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2話
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聞こえた声が信じられなかった。
空いた口が乾いて、胸がバクバクと鼓動して手先が震える。
見えない深淵の中で、私は孤立していた。
「レイクス? わ、私……」
「目が見えない事に加えて、その目元の傷は女性としては傷物すぎる」
「っ」
二度目の声が聞こえて、幻聴ではないと分かってしまう。
幻聴ならばどれだけ良かったか、意識不明のままならどれだけ良かったか。
その後に続く言葉が、私に何度もそう思わせた。
「シルヴァ、アイラを外に出すのは控えろ。こんな傷の妻では他の貴族家に嘲笑される」
「だ、旦那様! アイラ様は確かにお傷を負われて目が見えなくなりました。しかし今までの献身を見捨てるような言葉は……」
「夫を支えるのは妻の定めであり、それを考慮する必要はないはずだ。それに……俺が政略結婚にて手に入れたのは自慢できる美しい妻だ。これでは政略結婚の意味がない」
私の目元に傷が出来たから、もう目が見えなくて支える事ができないから。
もう利用価値はないと吐き捨てるレイクスの声が、脳裏から消えてくれない。
何度も反復して、心臓を突き刺してくる。
「旦那様! なぜ、なぜそんな酷い態度を……」
「酷いのはどちらだ? 政略結婚にて享受すべき利を護るのは互いの定めだ。俺は彼女の利となる夫の務めを果たしてきた」
「っ!」
「だが先に目が見えなくなり、醜い傷を作って政略結婚の利を失ったのはアイラだ。ならば俺が彼女のために務めを果たす意味がない」
「あまりに……非情です。旦那様はそれで良いのですか?」
「勘違いするな、これは政略結婚だ。その意味をはき違えるな。互いの利益享受という関係を断ち切ったのはアイラだろう?」
そこからの会話は覚えていなかった。
家令のシルヴァが言葉を投げていたが、レイクスの態度が変わる様子など微塵もない。
今までの思い出が全て消えたように、まるで意味がなかったように……
利用価値の無くなった私に、彼は興味も、情も、優しさも、愛も失っていた。
「……本当に、見えなくなったのね」
「アイラ奥様」
レイクスが去った後、部屋の中に響く重い空気。
未だ完全に癒えていない馬車の横転事故の傷がジンジンと痛む。
そして痛みの中で呟いた言葉が、やけに大きく聞こえた。
「私は目も、レイクスの愛すら見えなくなったの。全て……失った気分だわ」
「申し訳ありません……私が、旦那様に再度説得を」
「いいの、シルヴァ。ありがとう……でも、もういいの」
あぁ、なにも見えないけれど……
この頬に流れる雫の感覚だけは分かる。
見えぬままに流す涙、首元まで伝って、とめどなく流れていく悲しみ。
それらを抱えながら、私は自らの人生を視界と共に失ったのだと悟る。
「もう、どうだっていいわ。あの人の言う通り、私に価値は……ないもの」
「……」
こんな事なら、死んでしまった方が良かったのかもしれない。
そうすれば、美しい思い出だけが残っていただろうから。
◇◇◇
その夜。
といっても、見えないので分からない。
だけどシルヴァが「もう夜ですので、今はゆっくりお休みください」と言ってくれたので夜なのだと思う。
独りきりになり、悲しむ感情を抱えながら寝台のシーツを握る。
寂しい、一人になると途端に怖くなる。
「これから、どうすればいいの?」
震える手先をゆらゆらと揺らして、寝台近くに置かれた呼び鈴を手探りで握る。
何かあればこれを鳴らせば、誰かが来てくれる。
なにも用がないけど、このまま一人でいると絶望で押し潰される。
「誰か……誰でもいいから。傍にいて……」
『利用価値がない』
『醜い』
夫のレイクスに言われた言葉が頭に響いて離れない。
気が病んで、荒む心境。
耐えられないと、呼び鈴を鳴らそうと思った時––––
ガチャっと、扉が開く音がした。
「だれ?」
確かに音が鳴った、誰かが入って来る足音も聞こえる。
なのに返答はなくて、近づく足音が怖い。
「シルヴァなの? だれ?」
誰なのか分からない、どうして答えてくれないの?
カチャリと陶器が置かれる音が聞こえる。
同時に鼻を通ったのは、甘いミルクティーの香りだった。
「私の好きな、ミルクティー?」
答えはないのに、私の手に誰かが触れる。
大きな手……男の人が、私の手を誘導するように引いて、置かれた茶器に触れさせる。
恐らくミルクティーが注がれた茶器は、目の見えない私が触れても大丈夫なように人肌の温度だった。
「あの……だれ、なの?」
無言の誰かが、目の見えない私を気遣って淹れてくれたミルクティー。
正体も分からなくて、誰なのか見当もつかない。
だけどその大きな手は私の手のひらに、指で文字を書いた。
『今はこれを飲んで落ち着いて』
手のひらに書かれた文字に、その人物が私のためにミルクティーを淹れた事は分かる。
だけど、どうして喋ってくれないのか。
「……もしかして、レイクスなの」
声色が跳ねながら、そう問いかける。
喋らないこの誰かの匂いが、少しレイクスに似ていたからかもしれない。
優しい香りに惹かれるように、見えない中で視線を上げる。
「そうなの?」
私の手をとっていた大きな手が、少しだけ揺らぐ。
やがて……指でなぞるように文字が書かれた。
『傷つけてすまない。でも必ず、君が幸せになるようにがんばる』
「傷つけて? やっぱりレイクスなの?」
もう無言の誰かは、それ以上は答えてくれない。
手が離れて温かな感触が消えたと思えば、扉が閉まる音が鳴る。
「誰……なの?」
意味が分からない。
私にはこの人の思惑が、なにを考えているのか分からない。
残された茶器に淹れられたミルクティーを呑んでみれば……その温度にほっと息を吐く。
「温かい……」
目の見えない私に配慮された、人肌の温度のミルクティー。
優しさを感じ取れる温もりの中で、私は絶望していた気持ちを安らげた。
誰かは分からないけど、暗闇の中でこの温かさは私の唯一の救いだった。
空いた口が乾いて、胸がバクバクと鼓動して手先が震える。
見えない深淵の中で、私は孤立していた。
「レイクス? わ、私……」
「目が見えない事に加えて、その目元の傷は女性としては傷物すぎる」
「っ」
二度目の声が聞こえて、幻聴ではないと分かってしまう。
幻聴ならばどれだけ良かったか、意識不明のままならどれだけ良かったか。
その後に続く言葉が、私に何度もそう思わせた。
「シルヴァ、アイラを外に出すのは控えろ。こんな傷の妻では他の貴族家に嘲笑される」
「だ、旦那様! アイラ様は確かにお傷を負われて目が見えなくなりました。しかし今までの献身を見捨てるような言葉は……」
「夫を支えるのは妻の定めであり、それを考慮する必要はないはずだ。それに……俺が政略結婚にて手に入れたのは自慢できる美しい妻だ。これでは政略結婚の意味がない」
私の目元に傷が出来たから、もう目が見えなくて支える事ができないから。
もう利用価値はないと吐き捨てるレイクスの声が、脳裏から消えてくれない。
何度も反復して、心臓を突き刺してくる。
「旦那様! なぜ、なぜそんな酷い態度を……」
「酷いのはどちらだ? 政略結婚にて享受すべき利を護るのは互いの定めだ。俺は彼女の利となる夫の務めを果たしてきた」
「っ!」
「だが先に目が見えなくなり、醜い傷を作って政略結婚の利を失ったのはアイラだ。ならば俺が彼女のために務めを果たす意味がない」
「あまりに……非情です。旦那様はそれで良いのですか?」
「勘違いするな、これは政略結婚だ。その意味をはき違えるな。互いの利益享受という関係を断ち切ったのはアイラだろう?」
そこからの会話は覚えていなかった。
家令のシルヴァが言葉を投げていたが、レイクスの態度が変わる様子など微塵もない。
今までの思い出が全て消えたように、まるで意味がなかったように……
利用価値の無くなった私に、彼は興味も、情も、優しさも、愛も失っていた。
「……本当に、見えなくなったのね」
「アイラ奥様」
レイクスが去った後、部屋の中に響く重い空気。
未だ完全に癒えていない馬車の横転事故の傷がジンジンと痛む。
そして痛みの中で呟いた言葉が、やけに大きく聞こえた。
「私は目も、レイクスの愛すら見えなくなったの。全て……失った気分だわ」
「申し訳ありません……私が、旦那様に再度説得を」
「いいの、シルヴァ。ありがとう……でも、もういいの」
あぁ、なにも見えないけれど……
この頬に流れる雫の感覚だけは分かる。
見えぬままに流す涙、首元まで伝って、とめどなく流れていく悲しみ。
それらを抱えながら、私は自らの人生を視界と共に失ったのだと悟る。
「もう、どうだっていいわ。あの人の言う通り、私に価値は……ないもの」
「……」
こんな事なら、死んでしまった方が良かったのかもしれない。
そうすれば、美しい思い出だけが残っていただろうから。
◇◇◇
その夜。
といっても、見えないので分からない。
だけどシルヴァが「もう夜ですので、今はゆっくりお休みください」と言ってくれたので夜なのだと思う。
独りきりになり、悲しむ感情を抱えながら寝台のシーツを握る。
寂しい、一人になると途端に怖くなる。
「これから、どうすればいいの?」
震える手先をゆらゆらと揺らして、寝台近くに置かれた呼び鈴を手探りで握る。
何かあればこれを鳴らせば、誰かが来てくれる。
なにも用がないけど、このまま一人でいると絶望で押し潰される。
「誰か……誰でもいいから。傍にいて……」
『利用価値がない』
『醜い』
夫のレイクスに言われた言葉が頭に響いて離れない。
気が病んで、荒む心境。
耐えられないと、呼び鈴を鳴らそうと思った時––––
ガチャっと、扉が開く音がした。
「だれ?」
確かに音が鳴った、誰かが入って来る足音も聞こえる。
なのに返答はなくて、近づく足音が怖い。
「シルヴァなの? だれ?」
誰なのか分からない、どうして答えてくれないの?
カチャリと陶器が置かれる音が聞こえる。
同時に鼻を通ったのは、甘いミルクティーの香りだった。
「私の好きな、ミルクティー?」
答えはないのに、私の手に誰かが触れる。
大きな手……男の人が、私の手を誘導するように引いて、置かれた茶器に触れさせる。
恐らくミルクティーが注がれた茶器は、目の見えない私が触れても大丈夫なように人肌の温度だった。
「あの……だれ、なの?」
無言の誰かが、目の見えない私を気遣って淹れてくれたミルクティー。
正体も分からなくて、誰なのか見当もつかない。
だけどその大きな手は私の手のひらに、指で文字を書いた。
『今はこれを飲んで落ち着いて』
手のひらに書かれた文字に、その人物が私のためにミルクティーを淹れた事は分かる。
だけど、どうして喋ってくれないのか。
「……もしかして、レイクスなの」
声色が跳ねながら、そう問いかける。
喋らないこの誰かの匂いが、少しレイクスに似ていたからかもしれない。
優しい香りに惹かれるように、見えない中で視線を上げる。
「そうなの?」
私の手をとっていた大きな手が、少しだけ揺らぐ。
やがて……指でなぞるように文字が書かれた。
『傷つけてすまない。でも必ず、君が幸せになるようにがんばる』
「傷つけて? やっぱりレイクスなの?」
もう無言の誰かは、それ以上は答えてくれない。
手が離れて温かな感触が消えたと思えば、扉が閉まる音が鳴る。
「誰……なの?」
意味が分からない。
私にはこの人の思惑が、なにを考えているのか分からない。
残された茶器に淹れられたミルクティーを呑んでみれば……その温度にほっと息を吐く。
「温かい……」
目の見えない私に配慮された、人肌の温度のミルクティー。
優しさを感じ取れる温もりの中で、私は絶望していた気持ちを安らげた。
誰かは分からないけど、暗闇の中でこの温かさは私の唯一の救いだった。
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