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番外編
第54話 王子の転落と、僅かな光(レオンハルト視点)
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エスタード王国の王宮は、かつての華やかさを完全に失い、まるで亡霊でも住み着いているかのような、陰鬱な空気に包まれていた。第一王子レオンハルトの執務室もまた、例外ではない。高価だったであろう調度品は埃をかぶり、床には飲み干された酒瓶が転がり、部屋の主は、やつれ果てた姿で玉座のような椅子に力なく凭れかかっていた。
(……終わった……。何もかも、終わってしまった……)
アリアナにガルディアで「手放したのは、貴方の方です」と最後の言葉を告げられてから、彼の人生は転がり落ちる一方だった。彼女を失ったことの本当の意味を、彼は骨の髄まで思い知らされていたのだ。
国政は、もはや手の施しようがないほどに混乱していた。アリアナがいた頃は、彼女が陰で全てを処理してくれていた。彼は、ただ彼女の用意した書類に目を通し、自分の名前で発表するだけで、国はそれなりに回っていたのだ。その事実に気づいたのは、全てを失った後だった。
飢饉の報告、疫病の蔓延、民衆の暴動寸前の不満……。それらの報告を聞くたびに、彼は無力感と絶望感に打ちのめされた。かつての取り巻きたちは、国の傾きを察して蜘蛛の子を散らすように去っていき、今では彼の周りには、ごく少数の、彼を見限ってはいない(あるいは、見限る気力すらない)側近しか残っていなかった。
『アリアナ様がいらっしゃれば……』
そんな言葉を、何度耳にしたことだろうか。その度に、彼の胸は罪悪感と後悔で張り裂けそうになった。自分が捨てたものが、どれほど貴重で、かけがえのないものだったのか。それを理解した時には、もう全てが手遅れだったのだ。
酒に逃げる日々。現実から目を背け、ただ無気力に時を過ごす。そんな彼に、ある日、数少ない良識派の側近である老齢の宰相代理が、震える声で進言した。
「殿下……もはや、この国を救う手立ては、一つしかございません……。……アリアナ様に……ヴァルテンベルク公爵夫人に、お助けを願うしか……」
「……黙れっ!!」
レオンハルトは、反射的に怒鳴った。アリアナに頭を下げるだと? あの、自分が捨てた女に? そんな屈辱、耐えられるはずがない。
「ですが、殿下! このままでは、エスタードは滅びますぞ! 民は飢え、国は崩壊し、歴史からその名を消すことになるのです! それでもよろしいのですか!?」
宰相代理は、涙ながらに訴えた。その言葉は、レオンハルトの心の奥底に、僅かに残っていた為政者としての良心を、鈍く刺激した。
(民が……国が……滅びる……?)
そうだ、自分は一国の王子なのだ。どれだけ愚かであったとしても、国と民に対する責任がある。その責任を、このまま放棄してしまっていいのだろうか。
数日間、彼は自室に閉じこもり、苦悶の時間を過ごした。アリアナに助けを求めることの屈辱。自分のプライド。そして、目の前で崩れ落ちようとしている国と、苦しむ民の姿。それらが、彼の頭の中で激しく葛藤を繰り返す。
そして、ある朝、彼はやつれ果てた顔を上げ、一つの決断を下した。
「……分かった。……アリアナに、手紙を書こう」
それは、彼にとって、これまでの自分を完全に否定する、あまりにも大きな、そして苦渋に満ちた決断だった。けれど、その瞳には、ほんの僅かだが、諦めではない、何か新しい光が宿っているようにも見えた。
彼は、震える手でペンを取り、何度も書き損じながら、生涯で最も謙虚で、最も必死な手紙を書き上げた。それは、かつての傲慢な王子ではなく、ただ国を憂い、民を救いたいと願う、一人の弱々しい人間の、魂からの叫びにも似ていた。
この手紙が、エスタードにとって、そして彼自身にとって、最後の希望となるのか、それとも……。彼は、祈るような気持ちで、その手紙を使節団に託したのだった。それは、彼が初めて、自分の過ちと向き合い、未来への僅かな一歩を踏み出そうとした瞬間だったのかもしれない。
(……終わった……。何もかも、終わってしまった……)
アリアナにガルディアで「手放したのは、貴方の方です」と最後の言葉を告げられてから、彼の人生は転がり落ちる一方だった。彼女を失ったことの本当の意味を、彼は骨の髄まで思い知らされていたのだ。
国政は、もはや手の施しようがないほどに混乱していた。アリアナがいた頃は、彼女が陰で全てを処理してくれていた。彼は、ただ彼女の用意した書類に目を通し、自分の名前で発表するだけで、国はそれなりに回っていたのだ。その事実に気づいたのは、全てを失った後だった。
飢饉の報告、疫病の蔓延、民衆の暴動寸前の不満……。それらの報告を聞くたびに、彼は無力感と絶望感に打ちのめされた。かつての取り巻きたちは、国の傾きを察して蜘蛛の子を散らすように去っていき、今では彼の周りには、ごく少数の、彼を見限ってはいない(あるいは、見限る気力すらない)側近しか残っていなかった。
『アリアナ様がいらっしゃれば……』
そんな言葉を、何度耳にしたことだろうか。その度に、彼の胸は罪悪感と後悔で張り裂けそうになった。自分が捨てたものが、どれほど貴重で、かけがえのないものだったのか。それを理解した時には、もう全てが手遅れだったのだ。
酒に逃げる日々。現実から目を背け、ただ無気力に時を過ごす。そんな彼に、ある日、数少ない良識派の側近である老齢の宰相代理が、震える声で進言した。
「殿下……もはや、この国を救う手立ては、一つしかございません……。……アリアナ様に……ヴァルテンベルク公爵夫人に、お助けを願うしか……」
「……黙れっ!!」
レオンハルトは、反射的に怒鳴った。アリアナに頭を下げるだと? あの、自分が捨てた女に? そんな屈辱、耐えられるはずがない。
「ですが、殿下! このままでは、エスタードは滅びますぞ! 民は飢え、国は崩壊し、歴史からその名を消すことになるのです! それでもよろしいのですか!?」
宰相代理は、涙ながらに訴えた。その言葉は、レオンハルトの心の奥底に、僅かに残っていた為政者としての良心を、鈍く刺激した。
(民が……国が……滅びる……?)
そうだ、自分は一国の王子なのだ。どれだけ愚かであったとしても、国と民に対する責任がある。その責任を、このまま放棄してしまっていいのだろうか。
数日間、彼は自室に閉じこもり、苦悶の時間を過ごした。アリアナに助けを求めることの屈辱。自分のプライド。そして、目の前で崩れ落ちようとしている国と、苦しむ民の姿。それらが、彼の頭の中で激しく葛藤を繰り返す。
そして、ある朝、彼はやつれ果てた顔を上げ、一つの決断を下した。
「……分かった。……アリアナに、手紙を書こう」
それは、彼にとって、これまでの自分を完全に否定する、あまりにも大きな、そして苦渋に満ちた決断だった。けれど、その瞳には、ほんの僅かだが、諦めではない、何か新しい光が宿っているようにも見えた。
彼は、震える手でペンを取り、何度も書き損じながら、生涯で最も謙虚で、最も必死な手紙を書き上げた。それは、かつての傲慢な王子ではなく、ただ国を憂い、民を救いたいと願う、一人の弱々しい人間の、魂からの叫びにも似ていた。
この手紙が、エスタードにとって、そして彼自身にとって、最後の希望となるのか、それとも……。彼は、祈るような気持ちで、その手紙を使節団に託したのだった。それは、彼が初めて、自分の過ちと向き合い、未来への僅かな一歩を踏み出そうとした瞬間だったのかもしれない。
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