婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。

パリパリかぷちーの

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「……で、昨日の手紙はなんと?」

翌朝の執務室。

アイザック様が、羽ペンを走らせながら尋ねてきた。

私は手元の書類を分類しながら、淡々と答える。

「実家の父からです。『家計が火の車だ。今すぐ戻って帳簿を直せ。これは父としての命令だ』とのことでした」

「ふん、虫のいい話だな。で、どうした?」

「返信はすでに発送済みです。『コンサルティング契約のご案内』を同封しました。基本料金は金貨一千枚、実務着手金は別途見積もり、なお未払い給与の精算が完了するまで業務は開始しない、と」

「くくっ……金貨一千枚か。あの守銭奴の父親が泡を吹いて倒れる姿が目に浮かぶ」

アイザック様は楽しそうに喉を鳴らした。

「ま、当然の対応だ。君はもう我が領地の重要資産(コア・システム)だ。あんな泥舟に返すつもりはない」

「『資産』としての減価償却期間が終わるまでは、こき使うおつもりで?」

「いいや。価値が上がり続けるなら、永久保有だ」

さらりと殺し文句(プロポーズに近い発言)を吐くボスに、私は眉をひそめた。

「……閣下。そのような歯の浮くようなセリフは、社交界のご令嬢相手にお使いください。私には『特別ボーナス支給』と言っていただいた方が心拍数が上がります」

「君は本当に可愛げがないな。そこがいいんだが」

私たちは軽口を叩きながらも、手は一度も止めていなかった。

今日の業務は、領内全土から集められた「秋の収穫祭」に関する予算申請と、警備計画の策定だ。

通常、文官十人がかりで一週間かかる分量である。

だが、今の私たちには「準備運動」にもならない。

シャッ、シャッ、シャッ。

静寂な執務室に、紙が擦れる音とペンの音だけが、小気味よいリズムで響く。

「カルル、南地区の警備兵増員申請。どう思う?」

「却下です。昨年のデータによれば、南地区の来場者数は減少傾向。現行の人員で十分対応可能。代わりに、混雑が予想される中央広場に人員をシフトすべきです」

「同感だ。では、浮いた予算は?」

「救護テントの拡充と、迷子センターの設置に回します。昨年のトラブル件数のワースト1は『迷子』ですので」

「採用」

会話のキャッチボールすら、最小限の単語で成立する。

思考回路が直結しているかのような感覚。

私が「あ」と言えば、アイザック様は「うん」と頷いて承認印を押す。

彼が眉をひそめれば、私は即座に補足資料を差し出す。

(……快適ですね)

私は認めざるを得なかった。

王太子ジェラール殿下との仕事は、まるで泥沼の中を歩くようなストレスの連続だった。

いちいち説明し、説得し、尻を叩き、それでも間違った方向へ走ろうとする彼を必死で引き止める日々。

それに比べて、アイザック様との仕事は、整備された高速道路をスポーツカーで駆け抜けるような爽快感がある。

「……よし、ラスト!」

アイザック様が最後の一枚にサインをし、ペンを置いた。

私も同時に、承認済み書類の束をトントンと揃えた。

時計を見る。

「……十四時三十分。予定より三時間前倒し(巻いた)ですね」

「最高記録更新だな。我ながら恐ろしい処理能力だ」

アイザック様が背伸びをして、凝り固まった筋肉をほぐす。

「どうする? 時間が空いたな」

「そうですね。次の四半期の予算案に手を付けてもいいですが……」

私が次の書類の山に手を伸ばそうとすると、アイザック様がそれを制した。

「待て待て。働きすぎだ。君の『労働環境改善計画』に反するぞ。休息も業務のうちだろう?」

「……正論です。反論の余地がありません」

私は手を引っ込めた。

確かに、ここで根を詰めては、せっかくの効率化の意味がない。

「では、休憩(ティーブレイク)にしましょう。お茶を淹れます」

「いや、今日はいい天気だ。庭に出よう」

アイザック様は立ち上がり、窓を開け放った。

秋晴れの爽やかな風が吹き込んでくる。

「少し、君とゆっくり話がしたかったんだ。数字の話以外でな」

***

公爵邸の庭園は、美しく手入れされていた。

以前は荒れ放題だったらしいが、私の業務改善の一環で、庭師たちがやる気を出した結果、見事な薔薇園が復活している。

私たちはガゼボ(西洋風の東屋)に腰を下ろした。

メイドが運んできた紅茶とスコーンを前に、穏やかな時間が流れる。

「……静かですね」

「ああ。君が来る前は、この庭に出るのも億劫だった。どこにいても仕事のことが頭から離れなくてな」

アイザック様は紅茶のカップを揺らしながら、遠い目をした。

「俺は、十代の頃に父を亡くして公爵位を継いだ。周りは敵だらけ、領地は借金まみれ。生き残るために、心を凍らせて『氷の公爵』になりきるしかなかった」

ふと漏らされた、彼の過去。

普段の傲岸不遜な態度からは想像できない、弱音のような言葉。

「感情を殺し、利益だけを追求する。それが俺の生存戦略だった。……だが、時々思うんだ。俺は人間として、何か大事な機能を欠落させてしまったんじゃないかと」

彼は自嘲気味に笑った。

「だから、君を見た時、衝撃を受けたんだ」

「私、ですか?」

「ああ。君は俺と同じように、徹底的な合理主義者だ。だが、君は冷たくない」

アイザック様が私の方を向き、真っ直ぐに瞳を覗き込んできた。

「君の合理性には、芯に『愛』がある。王太子への請求も、使用人への改革も、結局は誰かを守るため、良くするための行動だ。君は、俺が失くしたものを全部持っている」

「……買い被りです」

私は動揺を隠すために、スコーンを口に放り込んだ。

「私はただ、損をするのが嫌いなだけです。非効率な不幸が許せないだけです」

「それを世間では『優しさ』と呼ぶんだよ、カルル」

アイザック様が手を伸ばし、私の口元についたスコーンの粉を親指で拭った。

「ッ……!?」

不意打ちの接触。

私の思考回路がショートする。

心拍数が急上昇。

顔面温度が上昇。

エラー、エラー、エラー。

「……か、閣下。衛生的に問題があります。ハンカチをお使いください」

「はは、照れると早口になる癖、可愛いな」

彼は楽しそうに笑い、拭った指を――あろうことか、自分の口で舐めた。

ボッッッ!!

私は湯沸かし器のように顔を真っ赤にした。

「こ、こ、行動の意味が不明です! それはセクハラに該当します! 訴訟リスクを考慮してください!」

「俺の婚約者だろう? これくらいは『福利厚生』の範囲内だ」

「契約書には記載されておりません!」

私が必死に抗議すると、アイザック様は満足げに目を細めた。

「カルル。君には敵わないな。仕事では完璧なのに、こういう時は隙だらけだ」

「……隙ではありません。バグです」

私はそっぽを向いて、紅茶を煽った。

(危険です。この男は、非常に危険です)

私の堅牢なファイアウォール(心の壁)を、いとも簡単に突破してくる。

王太子のように馬鹿なら対処も容易だが、この人は有能で、顔が良くて、その上でこうやって真正面から好意をぶつけてくる。

対処マニュアルが存在しない。

「……ところで、カルル」

アイザック様が少し声を潜めた。

「ん? なんでしょう」

「実は、君に相談したい『弱点』があるんだ」

「弱点? 閣下に?」

あの完璧超人の氷の公爵に、弱点などあるのだろうか。

私は興味を惹かれて身を乗り出した。

「はい。コンサルタントとして伺いましょう。一体何が?」

「……実は、甘いものが止められないんだ」

「は?」

「特に、君が改革した厨房が作る『特製プリン』。あれが美味すぎて、毎晩こっそり二個食べている」

アイザック様は真剣な顔で告白した。

「おかげで、最近ウエストがきつい。……どうすればいい? 運動時間を捻出すべきか、それともプリンを禁止リストに入れるべきか」

「…………」

私は力が抜けて、ガクッと肩を落とした。

なんて平和な悩みだ。

そして、なんて――可愛い人なんだろう。

「……却下です。プリン禁止はストレス要因となり、業務効率を下げます」

「む、そうか?」

「ええ。その代わり、私が毎朝の散歩にお付き合いします。二人で歩けば、カロリー消費と健康増進、ついでに領内の視察もできて一石三鳥です」

私が提案すると、アイザック様はパッと顔を輝かせた。

「名案だ! さすがカルル。君は俺の救世主だ」

「大袈裟です」

私たちは顔を見合わせて笑った。

秋の風が心地よく吹き抜ける。

仕事のパートナーとして、そして少しずつ、それ以上の存在として。

私たちの距離は、確実に縮まっていた。

――と、そんな穏やかな空気を引き裂くように、庭園の入り口から騒がしい声が聞こえてきた。

「ここね! ここにお兄様をたぶらかした泥棒猫がいるのね!」

「ちょっと! 勝手に入らないでください!」

執事たちの制止を振り切って、派手なドレスを着た少女がドカドカと庭に入ってくる。

「……あちゃあ」

アイザック様が額を押さえた。

「……厄介なのが来たな」

「どなたですか? データベースに該当者がいませんが」

「俺の従妹(いとこ)だ。昔から俺に執着していてな……『お兄様のお嫁さんになるのは私!』と言って聞かないんだ」

なるほど。

「身内枠」のライバル登場というわけか。

私は眼鏡の位置を直し、戦闘モード(ビジネスライク)へと切り替えた。

「想定の範囲内です、ボス。親族トラブル対応オプション、追加しておきますね」

「頼もしいよ。……手加減してやってくれ」

私が立ち上がると、少女がこちらを睨みつけて叫んだ。

「貴女ね! 隣国から来た出戻り令嬢って! お兄様から離れなさいよ、この貧乏神!」

ふむ。

語彙力は王太子の元婚約者(ミナ嬢)よりはマシだが、品性は同レベルのようだ。

私は優雅に微笑み、一歩前に出た。

「ごきげんよう。貧乏神ではなく、『福の神(黒字請負人)』のカルルです。ご予約のない面会はお断りしておりますが?」

新たな「害虫駆除」業務の開始である。
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