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四
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記録と違う
神殿は、静寂を尊ぶ場所だ。
白い石の床。
高く反響する天井。
足音ひとつでさえ、咎められるような空間。
声は抑えられ、感情は削がれ、すべては“整然”としている――はずだった。
「……あり得ない」
その静寂を、低い声が裂いた。
神殿奥、記録室。
壁一面に並ぶ書架。
年代順、症例別に整理された帳簿。
机の上には、今しがた届いたばかりの報告書。
一人の聖務官が、帳簿をめくる手を止めた。指先が、わずかに震えている。
「再確認しろ」
乾いた声。
「この症例は、“完全回復まで七日”と記されている」
別の聖務官が、慌てて別冊を開く。
「はい。間違いありません。同様の症例は過去三例。いずれも祈祷を重ね、七日前後で回復しています」
「だが……」
報告書を握りしめた聖務官が、声を落とした。
「現場の証言では、
一瞬で歩行が可能になったと」
帳簿をめくる音が、止まる。
「……祈りは?」
沈黙のあと、答えが落ちる。
「義妹殿下の祈りの後ではありません」
空気が、きしんだ。
「では、誰が?」
若い聖務官が、喉を鳴らしながら口を開く。
「……公爵家の長女の方です」
その名が出た瞬間、数名の聖務官が視線を逸らした。
「……あの娘は」
誰かが、言いかけて言葉を飲み込む。
「記録上、“聖女候補から外された存在”だ」
年嵩の聖務官が、淡々と告げる。それは、過去の決定だった。
――祈らなかった。
神殿に呼び出されても、定められた祝詞を唱えず、儀式の型にも従わなかった。
祈祷の場に立っても、奇跡は起こったが、
神殿の定める手順を踏まなかった。
制御できない。
記録できない。
再現できない。
だから。
「“不適格”と判断された」
「祈りも、儀式も、一切、神殿で行っていない」
「つまり――」
年嵩の聖務官が、低く続ける。
「形式を経ずに、奇跡が起きた」
誰かが、喉を鳴らした。
「……記録と、違います」
その一言が、場の空気を決定的に変えた。
神殿は、記録で成り立つ。
祈りの言葉。
立ち位置。
祝詞の抑揚。
過去の事例。
すべてが「再現可能」でなければならない。
「再現できない奇跡は、
神殿にとって“事故”だ」
誰かが、呟く。
「事故……?」
「制御不能。管理できない。説明できない」
視線が、一斉に一つの結論へと集まる。
――危険だ。
「……あの娘は、神殿の外にいる」
「祈らず、従わず、記録を残さない」
「それでいて、結果だけを出す」
誰かが、苛立たしげに机を叩いた。
「それは、聖女ではない!」
「神殿を通さぬ力など、認められるはずがない!」
だが。報告書は、消えない。
歩けなかった少女が立ち、病は消え、光は虹のように降った。証言は、揃っている。
「……これは、騒ぎになります」
低い声が言った。
「民だけではない。王家からも、必ず問い合わせが来る」
沈黙。年嵩の聖務官が、ゆっくりと息を吐く。
「……どうしますか」
しばらくの沈黙のあと、彼は、重く口を開いた。
「まずは――記録を修正する」
「修正……?」
「“奇跡”ではない。“誤認”だ」
「民が騒ぐなら、鎮めればいい」
帳簿が、閉じられる。
「問題は――」
彼は、静かに続けた。
「あの娘が、自分を聖女だと自覚したかどうか」
その言葉に、誰も反論できなかった。神殿が最も恐れるのは、力そのものではない。
――自覚した力だ。
「……手に入れなければならない」
誰かが、呟いた。
「神殿の管理下に置く」
「懐柔か。隔離か。最悪の場合は――」
言葉は、最後まで出なかった。神殿の鐘が、低く鳴る。
それは、偶然の奇跡が、組織の敵に変わった瞬間の音だった。
神殿は、静寂を尊ぶ場所だ。
白い石の床。
高く反響する天井。
足音ひとつでさえ、咎められるような空間。
声は抑えられ、感情は削がれ、すべては“整然”としている――はずだった。
「……あり得ない」
その静寂を、低い声が裂いた。
神殿奥、記録室。
壁一面に並ぶ書架。
年代順、症例別に整理された帳簿。
机の上には、今しがた届いたばかりの報告書。
一人の聖務官が、帳簿をめくる手を止めた。指先が、わずかに震えている。
「再確認しろ」
乾いた声。
「この症例は、“完全回復まで七日”と記されている」
別の聖務官が、慌てて別冊を開く。
「はい。間違いありません。同様の症例は過去三例。いずれも祈祷を重ね、七日前後で回復しています」
「だが……」
報告書を握りしめた聖務官が、声を落とした。
「現場の証言では、
一瞬で歩行が可能になったと」
帳簿をめくる音が、止まる。
「……祈りは?」
沈黙のあと、答えが落ちる。
「義妹殿下の祈りの後ではありません」
空気が、きしんだ。
「では、誰が?」
若い聖務官が、喉を鳴らしながら口を開く。
「……公爵家の長女の方です」
その名が出た瞬間、数名の聖務官が視線を逸らした。
「……あの娘は」
誰かが、言いかけて言葉を飲み込む。
「記録上、“聖女候補から外された存在”だ」
年嵩の聖務官が、淡々と告げる。それは、過去の決定だった。
――祈らなかった。
神殿に呼び出されても、定められた祝詞を唱えず、儀式の型にも従わなかった。
祈祷の場に立っても、奇跡は起こったが、
神殿の定める手順を踏まなかった。
制御できない。
記録できない。
再現できない。
だから。
「“不適格”と判断された」
「祈りも、儀式も、一切、神殿で行っていない」
「つまり――」
年嵩の聖務官が、低く続ける。
「形式を経ずに、奇跡が起きた」
誰かが、喉を鳴らした。
「……記録と、違います」
その一言が、場の空気を決定的に変えた。
神殿は、記録で成り立つ。
祈りの言葉。
立ち位置。
祝詞の抑揚。
過去の事例。
すべてが「再現可能」でなければならない。
「再現できない奇跡は、
神殿にとって“事故”だ」
誰かが、呟く。
「事故……?」
「制御不能。管理できない。説明できない」
視線が、一斉に一つの結論へと集まる。
――危険だ。
「……あの娘は、神殿の外にいる」
「祈らず、従わず、記録を残さない」
「それでいて、結果だけを出す」
誰かが、苛立たしげに机を叩いた。
「それは、聖女ではない!」
「神殿を通さぬ力など、認められるはずがない!」
だが。報告書は、消えない。
歩けなかった少女が立ち、病は消え、光は虹のように降った。証言は、揃っている。
「……これは、騒ぎになります」
低い声が言った。
「民だけではない。王家からも、必ず問い合わせが来る」
沈黙。年嵩の聖務官が、ゆっくりと息を吐く。
「……どうしますか」
しばらくの沈黙のあと、彼は、重く口を開いた。
「まずは――記録を修正する」
「修正……?」
「“奇跡”ではない。“誤認”だ」
「民が騒ぐなら、鎮めればいい」
帳簿が、閉じられる。
「問題は――」
彼は、静かに続けた。
「あの娘が、自分を聖女だと自覚したかどうか」
その言葉に、誰も反論できなかった。神殿が最も恐れるのは、力そのものではない。
――自覚した力だ。
「……手に入れなければならない」
誰かが、呟いた。
「神殿の管理下に置く」
「懐柔か。隔離か。最悪の場合は――」
言葉は、最後まで出なかった。神殿の鐘が、低く鳴る。
それは、偶然の奇跡が、組織の敵に変わった瞬間の音だった。
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