下の、これまでの人生で見たこともないような、弱々しく、そして必死な筆跡だった。

『ヴァルテンベルク公爵閣下、並びに……アリアナ嬢へ。
 この手紙を、どのようなお気持ちでお読みになるか、想像もつきません。私が、これまで貴殿がたに対し、どれほど無礼で、愚かな行いを繰り返してきたか……今更ながら、その罪の重さに打ち震えております。
 我がエスタード王国は、私の度重なる失政と、貴族たちの腐敗により、今や崩壊の危機に瀕しております。民は飢え、病に倒れ、街には希望の光も見えません。全ては、私の不徳の致すところであり、万死に値すると思っております。
 ですが……このまま、私が愛する故郷と、罪なき民を見殺しにすることは、どうしてもできません。
 つきましては、誠に虫の良い話とは承知の上で、ヴァルテンベルク公爵閣下の寛大なるご支援を、そして……アリアナ嬢の、その類稀なる知恵をお借りしたく、こうして筆を執った次第でございます。
 もはや、私には何のプライドもございません。ただ、民を救いたい。その一心でございます。
 どうか……どうか、このエスタードに、最後の救いの手を差し伸べてはいただけないでしょうか。
 エスタード王国第一王子 レオンハルト』

手紙を読み終えた私の胸には、何とも言えない複雑な感情が渦巻いていた。あの傲慢だったレオンハルト殿下が、ここまで打ちのめされ、プライドを捨てて助けを求めてきている。その事実は、驚きであると同時に、ほんの少しの……いや、これは憐憫とは違う。もっと別の、何か人間的な感情を呼び起こした。

ライオネル様は、黙って親書を読み終えると、静かにゼーブルック伯爵に視線を戻した。

「……レオンハルト王子の覚悟は、理解した。だが、我々が援助を行うには、相応の条件があることも、お伝えしておかねばなるまい」

その言葉に、ゼーブルック伯爵は、僅かな希望の光を見出したかのように、顔を上げた。

エスタードからの、最後の使者。彼らが持ってきたのは、最後の望みとなるのか、それとも……。私たちの決断が、今、試されようとしていた。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!

にのまえ
恋愛
 すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。  公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。  家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。  だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、  舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。

報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?

小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。 しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。 突然の失恋に、落ち込むペルラ。 そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。 「俺は、放っておけないから来たのです」 初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて―― ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。

【完結】真の聖女だった私は死にました。あなたたちのせいですよ?

恋愛
聖女として国のために尽くしてきたフローラ。 しかしその力を妬むカリアによって聖女の座を奪われ、顔に傷をつけられたあげく、さらには聖女を騙った罪で追放、彼女を称えていたはずの王太子からは婚約破棄を突きつけられてしまう。 追放が正式に決まった日、絶望した彼女はふたりの目の前で死ぬことを選んだ。 フローラの亡骸は水葬されるが、奇跡的に一命を取り留めていた彼女は船に乗っていた他国の騎士団長に拾われる。 ラピスと名乗った青年はフローラを気に入って自分の屋敷に居候させる。 記憶喪失と顔の傷を抱えながらも前向きに生きるフローラを周りは愛し、やがてその愛情に応えるように彼女のほんとうの力が目覚めて……。 一方、真の聖女がいなくなった国は滅びへと向かっていた── ※小説家になろうにも投稿しています いいねやエール嬉しいです!ありがとうございます!

虐げられてきた妾の子は、生真面目な侯爵に溺愛されています。~嫁いだ先の訳あり侯爵は、実は王家の血を引いていました~

木山楽斗
恋愛
小さな村で母親とともに暮らしていアリシアは、突如ランベルト侯爵家に連れて行かれることになった。彼女は、ランベルト侯爵の隠し子だったのである。 侯爵に連れて行かれてからのアリシアの生活は、幸福なものではなかった ランベルト侯爵家のほとんどはアリシアのことを決して歓迎しておらず、彼女に対してひどい扱いをしていたのである。 一緒に連れて行かれた母親からも引き離されたアリシアは、苦しい日々を送っていた。 そしてある時彼女は、母親が亡くなったことを聞く。それによって、アリシアは深く傷ついていた。 そんな彼女は、若くしてアルバーン侯爵を襲名したルバイトの元に嫁ぐことになった。 ルバイトは訳アリの侯爵であり、ランベルト侯爵は彼の権力を取り込むことを狙い、アリシアを嫁がせたのである。 ルバイト自身は人格者であり、彼はアリシアの扱われた方に怒りを覚えてくれた。 そのこともあって、アリシアは久方振りに穏やかな生活を送れるようになったのだった。 そしてある時アリシアは、ルバイト自身も知らなかった彼の出自について知ることになった。 実は彼は、王家の血を引いていたのである。 それによって、ランベルト侯爵家の人々は苦しむことになった。 アリシアへの今までの行いが、国王の耳まで行き届き、彼の逆鱗に触れることになったのである。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

義母の企みで王子との婚約は破棄され、辺境の老貴族と結婚せよと追放されたけど、結婚したのは孫息子だし、思いっきり歌も歌えて言うことありません!

もーりんもも
恋愛
義妹の聖女の証を奪って聖女になり代わろうとした罪で、辺境の地を治める老貴族と結婚しろと王に命じられ、王都から追放されてしまったアデリーン。 ところが、結婚相手の領主アドルフ・ジャンポール侯爵は、結婚式当日に老衰で死んでしまった。 王様の命令は、「ジャンポール家の当主と結婚せよ」ということで、急遽ジャンポール家の当主となった孫息子ユリウスと結婚することに。 ユリウスの結婚の誓いの言葉は「ふん。ゲス女め」。 それでもアデリーンにとっては、緑豊かなジャンポール領は楽園だった。 誰にも遠慮することなく、美しい森の中で、大好きな歌を思いっきり歌えるから! アデリーンの歌には不思議な力があった。その歌声は万物を癒し、ユリウスの心までをも溶かしていく……。

最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜

腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。 「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。 エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

処理中です...