後宮の死体は語りかける

炭田おと

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42_皇子のお誘い

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「あら、お久しぶりです、俊煕しゅんき殿下」


 久しぶりに近くで見た趙徳妃ちょうとくひ様は、あいかわらずお美しかった。


 俺が訪ねた時、夜でも、華藍宮がらんきゅうはふんだんな蝋燭を使って、内廷ないていを照らしていた。

 中に入るわけにはいかないので、門の前で待っていると、趙徳妃ちょうとくひ様はわざわざ庭まで出てきてくれた。


「こんな夜更けに訪ねてくるなど、どうなさったのですか?」

「夜分に、申し訳ありません。ですが、父上を探しております」

「陛下を? 殿下にわざわざ足を運んでいただいたのに、申し訳ありませんが、陛下はこの前のお渡りから、ここにはお越しになっておりません。何ゆえ、華藍宮がらんきゅうにいらっしゃると思ったのですか?」

「ここではないのですか? では、今、父上はどこに・・・・」

 白々しく言って見せる。


 趙徳妃ちょうとくひ様は、鋭い方だ。今のやりとりだけで事情を察してくれたらしく、顔の筋肉が強ばっていた。


「・・・・陛下は、清和殿せいわでんにはいらっしゃらないのですね?」

「ええ、女人にょにんに会いに行くといい、出かけたきり、戻ってきていません」

「・・・・・・・・」

 趙徳妃ちょうとくひ様のこぶしが、静かに固められていく。


 趙徳妃ちょうとくひ様は笑顔を維持したまま、怒気を発していた。笑顔のまま、相手を圧するという芸当はすごいと思ったものの、こぶしの震えは隠せていない。


「・・・・おそらく、客人に会いに行ったのでしょう。酒席での問答で、あのジェマ族の女人にょにんを、たいへんお気に召した様子でしたから」

「しかし、夜分に押しかけては客人に迷惑でしょう」


「ええ、殿下のおっしゃる通りです。お相手はまだ未婚の、若い女性ですよ? 噂になれば、お相手の名誉を傷つけてしまいます。――――私が、陛下をお諌めしましょう」


 趙徳妃ちょうとくひ様は、一点の曇りもない笑顔を浮かべているが、その完璧な笑顔の向こう側に、鬼神のような怒りが垣間見えている。


「それで、殿下。客人はどこにお泊りなのでしょう?」

「君雲殿です。前の道で待っていれば、父上がお通りになるでしょう。私がご案内いたします」

「感謝しますわ、殿下」


 趙徳妃ちょうとくひ様は優雅に笑った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――

     ※     ※     ※

―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 君雲殿の前の広場を、穏やかな恵風けいふうが吹き抜けていく。


 宮人きゅうじん達は、私達のために豪華な寝台と上質な布団を用意してくれたけれど、慣れない質感に逆に眠りを妨げられてしまって、私は眠ることができなかった。


 だから今、私は君雲殿前の広場に立ち、ぼんやり月を見上げていた。


 月は、紺色の海に小さく湧き出た泡のような雲に取り囲まれ、ひっそりと輝いている。


嶺依りょうい殿」

 声をかけられ、振り返る。

俊煕しゅんき殿下?」


 夜風とともに、俊煕しゅんき殿下が近づいてきた。


 殿下の足取りは軽く、袖を通していない上着の裾が、ふわりと舞う。


「こんな時間に、どうしたんですか?」

「夜分に申しわけありません」

「いえ、ちょうどお話したいことがありました。殿下にお願いが――――」

「お待ちください」

 殿下が、手を上げる。

「まずは場所を変えましょう。しばし、私に時間をもらえるでしょうか?」

「今から、ですか?」

 さすがにこんな夜更けに、殿下とともに行動するのは、噂の種になる。だから少し、躊躇ってしまった。


「ほんの少しでいいんです。誰にも見られないよう、配慮します」

「でも、あの――――」


 殿下は答えを聞く前に、私の手を取る。冷えきっていた手が、殿下の手の平で温められた。


「行きましょう」

「え、あ・・・・」

「あ、これを」

 殿下が広げた上着の裾が、羽のようにふわりと舞う。

 殿下が私の肩に、上着をかけてくれたのだ。

「夜は冷えますから」

「あ、ありがとうございます」


 戸惑いはあったけれど、俊煕しゅんき殿下に笑いかけられると、何も言えなくなってしまった。


「こちらへ」

「はい」

 私は殿下と一緒に走り出した。


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