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南国サザン・アイランドでの激務(ハネムーン)を終え、私たちはグラン・ノワール公爵領へと帰還した。
馬車が屋敷に到着すると、使用人たちが総出で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、旦那様! 奥様!」
「お帰りなさいませ! お土産話、楽しみにしておりました!」
皆、ニコニコと笑っている。
以前の、処刑を恐れるような陰鬱な空気は微塵もない。
「ただいま。留守中、問題はなかった?」
私が馬車から降りようとすると、アイザック様がすかさず手を差し伸べ、ほとんど抱きかかえるようにして降ろしてくれた。
「過保護ですね、あなた。足腰は健在ですよ」
「長旅で疲れているだろう。積み荷(君)を丁寧に扱うのは運送の基本だ」
「……私は貨物ですか」
軽口を叩きながら、私は執事長に向き直った。
「留守中の業務報告書は? あと、南国から送ったスパイスの第一便は届いていますか?」
「は、はい! スパイスは倉庫に。報告書は執務室に用意してあります。……ですが奥様、まずは旅の疲れを癒やしてからでも……」
「いいえ。時は金なりです。早速、新商品の開発会議を……うっ」
言葉を発した瞬間。
ふわりと、厨房の方から漂ってきた匂い――おそらく、夕食の準備で肉を焼く脂の匂いが鼻をかすめた。
その瞬間、強烈な吐き気が胃の腑からせり上がってきた。
「……っぷ」
私は慌てて口元を押さえた。
視界がぐらりと揺れる。
「カルル!?」
アイザック様が血相を変えて私の体を支えた。
「どうした!? 顔色が悪いぞ!」
「い、いえ……少し、目眩が……」
「毒か!? 誰だ、変なものを食わせたのは!」
アイザック様の目が殺気立つ。
「おい! 直ちに医師を呼べ! いや、国一番の治癒魔法使いを連れてこい! 城門を封鎖しろ! 刺客かもしれん!」
「お、大袈裟です……ただの胃もたれかと……」
「黙ってろ! 君にもしものことがあったら、俺はこの世界を滅ぼす!」
「……滅ぼさないでください。資産価値が下がります」
私が薄れゆく意識の中でツッコミを入れると同時に、私の体はふわりと浮き上がった。
アイザック様がいわゆる「お姫様抱っこ」をして、屋敷の中へと猛ダッシュを始めたのだ。
「死ぬなよカルル! 絶対に助ける!」
(……走りすぎです。揺れて余計に気持ち悪いのですが……)
私は抗議する気力もなく、そのまま意識を手放した(気絶ではなく、単に眠かっただけだが)。
***
目が覚めると、私は天蓋付きのベッドに寝かされていた。
部屋の中には、心配そうな顔をしたアイザック様と、白ひげを蓄えた老医師がいた。
「……気がついたか!」
アイザック様が私の手を握りしめる。
その手は冷たく汗ばんでいた。
「ここは……? 私は、どれくらい寝ていましたか?」
「三時間ほどだ。……怖かったぞ、カルル」
彼の瞳が潤んでいる。
よほど心配をかけたらしい。
「申し訳ありません。自己管理(体調管理)の不徹底です。……診断結果は? 過労ですか? それとも南国の風土病?」
私はすぐに復帰までのスケジュールを計算し始めた。
隔離が必要なら、執務室に結界を張ってリモートワークを……。
「……いや、病気ではないそうだ」
アイザック様が、奇妙に強張った顔で医師を見た。
老医師が、にこやかに頷く。
「はい。奥様、おめでとうございます」
「……は?」
「ご懐妊です」
時が止まった。
私の脳内CPUが、処理落ちを起こしてフリーズする。
懐妊。
かいにん。
妊娠。
Preganancy.
「……に、妊娠、ですか?」
「はい。脈診の結果、三ヶ月目に入ったところかと。先ほどの吐き気は『つわり』ですね。赤ちゃんが元気に育っている証拠ですよ」
医師が荷物をまとめながら説明する。
「当面は安静に。激しい運動や、ストレスのかかる仕事は控えてくださいね」
医師が部屋を出て行っても、私はまだ呆然としていた。
妊娠。
私が、母親になる?
計算外だ。
いや、生物学的なプロセスを経ている以上、確率はゼロではなかったが、まさかこんなに早く(効率よく)結果が出るとは。
「……カルル」
アイザック様が、震える声で私の名前を呼んだ。
見ると、彼は顔を真っ赤にして、さらに目から大粒の涙をポロポロと流していた。
「あ、赤ちゃん……俺たちの、子供……」
「……閣下、泣きすぎです」
「だって……嬉しいだろう! 君と俺の結晶だぞ! ああ、どうしよう、名前を考えないと……いや、その前に子供部屋だ! 最高級の揺りかごを発注して……」
彼は完全にパニック(喜びのあまり)状態だった。
いつもの冷徹な公爵様はどこへ行ったのか。
「落ち着いてください。まだ生まれるまで半年以上あります」
私は冷静さを取り戻そうと、深呼吸をした。
そして、無意識にお腹に手を当てた。
まだ平らだ。
でも、ここに新しい命があるという。
「……コスト計算をしないといけませんね」
「は?」
「出産費用、育児用品代、教育費、そして将来の相続対策。……莫大な長期プロジェクトになります」
私が呟くと、アイザック様は涙を拭いて、呆れたように笑った。
「君は……この期に及んで、まだ金の話か」
「当然です。子供一人育てるのに、どれだけの投資が必要だと思っているんですか」
「心配するな。俺の全財産を使ってもいい」
彼は私の手を取り、そっとお腹の上に重ねた。
「金も、手間も、愛情も。惜しみなく注ごう。……俺たちのような『寂しい子供』にはさせない」
その言葉に、私は胸が詰まった。
そうだ。
彼は幼くして両親を亡くし、私は家族から疎まれて育った。
私たちは「家庭の温かさ」を知らずに大人になった。
でも、これからは違う。
「……そうですね。最高に効率的で、最高に幸せな家庭を築きましょう」
「ああ。約束する」
アイザック様は私の額にキスをし、それからお腹にも優しくキスをした。
「よろしくな、ちびっ子。パパだぞ」
その姿を見て、私は初めて、数字ではない「温かいもの」が胸いっぱいに広がるのを感じた。
しかし。
この感動的なシーンの翌日から、アイザック様の「過保護モード」が暴走し、私の仕事に多大な支障(ロックダウン)が発生することになる。
「カルル! 起き上がるな! ペンを持つな! 電卓も重いから禁止だ!」
「……閣下。これはパワハラです」
新たな戦い――「妊婦vs過保護な夫」の幕開けであった。
馬車が屋敷に到着すると、使用人たちが総出で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、旦那様! 奥様!」
「お帰りなさいませ! お土産話、楽しみにしておりました!」
皆、ニコニコと笑っている。
以前の、処刑を恐れるような陰鬱な空気は微塵もない。
「ただいま。留守中、問題はなかった?」
私が馬車から降りようとすると、アイザック様がすかさず手を差し伸べ、ほとんど抱きかかえるようにして降ろしてくれた。
「過保護ですね、あなた。足腰は健在ですよ」
「長旅で疲れているだろう。積み荷(君)を丁寧に扱うのは運送の基本だ」
「……私は貨物ですか」
軽口を叩きながら、私は執事長に向き直った。
「留守中の業務報告書は? あと、南国から送ったスパイスの第一便は届いていますか?」
「は、はい! スパイスは倉庫に。報告書は執務室に用意してあります。……ですが奥様、まずは旅の疲れを癒やしてからでも……」
「いいえ。時は金なりです。早速、新商品の開発会議を……うっ」
言葉を発した瞬間。
ふわりと、厨房の方から漂ってきた匂い――おそらく、夕食の準備で肉を焼く脂の匂いが鼻をかすめた。
その瞬間、強烈な吐き気が胃の腑からせり上がってきた。
「……っぷ」
私は慌てて口元を押さえた。
視界がぐらりと揺れる。
「カルル!?」
アイザック様が血相を変えて私の体を支えた。
「どうした!? 顔色が悪いぞ!」
「い、いえ……少し、目眩が……」
「毒か!? 誰だ、変なものを食わせたのは!」
アイザック様の目が殺気立つ。
「おい! 直ちに医師を呼べ! いや、国一番の治癒魔法使いを連れてこい! 城門を封鎖しろ! 刺客かもしれん!」
「お、大袈裟です……ただの胃もたれかと……」
「黙ってろ! 君にもしものことがあったら、俺はこの世界を滅ぼす!」
「……滅ぼさないでください。資産価値が下がります」
私が薄れゆく意識の中でツッコミを入れると同時に、私の体はふわりと浮き上がった。
アイザック様がいわゆる「お姫様抱っこ」をして、屋敷の中へと猛ダッシュを始めたのだ。
「死ぬなよカルル! 絶対に助ける!」
(……走りすぎです。揺れて余計に気持ち悪いのですが……)
私は抗議する気力もなく、そのまま意識を手放した(気絶ではなく、単に眠かっただけだが)。
***
目が覚めると、私は天蓋付きのベッドに寝かされていた。
部屋の中には、心配そうな顔をしたアイザック様と、白ひげを蓄えた老医師がいた。
「……気がついたか!」
アイザック様が私の手を握りしめる。
その手は冷たく汗ばんでいた。
「ここは……? 私は、どれくらい寝ていましたか?」
「三時間ほどだ。……怖かったぞ、カルル」
彼の瞳が潤んでいる。
よほど心配をかけたらしい。
「申し訳ありません。自己管理(体調管理)の不徹底です。……診断結果は? 過労ですか? それとも南国の風土病?」
私はすぐに復帰までのスケジュールを計算し始めた。
隔離が必要なら、執務室に結界を張ってリモートワークを……。
「……いや、病気ではないそうだ」
アイザック様が、奇妙に強張った顔で医師を見た。
老医師が、にこやかに頷く。
「はい。奥様、おめでとうございます」
「……は?」
「ご懐妊です」
時が止まった。
私の脳内CPUが、処理落ちを起こしてフリーズする。
懐妊。
かいにん。
妊娠。
Preganancy.
「……に、妊娠、ですか?」
「はい。脈診の結果、三ヶ月目に入ったところかと。先ほどの吐き気は『つわり』ですね。赤ちゃんが元気に育っている証拠ですよ」
医師が荷物をまとめながら説明する。
「当面は安静に。激しい運動や、ストレスのかかる仕事は控えてくださいね」
医師が部屋を出て行っても、私はまだ呆然としていた。
妊娠。
私が、母親になる?
計算外だ。
いや、生物学的なプロセスを経ている以上、確率はゼロではなかったが、まさかこんなに早く(効率よく)結果が出るとは。
「……カルル」
アイザック様が、震える声で私の名前を呼んだ。
見ると、彼は顔を真っ赤にして、さらに目から大粒の涙をポロポロと流していた。
「あ、赤ちゃん……俺たちの、子供……」
「……閣下、泣きすぎです」
「だって……嬉しいだろう! 君と俺の結晶だぞ! ああ、どうしよう、名前を考えないと……いや、その前に子供部屋だ! 最高級の揺りかごを発注して……」
彼は完全にパニック(喜びのあまり)状態だった。
いつもの冷徹な公爵様はどこへ行ったのか。
「落ち着いてください。まだ生まれるまで半年以上あります」
私は冷静さを取り戻そうと、深呼吸をした。
そして、無意識にお腹に手を当てた。
まだ平らだ。
でも、ここに新しい命があるという。
「……コスト計算をしないといけませんね」
「は?」
「出産費用、育児用品代、教育費、そして将来の相続対策。……莫大な長期プロジェクトになります」
私が呟くと、アイザック様は涙を拭いて、呆れたように笑った。
「君は……この期に及んで、まだ金の話か」
「当然です。子供一人育てるのに、どれだけの投資が必要だと思っているんですか」
「心配するな。俺の全財産を使ってもいい」
彼は私の手を取り、そっとお腹の上に重ねた。
「金も、手間も、愛情も。惜しみなく注ごう。……俺たちのような『寂しい子供』にはさせない」
その言葉に、私は胸が詰まった。
そうだ。
彼は幼くして両親を亡くし、私は家族から疎まれて育った。
私たちは「家庭の温かさ」を知らずに大人になった。
でも、これからは違う。
「……そうですね。最高に効率的で、最高に幸せな家庭を築きましょう」
「ああ。約束する」
アイザック様は私の額にキスをし、それからお腹にも優しくキスをした。
「よろしくな、ちびっ子。パパだぞ」
その姿を見て、私は初めて、数字ではない「温かいもの」が胸いっぱいに広がるのを感じた。
しかし。
この感動的なシーンの翌日から、アイザック様の「過保護モード」が暴走し、私の仕事に多大な支障(ロックダウン)が発生することになる。
「カルル! 起き上がるな! ペンを持つな! 電卓も重いから禁止だ!」
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