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第1章
第11話:震える指先
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死を背負った鴉が、いよいよ窓の目と鼻の先まで迫っていた。
折れ曲がった翼を、千切れかけた旗のようにもがき動かそうとするたび、艶を失った黒い羽根が数枚、無慈悲な重力に引かれて灰色の虚空へと舞い落ちていく。その一幕一幕が、スローモーションのように僕の瞳に焼き付いた。
「……あ、あ……」
窓枠を掴む指先に、じっとりと冷たい汗がにじみ、鉄の感触を滑らせる。
脳内では理性が、狂った警報のように鳴り響いていた。この窓を開けてはいけない。神との不可侵の約束、騎士団長が残した呪いのような警告、そして僕の喉元をいつでも食い破る準備ができているあの鉄の首輪。
この塔を取り囲む世界のすべてが、僕に対して「動くな」「関わるな」「ただ死を待て」と冷酷に命じていた。
けれど、硝子の向こう側で今まさに力尽きようとしているその命は、あまりに脆く、あまりに無防備で……そして、この凍てついた塔の中にある何よりも、残酷なほどに「生きて」いた。
「このままだと……君も、僕と同じように……独りで死んじゃう……」
漏れ出た言葉は、そのまま自分自身の境遇に重なり、胸の奥を抉った。
誰の目に留まることもなく、誰に看取られることもなく、ただ冷たい石壁に激突して、ゴミのように打ち捨てられる命。 そんな終わり方は、あまりに、あんまりだ。自分一人で十分だった。これ以上、この場所で絶望が繰り返されるのを見ていたくなかった。
僕は、数十年もの間、拒絶の象徴として閉ざされていた取っ手を、渾身の力で引き上げた。
ガリガリッ――と、錆びついた金属が断末魔のような悲鳴を上げ、沈黙していた書庫の空気を切り裂く。
来る。首輪が締まる。
僕は衝撃に備え、奥歯が砕けるほど噛み締め、反射的に目を閉じた。
……けれど、想像していた激痛は来なかった。首輪は冷たい鉄のまま、静かに僕の喉に鎮座している。
窓を開けるという物理的な動作は、魔力の行使には当たらないのか。あるいは、内側から外界の「空気」を通すだけなら、この残酷な結界も僕を見逃してくれるのか。
僕は隙間なく窓を全開にすると、結界の境界線を越えて身を乗り出さないよう細心の注意を払いながら、外の刺すような冷気の中に、震える両手を差し出した。
「こっちだ……! ここに来い! 諦めるな!」
数日ぶりに張り上げた大声は、ひどく掠れて震え、荒れ狂う風にあっけなくかき消されそうだった。
それでも、その必死の呼びかけに、鴉は反応した。
混濁していた金色の瞳が、硝子のない開かれた空間にいる僕を確かに捉える。生き物は最後の、本当に最後の力を振り絞るようにして、折れた右翼を歪に羽ばたかせた。
ドサリッ、という、重たい、確かな「質量」を伴った衝撃。
黒い塊が、僕の腕の中に飛び込んできた。
「……っ、捕まえた、捕まえたよ……!」
腕の中に、ダイレクトに伝わってくる激しい鼓動。ドク、ドクと、早鐘を打つそのリズムは、冷え切った僕の指先を驚かせるほどの、強烈な「熱」を帯びていた。
僕は慌てて窓を閉め、鍵をかけ、腕の中にある小さな「影」を、壊れ物を扱うように大切に抱きしめた。
結界は反応しなかった。首輪も、静まり返ったままだ。
外の世界に自分から触れに行くのではなく、ただ迷い込んできた弱きものを「受け入れる」だけなら、この場所は僕を罰しない。
その事実に気づいた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、膝の力が抜けた。僕は鴉を抱いたまま、埃っぽい床の上へ崩れるようにへたり込んだ。
腕の中では、黒い鴉が、喘ぐように、けれど確かに呼吸を続け、苦しげに喉を鳴らしていた。
折れ曲がった翼を、千切れかけた旗のようにもがき動かそうとするたび、艶を失った黒い羽根が数枚、無慈悲な重力に引かれて灰色の虚空へと舞い落ちていく。その一幕一幕が、スローモーションのように僕の瞳に焼き付いた。
「……あ、あ……」
窓枠を掴む指先に、じっとりと冷たい汗がにじみ、鉄の感触を滑らせる。
脳内では理性が、狂った警報のように鳴り響いていた。この窓を開けてはいけない。神との不可侵の約束、騎士団長が残した呪いのような警告、そして僕の喉元をいつでも食い破る準備ができているあの鉄の首輪。
この塔を取り囲む世界のすべてが、僕に対して「動くな」「関わるな」「ただ死を待て」と冷酷に命じていた。
けれど、硝子の向こう側で今まさに力尽きようとしているその命は、あまりに脆く、あまりに無防備で……そして、この凍てついた塔の中にある何よりも、残酷なほどに「生きて」いた。
「このままだと……君も、僕と同じように……独りで死んじゃう……」
漏れ出た言葉は、そのまま自分自身の境遇に重なり、胸の奥を抉った。
誰の目に留まることもなく、誰に看取られることもなく、ただ冷たい石壁に激突して、ゴミのように打ち捨てられる命。 そんな終わり方は、あまりに、あんまりだ。自分一人で十分だった。これ以上、この場所で絶望が繰り返されるのを見ていたくなかった。
僕は、数十年もの間、拒絶の象徴として閉ざされていた取っ手を、渾身の力で引き上げた。
ガリガリッ――と、錆びついた金属が断末魔のような悲鳴を上げ、沈黙していた書庫の空気を切り裂く。
来る。首輪が締まる。
僕は衝撃に備え、奥歯が砕けるほど噛み締め、反射的に目を閉じた。
……けれど、想像していた激痛は来なかった。首輪は冷たい鉄のまま、静かに僕の喉に鎮座している。
窓を開けるという物理的な動作は、魔力の行使には当たらないのか。あるいは、内側から外界の「空気」を通すだけなら、この残酷な結界も僕を見逃してくれるのか。
僕は隙間なく窓を全開にすると、結界の境界線を越えて身を乗り出さないよう細心の注意を払いながら、外の刺すような冷気の中に、震える両手を差し出した。
「こっちだ……! ここに来い! 諦めるな!」
数日ぶりに張り上げた大声は、ひどく掠れて震え、荒れ狂う風にあっけなくかき消されそうだった。
それでも、その必死の呼びかけに、鴉は反応した。
混濁していた金色の瞳が、硝子のない開かれた空間にいる僕を確かに捉える。生き物は最後の、本当に最後の力を振り絞るようにして、折れた右翼を歪に羽ばたかせた。
ドサリッ、という、重たい、確かな「質量」を伴った衝撃。
黒い塊が、僕の腕の中に飛び込んできた。
「……っ、捕まえた、捕まえたよ……!」
腕の中に、ダイレクトに伝わってくる激しい鼓動。ドク、ドクと、早鐘を打つそのリズムは、冷え切った僕の指先を驚かせるほどの、強烈な「熱」を帯びていた。
僕は慌てて窓を閉め、鍵をかけ、腕の中にある小さな「影」を、壊れ物を扱うように大切に抱きしめた。
結界は反応しなかった。首輪も、静まり返ったままだ。
外の世界に自分から触れに行くのではなく、ただ迷い込んできた弱きものを「受け入れる」だけなら、この場所は僕を罰しない。
その事実に気づいた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、膝の力が抜けた。僕は鴉を抱いたまま、埃っぽい床の上へ崩れるようにへたり込んだ。
腕の中では、黒い鴉が、喘ぐように、けれど確かに呼吸を続け、苦しげに喉を鳴らしていた。
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