婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの

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「……効率が悪いですね」

公爵邸の廊下を歩きながら、私は呟いた。

私の後ろを歩いていた執事長が、ビクリと肩を震わせる。

「も、申し訳ございません! どこか汚れておりましたでしょうか!?」

「いいえ、清掃状態は及第点です。私が指摘しているのは、労働環境(システム)のことです」

私は廊下の隅で、雑巾がけをしている若いメイドたちを指差した。

彼女たちは目の下にクマを作り、フラフラと揺れながら床を磨いている。

手元を見れば、雑巾はボロボロ、バケツの水は冷たそうだ。

「彼女たちの平均睡眠時間は?」

「は、はい……通常、朝の四時から夜の十二時まで働いておりますので……四時間ほどかと」

「休憩時間は?」

「食事の時に十五分ずつです」

「……休みは?」

「公爵家に仕える者に、休日などという甘えは許されません!」

執事長が胸を張って答える。

これが、この世界の「常識」なのだろう。

だが、私の「経営理論」においては、これは最悪の愚策だ。

「執事長。貴方は馬車馬を休ませずに走らせ続けたら、どうなると思いますか?」

「は? それは……いずれ潰れて死んでしまいますが」

「人間も同じです。疲労は判断力を鈍らせ、作業効率を低下させ、最終的にはミス(破損・怪我)によるコスト増を招きます」

私は手帳を開き、計算式を書き込んだ。

「現状の疲労度による作業効率の低下率は約40%。ミスによる物品破損の損失額が月間金貨十枚。……無駄ですね。非常に無駄です」

「は、はあ……」

「改革が必要です。直ちに」

***

その日の午後。

私はアイザック様の執務室に乗り込んだ。

「ボス。相談があります」

「ん? また誰かの首を切るのか?」

アイザック様は書類から目を離さずに冗談めかして言う。

「逆です。生かすための提案です」

私は一枚の提案書を彼の机に叩きつけた。

タイトルは『労働環境改善計画書』。

「……なんだこれは。『完全週休二日制』? 『八時間労働・三交代制』? 『有給休暇』?」

アイザック様が眉をひそめて読み上げる。

「聞いたことのない単語ばかりだな」

「私のオリジナル経営メソッドです。簡単に言えば、『休みを与えて、給料を上げて、効率を上げる』システムです」

「……休みを与えて効率が上がるのか? 作業時間が減るだろう」

「集中力が違います。ダラダラと十六時間働くより、集中して八時間働く方が成果は出ます。残りの時間は休息と自己研鑽に充てさせれば、長期的には人材の質も向上します」

私は熱弁を振るった。

「それに、彼らは閣下を『冷酷な支配者』だと恐れています。このままでは、いつか内部反乱(ストライキ)が起きますよ。ここで『アメ』を与えて、忠誠心を『恐怖』から『恩義』へ書き換える必要があります」

「ふむ……」

アイザック様は顎に手を当てて考え込んだ。

「忠誠心の書き換え、か。それは興味深い」

「費用対効果は私が保証します。もし一ヶ月後に成果が出なければ、私の給与から補填しても構いません」

「……分かった。君がそこまで言うなら試してみよう。ただし、屋敷が回らなくなったら即中止だぞ」

「ご安心を。私の辞書に『回転不足』という言葉はありません」

***

翌日。

私は使用人たちを大広間に集め、高らかに宣言した。

「本日より、新たな就業規則を導入します!」

使用人たちが不安そうに顔を見合わせる。

また何か厳しいノルマを課されると思ったのだろう。

「第一条。一日の労働時間は八時間までとします。それを超える労働は原則禁止。どうしても必要な場合は、基本給の1.5倍の『残業代』を支払います」

「……は?」

全員が口をポカーンと開けた。

「第二条。一週間のうち、必ず二日の休日を取得すること。休日はシフト制とし、互いに業務を引き継ぐこと」

「きゅ、休日……?」

「第三条。制服、清掃用具などの備品はすべて新品に交換します。使いにくい道具は効率低下の要因です。新しい道具の購入申請は随時受け付けます」

「……」

「第四条。食堂のメニューを一新します。栄養バランスを考慮し、肉と野菜を増量。デザートもつけます。もちろん、食費は公爵家負担です」

シン、と静まり返る大広間。

誰も言葉を発しない。

あまりの待遇の良さに、理解が追いついていないようだ。

一人の若いメイドがおずおずと手を挙げた。

「あ、あのぉ……カルル様……」

「なんでしょう」

「そ、そんなにお休みを頂いて……その、私たちはクビになるんでしょうか……? 最後の晩餐的な……」

「いいえ。貴女たちには、より一層働いてもらうために休ませるのです」

私は眼鏡を光らせ、ニヤリと笑った。

「しっかり休んで、美味しいものを食べて、その分、仕事中は死ぬ気で集中しなさい。ミスは許しません。サボっている者は即刻減給です。……分かりましたか?」

一瞬の沈黙の後。

「は……はいっ!!」

「働きます! 死ぬ気で働きますぅぅ!!」

「カルル様ぁぁぁ!! 一生ついていきますぅぅ!!」

爆発的な歓声が上がった。

泣き出す者、拝み出す者、抱き合って喜ぶ者。

まるで革命が成功したかのような騒ぎだ。

「……単純ですね」

私は満足げに頷いた。

これで彼らのモチベーションは最大値(マックス)まで跳ね上がった。

***

結果は、劇的だった。

一週間後。

屋敷の中は見違えるように変わっていた。

廊下はチリ一つなく磨き上げられ、窓ガラスは存在を忘れるほど透明に輝いている。

料理の質は向上し、アイザック様に出されるお茶の温度も完璧になった。

何より、使用人たちの顔つきが変わった。

以前のような、怯えたような暗い表情はない。

背筋を伸ばし、キビキビと動き、すれ違うたびに明るく「おはようございます!」と挨拶をしてくる。

「……信じられんな」

執務室で報告書を見ていたアイザック様が、呆然と呟いた。

「作業時間は半減しているのに、成果は倍増している。光熱費も下がっているし、食材のロスも減っている……魔法か?」

「科学(マネジメント)です、ボス」

私は紅茶を淹れながら答えた。

「人間は、自分が大切にされていると感じれば、その組織のために尽くそうとする生き物です。恐怖で縛るより、利益(メリット)で釣る方が、長期的には安上がりなのです」

「君は……本当に面白いな」

アイザック様は私を見つめ、優しく微笑んだ。

「俺はずっと、彼らに『恐怖』しか与えてこなかった。君のおかげで、この屋敷に『温度』が生まれた気がする」

「……室温管理も業務の一環ですので」

私が照れ隠しにそっけなく答えると、ドアがノックされた。

入ってきたのは、あの執事長だ。

以前とは別人のように肌艶が良く、笑顔まで浮かべている。

「旦那様、カルル様。おやつの時間でございます」

ワゴンには、厨房スタッフが腕によりをかけた特製ケーキが載っている。

その皿の縁に、チョコペンで何か書いてあった。

『We Love Karl』

「……なんだこれは」

アイザック様が文字を読んで吹き出した。

「使用人たちからの感謝のメッセージのようです。……少々、重いですね」

「ははは! 『氷の公爵家』の使用人が、愛を語るとはな!」

アイザック様は楽しそうに笑い、フォークを手に取った。

「どうやら、君はこの屋敷の『裏の支配者』……いや、『女神』になったようだな」

「女神ではありません。ただの合理的な管理者です」

私はケーキを口に運んだ。

甘い。

そして、とても美味しい。

「……ですが、悪くない職場環境ですね」

「だろう? これからも頼むよ、女神様」

こうして、私は公爵邸の全権を(実質的に)掌握した。

使用人たちは私の手足となり、アイザック様は私に全幅の信頼を置いている。

地盤は固まった。

これで、いつ外敵(元婚約者たち)が攻めてきても、迎え撃つ準備は万端だ。

……そう思っていた矢先のことだ。

平和になった屋敷に、一通の手紙が届いたのは。

それは、私の「過去」からの、忌々しい呼び出し状だった。
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