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第1章
第10話:墜ちてきた影
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硝子を叩く乾いた音は、波紋のように余韻を残して途絶えた。
けれど、何かがそこに確実に存在しているという濃密な気配だけが、大気の震えを通じて僕の肌をチリチリと突き刺す。沈黙が、かえってその存在感を不気味なほど際立たせていた。
僕は金縛りにあったような体を無理やり動かし、一歩、また一歩と、薄氷を踏むような足取りで窓際に歩み寄った。 血を吐くような思いで拭き清めた、硝子の向こう。そこには、ただ冬の終わりの荒涼とした風に揺れる木々の梢と、塔を取り囲む絶壁の、どこまでも続く峻険な岩肌が見えるだけだった。
「……気のせい、なのかな」
安堵と、どこか落胆の混じった溜息を吐き、窓から目を逸らそうとした、その刹那。
視界の端を、どろりと重たい「黒」が、重力に逆らうような歪な軌道で横切った。
「っ……!」
慌てて硝子に額を押し当てるようにして顔を寄せると、そこには一羽の生き物がいた。
一見すれば大鴉のようだが、その羽毛は金属的な不自然な光沢を帯び、陽光を不気味な紫色に反射させている。この世界の理の外側に棲まう、「魔物」と呼ばれる類の獣なのだろう。
その生き物は、千切れかけた布切れのように羽をばたつかせながら、不安定な軌道で宙を彷徨っていた。右の翼の付け根が、見るも無惨にあり得ない方向へと折れ曲がっている。旋回しようと風を掴むたびに、折れた骨が肉を裂くのか、その体勢は無残に崩れ、高度がじりじりと下がっていく。
このままでは、旋回しきれずに塔の冷徹な石壁へと激突し、肉塊に変わる。
「危ない……!」
叫びは、衝動となって指先に伝わった。
反射的に、固く閉ざされた窓の取っ手に手をかけた――だが、指先が冷たい鉄に触れる寸前、僕は氷水を浴びせられたように凍りついた。
脳裏を過るのは、呪文のように繰り返される神の警告。そして、僕をここに捨て去った騎士団長の冷酷な嘲笑だ。
『お前の魔力は、一滴たりとも自分のためには使わせない』
『規約を破れば、その首輪がお前の命を刈り取るだろう』
この窓を開け、外界の空気に触れたら、一体どうなる?
この塔という檻から、少しでも体の一部を外へはみ出させた瞬間に、見えない結界が反応するのではないか。そして、あの忌々しい鉄の首輪が生き物のように収縮し、今度こそ僕の喉を焼き切り、窒息させるのではないか。
窓の向こうで、黒い塊がふらふらと、助けを求めるようにこちらへ向かってくる。
死に瀕した生き物は、その混濁した金色の瞳で、硝子という障壁の向こう側にいる僕を、じっと射抜いたような気がした。
助けたい。死なせたくない。
けれど、自分が死ぬのは、あまりにも恐ろしい。
「僕は……っ」
僕は自分の震える右手を、左手で折れるほど強く押さえつけた。
孤独な死を待つだけの、無力な「電池」に過ぎない僕に、一体何ができるというのか。
見捨ててしまえばいい。目を閉じ、何も見なかったことにすれば、僕は明日もこの薄暗い塔の中で、土の味のするパンを齧り、惨めに生き長らえることができるはずなのに。
だが、黒い影はいよいよ、逃れようのない死の質量を伴って、塔のすぐそばまで迫っていた。
けれど、何かがそこに確実に存在しているという濃密な気配だけが、大気の震えを通じて僕の肌をチリチリと突き刺す。沈黙が、かえってその存在感を不気味なほど際立たせていた。
僕は金縛りにあったような体を無理やり動かし、一歩、また一歩と、薄氷を踏むような足取りで窓際に歩み寄った。 血を吐くような思いで拭き清めた、硝子の向こう。そこには、ただ冬の終わりの荒涼とした風に揺れる木々の梢と、塔を取り囲む絶壁の、どこまでも続く峻険な岩肌が見えるだけだった。
「……気のせい、なのかな」
安堵と、どこか落胆の混じった溜息を吐き、窓から目を逸らそうとした、その刹那。
視界の端を、どろりと重たい「黒」が、重力に逆らうような歪な軌道で横切った。
「っ……!」
慌てて硝子に額を押し当てるようにして顔を寄せると、そこには一羽の生き物がいた。
一見すれば大鴉のようだが、その羽毛は金属的な不自然な光沢を帯び、陽光を不気味な紫色に反射させている。この世界の理の外側に棲まう、「魔物」と呼ばれる類の獣なのだろう。
その生き物は、千切れかけた布切れのように羽をばたつかせながら、不安定な軌道で宙を彷徨っていた。右の翼の付け根が、見るも無惨にあり得ない方向へと折れ曲がっている。旋回しようと風を掴むたびに、折れた骨が肉を裂くのか、その体勢は無残に崩れ、高度がじりじりと下がっていく。
このままでは、旋回しきれずに塔の冷徹な石壁へと激突し、肉塊に変わる。
「危ない……!」
叫びは、衝動となって指先に伝わった。
反射的に、固く閉ざされた窓の取っ手に手をかけた――だが、指先が冷たい鉄に触れる寸前、僕は氷水を浴びせられたように凍りついた。
脳裏を過るのは、呪文のように繰り返される神の警告。そして、僕をここに捨て去った騎士団長の冷酷な嘲笑だ。
『お前の魔力は、一滴たりとも自分のためには使わせない』
『規約を破れば、その首輪がお前の命を刈り取るだろう』
この窓を開け、外界の空気に触れたら、一体どうなる?
この塔という檻から、少しでも体の一部を外へはみ出させた瞬間に、見えない結界が反応するのではないか。そして、あの忌々しい鉄の首輪が生き物のように収縮し、今度こそ僕の喉を焼き切り、窒息させるのではないか。
窓の向こうで、黒い塊がふらふらと、助けを求めるようにこちらへ向かってくる。
死に瀕した生き物は、その混濁した金色の瞳で、硝子という障壁の向こう側にいる僕を、じっと射抜いたような気がした。
助けたい。死なせたくない。
けれど、自分が死ぬのは、あまりにも恐ろしい。
「僕は……っ」
僕は自分の震える右手を、左手で折れるほど強く押さえつけた。
孤独な死を待つだけの、無力な「電池」に過ぎない僕に、一体何ができるというのか。
見捨ててしまえばいい。目を閉じ、何も見なかったことにすれば、僕は明日もこの薄暗い塔の中で、土の味のするパンを齧り、惨めに生き長らえることができるはずなのに。
だが、黒い影はいよいよ、逃れようのない死の質量を伴って、塔のすぐそばまで迫っていた。
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