霊力ゼロの陰陽師見習い

テラトンパンチ

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憑依

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 日下部の拳が、振り下ろされる。
 玄弥は、真正面から受けなかった。
 半歩、ずらす。
 霊力を脚に流し、地面を滑るように移動する。

 拳が空を切り、背後の地面が砕けた。
「チッ! 逃げてばっかじゃ――」

「逃げてない」
 玄弥は、低く言った。

 踏み込む。
 霊力を、腰から腕へ――正しく、繋ぐ。
 掌底。

 ドンッ!

「ぐっ……!」
 日下部の身体が、後ろに吹き飛ぶ。
 地面を転がり、土埃が舞った。

 ――初めてだ。
 日下部が、明確に押し負けた。

「……は?」
 信じられないという顔で、立ち上がる。
「力任せじゃない」

 玄弥は、息を整えながら言う。
「霊力は、使い方だ」



 再び、距離を詰める。
 今度は、玄弥が攻める番だった。

 踏み込み。牽制。崩し。
 無駄がない。
 日下部は反応できるが、対応が遅れる。

「くそっ……!」
 腕を振るが、読まれている。
 玄弥の拳が、脇腹に入った。

「がはっ……!」

 日下部が、膝をつく。
 妖気が、荒く噴き出す。
「……おかしい」
「なんで……!」
 息が荒い。
 その目に、焦りが浮かんでいた。

「俺の方が……強いはずだろ……!」

「違う」
 玄弥は、はっきり言った。

「お前は、力を借りてるだけだ」
 その言葉に。
 日下部の背後で、何かが脈打った。
 影が、ぐにゃりと歪む。

「……うるさい」
 声が、重なった。
 日下部の口が動いた。
 だが――声が、二重だった。

「……ッ!?」
 玄弥の背筋が、凍る。
 葛葉が、低く唸る。
「……来おったな」



「力を借りている、だと?」
 日下部が、ゆっくり立ち上がる。
 だが、その動きは、もう日下部のものじゃない。

 首が、不自然に傾く。

「違う、違う」
 声が、低く、粘つく。

「力を与えただけだよ」
 影が、日下部の背中からせり上がる。
 獣の顔。歪んだ口。

「なっ……!」
 玄弥は、思わず一歩下がる。
「この器は、望んだのだ」

 日下部の顔が、苦悶に歪む。
「黙れ……!」

「黙るのは、キサマだ」
 妖怪が、嗤う。

「弱さに泣き、強さを欲した」
「だから、我を招いた」

「日下部! 聞くな!」

「無駄だよ」
 妖の声が、嘲るように続く。
「もう、聞こえているのはワタシの声だけだ」

 その視線が、玄弥を捉えた。
「……九尾の契約者か。面白い」

「玄弥、もう迷うな」
 葛葉が、はっきり言い放つ。

「あやつは、主導権を奪われかけておる」

「……分かってる」
 玄弥は、拳を握る。
 霊力が、静かに立ち上がる。

「ここで止める」
 妖怪が、嗤った。

「止められるかな。人の身で?」



 訓練場の空気が、歪んだ。
 妖気が、満ちていく。
 息が、詰まる。
「……この器も、限界だな」

 日下部の口から漏れた声は、完全に"別物"だった。
 低く、湿り気を帯びた声。
 影が、日下部の身体を包み込む。
 輪郭が、曖昧になる。

「……やめろ……!」
 今度は、日下部自身の声だった。
 喉を裂くような叫び。

「俺の……身体だ……!」
 膝が、がくりと落ちる。
 頭を抱え、歯を食いしばる。

 ――内側で、何かが引き裂かれている。

「まだ抵抗するか」
 妖怪が、呆れたように言う。

「お前は弱い。だから、我を招いた」

「違う……!」



 ――暗い、閉ざされた世界。
 日下部の意識の中で、自分より遥かに大きな"何か"がいる。
 黒く、濁った塊。
 じわじわと、迫ってくる。

「俺は……」

 クラスでの視線。
 敗北。
 屈辱。

 それらが、鎖のように絡みつく。
「負けたくない、だろう?」
 妖の声が、甘くなる。

「なら、譲れ」
「力は、我が使う」
「おぬしは、眠っていればよい」

「……嫌だ……!」

 日下部は、地面に額を打ちつける。
 血が、にじむ。
「俺は……俺のまま、強くなりたかった……!」
 その瞬間。
 影が、一気に膨れ上がった。

「――決めた」

 妖怪の声が、冷たくなる。
「完全に、喰ってやろう」

 日下部の背中から、獣の腕のような影が伸びる。
 骨が、軋む音がした。
「ぐ……ああああっ!!」

 叫びが、空を裂く。
「日下部――!!」

 葛葉が、鋭く叫ぶ。
「まずい! 主導権を奪われたら、二度と戻れぬ!」

 日下部の目が、ぎょろりと見開かれる。
 白目に、黒い筋が走る。
「……見ていろ、人間」

 妖怪が、玄弥を見据えた。
「この身体は――」

 だが。

 その口の奥から。
「……まだだ……!」

 かすれた声。
 ほんの一瞬、瞳に日下部の意志が戻る。
「……たのむ……止めてくれ……」

 弱く、しかし確かな言葉だった。



 次の瞬間。
 影が、完全に覆いかぶさろうとする。
 ――あと一歩で、完全憑依。

(今、動かなきゃ)
 玄弥は、踏み込んだ。

 突進が来る。
 速い。今までとは、比べものにならない。
 真正面から受けない。
 霊力を脚に集中し、横へ滑る。

 拳が掠めるだけで、風圧が肌を裂いた。

「……っ!」
 避けきれなかった。
 肩が弾かれ、地面を転がる。
 だが、すぐに立ち上がる。

「逃げるな、人間!」
「この力を前にして、まだ抗うか!」

「……抗うさ」
 玄弥は、息を整えた。
 霊力を、静かに、深く巡らせる。

「日下部は――まだ、諦めてない」
 その言葉に。
 日下部の身体が、一瞬だけ硬直した。

「今じゃ! 内側が揺れた!」
 葛葉の叫び。
 玄弥は、踏み込んだ。
 攻撃は正面から。
 逃げない。
 霊力を、全身に均等に流す。

 拳ではない。
 掌。

「――戻れ!!」
 掌底が、日下部の胸に叩き込まれる。

 ドンッ!!
 霊力が、爆ぜるように広がった。

「があああっ!!」
 日下部が、仰け反る。

 その瞬間。
 影が、引き剥がされるように浮き上がった。

「……なに?」
 妖の声に、初めて焦りが混じる。

「霊力を、直接干渉させている……?」
 もう一歩、踏み込む。
 全身を使った衝撃。
 霊力が、渦を巻く。

 日下部の身体から、黒い影が――
 引きずり出される。

「――離せ!!」
 妖怪が叫ぶ。



「葛葉!」

「今じゃ!」
 地面に、即席の分離術式を描く。
 霊力が、光となって走った。

 影が、完全に引き剥がされ――
 悲鳴と共に、地面に叩きつけられた。

「ぐ……っ!」

 妖怪は形を保てず、霧のように揺らぐ。
「この……器は……!」

「終わりだ」
 玄弥は、霊力を抑え込む。
 影は最後に悔しそうに歪み――

 消えた。



 静寂。
 訓練場に、風が戻る。
 日下部は、地面に倒れたまま荒く息をしていた。

 玄弥は、駆け寄る。
「日下部!」

 瞼が、ゆっくり開く。
「……生きてる……?」

 その目は、もう普通だった。
 人の、目だった。
「助かったのか……」

 玄弥は、深く息を吐いた。
「ああ」

「二度と、あんな真似するな」
 日下部は、苦笑した。

「……言われなくても、懲りた」

 葛葉が、肩の上で静かに言う。
「完全に取り除いた」
「じゃが……痕は残る」

「……それでいい」
 日下部の声は、静かだった。

「戒めにする」
 玄弥は、夕焼けを見上げた。

 救えた。

 だが、これは終わりじゃない。

 あの影を仕込んだ者がいる。
 日下部に囁いた声がある。
 ――まだ、何かが動いている。

 夕暮れが、訓練場を赤く染めていた。
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