虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨

文字の大きさ
36 / 74
第2章

第35話:週に一度の訪問

しおりを挟む
 前回の過酷な魔力提供から、ようやく一週間が経過した。骨の髄まで響くようなあのだるさが少しずつ抜け、ようやく足取りが確かになってきた頃、塔の底にあるあの重苦しい鉄扉が再び「ガコン」という音を立てて開かれた。

「おい、暖炉の調子はどうだ。火の粉を散らして床を焦がしてはいないだろうな? 薪の在庫はまだ足りているか?」

 部屋に入ってくるなり、まるで検分でもするかのように鋭い口調でまくしたてたのは、他でもない辺境伯ヨハン・ストルムベルクだった。彼の無骨な両手には、昨日までの質素な保存食とは一線を画す、驚くほど新鮮な肉の塊や、川の香りが残る魚の包みが、溢れんばかりに握りしめられていた。

「……辺境伯様。驚きました、まだ次回の魔石をお渡しする期日ではありませんが」 

「そんなことは分かっている! 貴様は……その、あまりに痩せすぎだ。月一度の形式的な食料搬入だけでは、鮮度の落ちたものばかりでろくな栄養にもならん。これからは週に一度、この俺が直接食材を持ってきてやることに決めた。いいな、拒否は許さん」

 「……はあ、左様ですか」

 正直なところ、この広大な北の地を治める最高責任者たる領主様が、わざわざ自らデリバリーの如く塔へ足を運ぶ必要なんて微塵もないはずだ。部下の兵士にでも任せれば済む話なのに、彼は「あくまで厳重な管理のためだ」と自分自身に言い聞かせるような、どこか必死で険しい顔をしながら、もはや勝手知ったる様子で我が物顔に塔の中へと踏み込んでくる。

 そのあまりの甲斐甲斐しさと、どこかピントのズレた過保護ぶりに、僕は「本当に、どこのオカンなんだ!」と心の中で激しくツッコミを入れずにはいられなかった。けれど、その不器用極まりない彼なりの心配が、凍えきっていた僕の心に灯った火のように温かくて、僕は何も言わずに彼を部屋へと迎え入れた。

 僕たちが暖炉の前でたわいもない――といっても、大半は彼の小言だが――話をしていると、ふわりと軽やかに風を切る音が響き、最上階から降りてきたレイブンが僕の背後から肩へと止まった。

「レイブン、お帰り。お腹が空いたの? 今日はね、この人がいいお肉を持ってきてくれたんだよ」

 愛しい友の帰還に、僕の頬は無意識に緩み、隠しきれない満面の笑みがこぼれ落ちる。あの子がこうして自由に空を飛び、元気で僕のそばにいてくれることが、今の僕にとっては何物にも代えがたい最大の救いだった。

 けれど、ふと意識を現実に戻すと、目の前のヨハンが苦虫を十匹ほど噛み潰したような、なんとも形容しがたい複雑な顔をして僕たちを見つめていた。 

 この地は古くから凶暴な魔物の被害に苦しめられ、多くの民が血を流してきたと聞く。そんな過酷な地の頂点に立つ領主であるなら、魔物を本能的に忌み嫌い、憎悪の対象とするのは当然の理だ。

「……すみません。不快にさせてしまいましたね。でも、この子は本当に安全なんです。僕の大切な友達なんです……」

 僕は、昨日のような悲劇が繰り返されるのを恐れ、必死に弁明の言葉を重ねた。またレイブンが氷の檻に閉じ込められ、傷つけられるのが怖くて、僕は縋るような、祈るような目で彼を見つめた。

 するとヨハンは、何か熱い塊を飲み込むように喉を大きく鳴らし、しばらくの沈黙のあと、「……フン、好きにしろ。貴様がそれで大人しくしているというなら、今は見逃してやる」とだけ短く、どこか投げやりな調子で答えて、その日は逃げるように足早に去っていった。

 それが、僕たちの間で始まった、あまりに奇妙で、けれど確かなルーティンの始まりだった。 

 週に一度、この地の支配者が最高級の新鮮な食材を抱えて現れ、あれこれと世話を焼いては、顔を赤くして帰っていく。 

 最初は困惑と恐怖しかなかったその時間は、いつしか僕にとって、そしてきっとレイブンにとっても、塔の孤独を溶かす心地よいひとときへと、静かに変わっていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?

麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。

姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました

彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。 姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

悪役の僕 何故か愛される

いもち
BL
BLゲーム『恋と魔法と君と』に登場する悪役 セイン・ゴースティ 王子の魔力暴走によって火傷を負った直後に自身が悪役であったことを思い出す。 悪役にならないよう、攻略対象の王子や義弟に近寄らないようにしていたが、逆に構われてしまう。 そしてついにゲーム本編に突入してしまうが、主人公や他の攻略対象の様子もおかしくて… ファンタジーラブコメBL 不定期更新

転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです

NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた

転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】

リトルグラス
BL
 人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。  転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。  しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。  ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す── ***  第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20) **

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

俺の婚約者は悪役令息ですか?

SEKISUI
BL
結婚まで後1年 女性が好きで何とか婚約破棄したい子爵家のウルフロ一レン ウルフローレンをこよなく愛する婚約者 ウルフローレンを好き好ぎて24時間一緒に居たい そんな婚約者に振り回されるウルフローレンは突っ込みが止まらない

処理中です...