【完結】貴方が見えない

なか

文字の大きさ
3 / 17

2話

しおりを挟む
 聞こえた声が信じられなかった。
 空いた口が乾いて、胸がバクバクと鼓動して手先が震える。
 見えない深淵の中で、私は孤立していた。

「レイクス? わ、私……」

「目が見えない事に加えて、その目元の傷は女性としては傷物すぎる」

「っ」

 二度目の声が聞こえて、幻聴ではないと分かってしまう。
 幻聴ならばどれだけ良かったか、意識不明のままならどれだけ良かったか。
 その後に続く言葉が、私に何度もそう思わせた。

「シルヴァ、アイラを外に出すのは控えろ。こんな傷の妻では他の貴族家に嘲笑される」

「だ、旦那様! アイラ様は確かにお傷を負われて目が見えなくなりました。しかし今までの献身を見捨てるような言葉は……」

「夫を支えるのは妻の定めであり、それを考慮する必要はないはずだ。それに……俺が政略結婚にて手に入れたのは自慢できる美しい妻だ。これでは政略結婚の意味がない」

 私の目元に傷が出来たから、もう目が見えなくて支える事ができないから。
 もう利用価値はないと吐き捨てるレイクスの声が、脳裏から消えてくれない。
 何度も反復して、心臓を突き刺してくる。

「旦那様! なぜ、なぜそんな酷い態度を……」

「酷いのはどちらだ? 政略結婚にて享受すべき利を護るのは互いの定めだ。俺は彼女の利となる夫の務めを果たしてきた」

「っ!」

「だが先に目が見えなくなり、醜い傷を作って政略結婚の利を失ったのはアイラだ。ならば俺が彼女のために務めを果たす意味がない」

「あまりに……非情です。旦那様はそれで良いのですか?」

「勘違いするな、これは政略結婚だ。その意味をはき違えるな。互いの利益享受という関係を断ち切ったのはアイラだろう?」

 そこからの会話は覚えていなかった。
 家令のシルヴァが言葉を投げていたが、レイクスの態度が変わる様子など微塵もない。
 今までの思い出が全て消えたように、まるで意味がなかったように……
 利用価値の無くなった私に、彼は興味も、情も、優しさも、愛も失っていた。

「……本当に、見えなくなったのね」

「アイラ奥様」

 レイクスが去った後、部屋の中に響く重い空気。
 未だ完全に癒えていない馬車の横転事故の傷がジンジンと痛む。
 そして痛みの中で呟いた言葉が、やけに大きく聞こえた。

「私は目も、レイクスの愛すら見えなくなったの。全て……失った気分だわ」 

「申し訳ありません……私が、旦那様に再度説得を」

「いいの、シルヴァ。ありがとう……でも、もういいの」

 あぁ、なにも見えないけれど……
 この頬に流れる雫の感覚だけは分かる。
 見えぬままに流す涙、首元まで伝って、とめどなく流れていく悲しみ。

 それらを抱えながら、私は自らの人生を視界と共に失ったのだと悟る。

「もう、どうだっていいわ。あの人の言う通り、私に価値は……ないもの」

「……」

 こんな事なら、死んでしまった方が良かったのかもしれない。
 そうすれば、美しい思い出だけが残っていただろうから。


   ◇◇◇


 その夜。
 といっても、見えないので分からない。
 だけどシルヴァが「もう夜ですので、今はゆっくりお休みください」と言ってくれたので夜なのだと思う。
 
 独りきりになり、悲しむ感情を抱えながら寝台のシーツを握る。
 寂しい、一人になると途端に怖くなる。

「これから、どうすればいいの?」

 震える手先をゆらゆらと揺らして、寝台近くに置かれた呼び鈴を手探りで握る。
 何かあればこれを鳴らせば、誰かが来てくれる。
 なにも用がないけど、このまま一人でいると絶望で押し潰される。

「誰か……誰でもいいから。傍にいて……」

『利用価値がない』
『醜い』

 夫のレイクスに言われた言葉が頭に響いて離れない。
 気が病んで、荒む心境。
 耐えられないと、呼び鈴を鳴らそうと思った時––––
 ガチャっと、扉が開く音がした。

「だれ?」
 
 確かに音が鳴った、誰かが入って来る足音も聞こえる。
 なのに返答はなくて、近づく足音が怖い。

「シルヴァなの? だれ?」

 誰なのか分からない、どうして答えてくれないの?
 カチャリと陶器が置かれる音が聞こえる。
 同時に鼻を通ったのは、甘いミルクティーの香りだった。

「私の好きな、ミルクティー?」

 答えはないのに、私の手に誰かが触れる。
 大きな手……男の人が、私の手を誘導するように引いて、置かれた茶器に触れさせる。
 恐らくミルクティーが注がれた茶器は、目の見えない私が触れても大丈夫なように人肌の温度だった。

「あの……だれ、なの?」

 無言の誰かが、目の見えない私を気遣って淹れてくれたミルクティー。
 正体も分からなくて、誰なのか見当もつかない。
 だけどその大きな手は私の手のひらに、指で文字を書いた。

『今はこれを飲んで落ち着いて』
 
 手のひらに書かれた文字に、その人物が私のためにミルクティーを淹れた事は分かる。
 だけど、どうして喋ってくれないのか。

「……もしかして、レイクスなの」

 声色が跳ねながら、そう問いかける。
 喋らないこの誰かの匂いが、少しレイクスに似ていたからかもしれない。
 優しい香りに惹かれるように、見えない中で視線を上げる。

「そうなの?」

 私の手をとっていた大きな手が、少しだけ揺らぐ。
 やがて……指でなぞるように文字が書かれた。
 
『傷つけてすまない。でも必ず、君が幸せになるようにがんばる』

「傷つけて? やっぱりレイクスなの?」

 もう無言の誰かは、それ以上は答えてくれない。
 手が離れて温かな感触が消えたと思えば、扉が閉まる音が鳴る。

「誰……なの?」

 意味が分からない。
 私にはこの人の思惑が、なにを考えているのか分からない。
 残された茶器に淹れられたミルクティーを呑んでみれば……その温度にほっと息を吐く。

「温かい……」

 目の見えない私に配慮された、人肌の温度のミルクティー。
 優しさを感じ取れる温もりの中で、私は絶望していた気持ちを安らげた。
 誰かは分からないけど、暗闇の中でこの温かさは私の唯一の救いだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

砕けた愛

篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。 あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

婚約者が聖女を選ぶことくらい分かっていたので、先に婚約破棄します。

黒蜜きな粉
恋愛
魔王討伐を終え、王都に凱旋した英雄たち。 その中心には、異世界から来た聖女と、彼女に寄り添う王太子の姿があった。 王太子の婚約者として壇上に立ちながらも、私は自分が選ばれない側だと理解していた。 だから、泣かない。縋らない。 私は自分から婚約破棄を願い出る。 選ばれなかった人生を終わらせるために。 そして、私自身の人生を始めるために。 短いお話です。 ※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

実兄の嘘で悪女にされた気の毒な令嬢は、王子に捨てられました

恋せよ恋
恋愛
「お前が泣いて縋ったから、この婚約を結んでやったんだ」 婚約者である第一王子エイドリアンから放たれたのは、 身に覚えのない侮蔑の言葉だった。 10歳のあの日、彼が私に一目惚れして跪いたはずの婚約。 だが、兄ヘンリーは、隣国の魔性の王女フローレンスに毒され、 妹の私を「嘘つきの悪女」だと切り捨てた。 婚約者も、兄も、居場所も、すべてを奪われた私、ティファニー16歳。 学園中で嘲笑われ、絶望の淵に立たされた私の手を取ったのは、 フローレンス王女の影に隠れていた隣国の孤高な騎士チャールズだった。 「私は知っています。あなたが誰よりも気高く、美しいことを」 彼だけは、私の掌に刻まれた「真実の傷」を見てくれた。 捨てられた侯爵令嬢は、裏切った男たちをどん底へ叩き落とす! 痛快ラブ×復讐劇、ティファニーの逆襲が始まる! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

その結婚は、白紙にしましょう

香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。 彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。 念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。 浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」 身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。 けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。 「分かりました。その提案を、受け入れ──」 全然受け入れられませんけど!? 形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。 武骨で不器用な王国騎士団長。 二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

身代わりの恋だと思っていました〜記憶を失った私に、元婚約者が泣いて縋る理由〜

恋せよ恋
恋愛
「君を愛している。一目惚れだったんだ」 18歳の伯爵令嬢エリカは、9歳年上のリヒャルト伯爵から 情熱的な求婚を受け、幸せの絶頂にいた。 しかし、親族顔合わせの席で運命が狂い出す。 彼の視線の先にいたのは、エリカの伯母であり、 彼の学生時代の恋人で「初めての女性」だった……ミレイユ。 「あの子は私の身代わりでしょう」「私はあなただけなの」 伯母ミレイユの甘い誘惑と、裏切りの密会。 衝撃の事実を目撃したエリカは、階段から転落し、 彼と過ごした愛しくも残酷な二年間の記憶だけを失ってしまう。 「……あの、どちら様でしょうか?」 無垢な瞳で問いかけるエリカに、絶望し泣き崩れるリヒャルト。 裏切った男と、略奪を企てた伯母。 二人に待ち受けるのは、甘い報復と取り返しのつかない後悔だった。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

処理中です...