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1話
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––––私には貴方が分からない。
愛してくれていた貴方が、私がどうなったかを知って、どう思うのか想像もできないの。
「奥様、もう少しで旦那様がお帰りになられます。お話は私から……」
聞こえてくる声の方向に顔を向けて、首を横に振る。
寝台に座る私は、衣擦れの音を聞きながら口を開いた。
「私から話すわ」
「ですが……馬車の横転事故により三日も気を失っておられたのです。その上であの事実を説明するなど……」
「大丈夫、私はあの人……レイクスなら受け入れてくれると信じているから」
そう、私は『この事実』を告げた夫のレイクスがどう思うか。
想像はできないけれど、信じてはいるの。
あの人と築いてきた関係は、もう十年も続いているのだから。
初めて会った時は、今でも思い出せる。
『初めまして、レイクス様。私はアイラと申します』
子爵家に生まれた私と、伯爵令息のレイクスとは政略結婚にて運命が決められた。
といっても、それは貴族にはよくある話。
同じ歳の令嬢も多くが政略結婚で、それが常識だから悲観はなかった。
それに––––
『アイラ、これから共に人生を歩むパートナーになるのだから。どうか敬称などなく、俺を呼んでくれないか?』
二つ年上の彼は、優しい頬笑みを浮かべてくれた。
黒色の髪がふわりとなびいて、見えた紅の瞳が細く、端正な顔立ちに引き込まれる。
握られた手が熱くなる感覚が流れて、私は彼に惹かれているのだと直ぐに分かった。
『君のクラウント子爵家と、俺のルマニア伯爵家が互いに関係を結ぶ事は大きな利益となる。でも俺にとってはこの結婚は、それ以上の価値がありそうだ』
『それは、どういう意味ですか?』
問いかけに対して答えはない。
ただ無言のまま、彼は握った私の手の甲へと口付けを落としたのだ。
『な……な!?』
驚くに決まっている。
柔らかい感覚と同時に、その場所が熱を帯びていく。
顔が紅潮してしまったのは、自らの蒸気が出そうな顔の熱で直ぐに分かった。
『アイラ、君のような可憐で麗しい女性が伴侶になるなんて、男なら誰もが無条件で喜ぶさ』
『レイクス様、そのような冗談は……』
『本気だ。それに敬称を辞めてほしい。俺は君と……心から近くなりたいと思っているのだから』
まるで学園の友人と貸し合った恋物語のように……
歯が浮きそうな台詞の数々に、普段の私なら失笑していたかもしれない。
だけど自らがその立場になってからようやく分かる。
そんな言葉を言われたら、想像以上に熱を帯びてしまうのだと––––
「きっと……大丈夫です」
昔を思い出しながら、自らに言い聞かせるように呟く。
『この事実』をレイクスが聞いたからと、今までの思い出が消える訳がない。
その想いを裏付けるように、近くからしわがれた声が響く。
長く屋敷に仕えている家令のシルヴァの声だ。
「アイラ奥様の言う通りですね。貴方が今まで旦那様を支えてきた事実は、決して今回の結果で変わるものではありません」
「シルヴァ……」
「このルマニア伯爵家に仕えて四十年となりますが、アイラ奥様がレイクス様のために奮闘してくださっていた日々は、このシルヴァも、使用人も、そして領内の民も分かっております」
「……」
「旦那様だって、貴方を心から愛されておりました。だからどうかご安心ください。事実を知っても、きっと変わりませぬ」
「ありがとう。シルヴァ」
シルヴァの賞賛にも似た言葉に、感謝の言葉がこぼれていく。
不安だった心を、怖かった想いが払拭された気がした。
彼の言葉通りに不安な気持ちは抱かずに、真実を告げよう。
私が起き上がったと聞いて直ぐに来てくれているレイクスに、『この事実』を隠さず打ち明ける。
そう決意すれば、いよいよその瞬間が訪れた。
「アイラ! 起き上がったと聞いたが……!!」
声と共に、部屋の扉が勢いよく開いた音が聞こえる。
私は音の鳴った方向へと顔を向けた。
「レイクス」
「アイラ……馬車の横転事故から数日も意識を失っていたが……どこも痛くないか? 目元に包帯を巻いているが、まだ痛むか?」
心配する声が心にしみわたる。
キュッと噛んだ唇、その口先にこもった力を解放しながら、彼が言っていた目元の包帯を手探りで外す。
「レイクスに、言わねばならない事があります」
「なにを? っ!!」
包帯を解いた感覚は感じるけれど、私にはなにも見えない。
視界に広がる深淵の中には、光が届きはしない。
慣れない感覚の中、自分でも信じられないけれど、聞かされた『事実』をレイクスに告げる。
「馬車の横転事故で、目が……見えなくなりました」
「ア、アイラ……」
「ごめんなさい」
暗闇の中で、重い沈黙が流れていく。
なにも見えない、何も分からないからこそ鼓動が高鳴る。
だけど家令のシルヴァが言ってくれたように、きっとレイクスなら––––
「はぁ……これでは意味がない」
「え?」
彼が近づく音と共に、再び声が響く。
「これは……酷い傷だな。すまないが、目が見えないというなら、伴侶としての役目も終えてもらうしかない」
現実は恋物語のようにはならない。
聞こえた冷たい声が、私の淡い希望を消し去った。
愛してくれていた貴方が、私がどうなったかを知って、どう思うのか想像もできないの。
「奥様、もう少しで旦那様がお帰りになられます。お話は私から……」
聞こえてくる声の方向に顔を向けて、首を横に振る。
寝台に座る私は、衣擦れの音を聞きながら口を開いた。
「私から話すわ」
「ですが……馬車の横転事故により三日も気を失っておられたのです。その上であの事実を説明するなど……」
「大丈夫、私はあの人……レイクスなら受け入れてくれると信じているから」
そう、私は『この事実』を告げた夫のレイクスがどう思うか。
想像はできないけれど、信じてはいるの。
あの人と築いてきた関係は、もう十年も続いているのだから。
初めて会った時は、今でも思い出せる。
『初めまして、レイクス様。私はアイラと申します』
子爵家に生まれた私と、伯爵令息のレイクスとは政略結婚にて運命が決められた。
といっても、それは貴族にはよくある話。
同じ歳の令嬢も多くが政略結婚で、それが常識だから悲観はなかった。
それに––––
『アイラ、これから共に人生を歩むパートナーになるのだから。どうか敬称などなく、俺を呼んでくれないか?』
二つ年上の彼は、優しい頬笑みを浮かべてくれた。
黒色の髪がふわりとなびいて、見えた紅の瞳が細く、端正な顔立ちに引き込まれる。
握られた手が熱くなる感覚が流れて、私は彼に惹かれているのだと直ぐに分かった。
『君のクラウント子爵家と、俺のルマニア伯爵家が互いに関係を結ぶ事は大きな利益となる。でも俺にとってはこの結婚は、それ以上の価値がありそうだ』
『それは、どういう意味ですか?』
問いかけに対して答えはない。
ただ無言のまま、彼は握った私の手の甲へと口付けを落としたのだ。
『な……な!?』
驚くに決まっている。
柔らかい感覚と同時に、その場所が熱を帯びていく。
顔が紅潮してしまったのは、自らの蒸気が出そうな顔の熱で直ぐに分かった。
『アイラ、君のような可憐で麗しい女性が伴侶になるなんて、男なら誰もが無条件で喜ぶさ』
『レイクス様、そのような冗談は……』
『本気だ。それに敬称を辞めてほしい。俺は君と……心から近くなりたいと思っているのだから』
まるで学園の友人と貸し合った恋物語のように……
歯が浮きそうな台詞の数々に、普段の私なら失笑していたかもしれない。
だけど自らがその立場になってからようやく分かる。
そんな言葉を言われたら、想像以上に熱を帯びてしまうのだと––––
「きっと……大丈夫です」
昔を思い出しながら、自らに言い聞かせるように呟く。
『この事実』をレイクスが聞いたからと、今までの思い出が消える訳がない。
その想いを裏付けるように、近くからしわがれた声が響く。
長く屋敷に仕えている家令のシルヴァの声だ。
「アイラ奥様の言う通りですね。貴方が今まで旦那様を支えてきた事実は、決して今回の結果で変わるものではありません」
「シルヴァ……」
「このルマニア伯爵家に仕えて四十年となりますが、アイラ奥様がレイクス様のために奮闘してくださっていた日々は、このシルヴァも、使用人も、そして領内の民も分かっております」
「……」
「旦那様だって、貴方を心から愛されておりました。だからどうかご安心ください。事実を知っても、きっと変わりませぬ」
「ありがとう。シルヴァ」
シルヴァの賞賛にも似た言葉に、感謝の言葉がこぼれていく。
不安だった心を、怖かった想いが払拭された気がした。
彼の言葉通りに不安な気持ちは抱かずに、真実を告げよう。
私が起き上がったと聞いて直ぐに来てくれているレイクスに、『この事実』を隠さず打ち明ける。
そう決意すれば、いよいよその瞬間が訪れた。
「アイラ! 起き上がったと聞いたが……!!」
声と共に、部屋の扉が勢いよく開いた音が聞こえる。
私は音の鳴った方向へと顔を向けた。
「レイクス」
「アイラ……馬車の横転事故から数日も意識を失っていたが……どこも痛くないか? 目元に包帯を巻いているが、まだ痛むか?」
心配する声が心にしみわたる。
キュッと噛んだ唇、その口先にこもった力を解放しながら、彼が言っていた目元の包帯を手探りで外す。
「レイクスに、言わねばならない事があります」
「なにを? っ!!」
包帯を解いた感覚は感じるけれど、私にはなにも見えない。
視界に広がる深淵の中には、光が届きはしない。
慣れない感覚の中、自分でも信じられないけれど、聞かされた『事実』をレイクスに告げる。
「馬車の横転事故で、目が……見えなくなりました」
「ア、アイラ……」
「ごめんなさい」
暗闇の中で、重い沈黙が流れていく。
なにも見えない、何も分からないからこそ鼓動が高鳴る。
だけど家令のシルヴァが言ってくれたように、きっとレイクスなら––––
「はぁ……これでは意味がない」
「え?」
彼が近づく音と共に、再び声が響く。
「これは……酷い傷だな。すまないが、目が見えないというなら、伴侶としての役目も終えてもらうしかない」
現実は恋物語のようにはならない。
聞こえた冷たい声が、私の淡い希望を消し去った。
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