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二十六
しおりを挟むカイザスが、オリビアに会いに来る
屋敷の庭は、昼下がりの光に満ちていた。
風は穏やかで、葉擦れの音が低く続いている。いつもと変わらない――はずだった。だが、オリビアは気づいた。
木々が、ほんのわずかに揺れ方を変えたことに。
警戒ではない。
拒絶でもない。
確認だ。
オリビアは、浮遊クッションに身を預けたまま、目を閉じていた。
「……来たの?」
問いかけるより先に、足音が止まる。
庭の境界線。いつもなら、無断で踏み込めば枝が伸び、根が道を塞ぐ場所。
だが――
今日は、違った。
木々は、動かない。
ただ、道を空けていた。
一人の男が、そこに立っている。黒い外套。光を吸うような色合い。装飾は最小限で、剣だけが確かな重みを持って腰に下がっていた。
カイザス・フォン・ヴァンサイト。
黒騎士。
彼は、境界線の内側へは入らない。一歩、外に立ったまま、オリビアを見ていた。
視線は真っ直ぐで、しかし押し付けがましくない。
「……会いに来た」
低い声。必要以上に言葉を足さない声音。
オリビアは、ゆっくりと目を開ける。
金の瞳が、彼を捉えた。
「あら。珍しいわね」
驚きはない。ただ、事実として受け取っているだけの声。
「用件は?」
カイザスは、ほんの一瞬だけ逡巡し――
だが、視線を逸らさなかった。
「護衛の件だ」
オリビアが、片眉を上げる。
「もう、勝手に立ってる人が何人かいるけど?」
木々が、さわりと揺れた。
カイザスは、その反応を否定も肯定もしない。
「俺は、雇われたいわけじゃない...............命令を受けるつもりもない」
オリビアは、少しだけ楽しそうに口角を上げた。
「じゃあ、何?」
カイザスは、静かに言った。
「選ばれたい」
その言葉に、庭の空気がわずかに変わる。木々は騒がない。だが、葉が光を受けて揺れ、土の匂いが濃くなる。
オリビアは、クッションの上で体勢を変え、顎に指を当てた。
「守護者、ってやつ?」
「そう呼ばれることもある」
「自分で言うの、嫌いそうね」
カイザスは、微かに口元を緩めた。
「……事実だからな」
沈黙。
オリビアは、彼をじっと見る。
強い。
疑いようもない。
だが、奪う強さではない。
「ねえ、カイザス」
名を呼ぶ。
彼の肩が、ほんのわずかに反応する。
「私、命令しないわよ?」
「分かっている」
「縛らないし、従わせないし、守られてあげるつもりもない」
「……それも」
カイザスは、頷いた。
「だから、ここに来た」
一歩も踏み込まず、境界の外で言う。
「俺は、前に立つ」
「だが、君の進む方向は変えない」
「君が望まなければ、消える」
それは誓いではない。
忠誠でもない。
選択権を、完全に彼女に預けた言葉だった。
オリビアは、しばらく考え――
ふっと息を吐いた。
「……いいわ」
オリビアがそう言った、その瞬間だった。
庭の空気が、すっと澄む。
風が止まり、葉擦れの音が、一拍だけ途切れた。
カイザスが片膝をついたまま、顔を上げるより早く――
彼の身体から、淡い光が滲み出した。
眩しいほどではない。
だが、確かに“見える”。
黒い外套の縁。
鎧の継ぎ目。
剣の鍔。
そこから、白金色の光が、静かに立ち上っていく。
火ではない。
魔力の奔流でもない。
誓約が、形を持った光。
木々が、一斉にざわめいた。
否定ではない。
警戒でもない。
――承認だ。
オリビアは、目を細めた。
「……あら」
驚きより、納得が勝った声。
「やっぱり、ただの騎士じゃないわね」
カイザスは、動かない。
だが、胸の奥で、確かに何かが“定まった”のを感じていた。
幼い頃から、ずっと感じていた呼び声。
正体の分からない焦燥。
理由のない衝動。
それが今――
一つの場所に、落ち着いた。
「……これは」
低く、息を吐く。
「守護者の……」
「契約未満、ね」
オリビアが、さらりと被せる。
「縛ってないもの」
「命令もしてない」
彼女は、浮遊クッションに身を沈めたまま、言った。
「ただ、私が“ここにいていい”って判断しただけ」
その言葉に応じるように、
光はさらに強まる――が、暴れない。
剣に宿らず、刃を求めず、ただ、彼の輪郭をなぞるだけ。
攻撃性のない光。
守るためだけに在る、証。
王太子セドリックが、思わず息を呑む。
「……認められただけで、あれか」
カイは、青ざめたまま小声で答える。
「殿下……」
「神殿の儀式でも、あの反応は記録にありません」
「だろうな」
セドリックは、乾いた笑みを浮かべた。
「契約じゃない」
「支配でもない」
一拍。
「選ばれただけだ」
光は、ゆっくりと収束していく。
最後に、カイザスの胸元で、淡く脈打つように瞬き――消えた。
残ったのは、以前と変わらぬ黒騎士。
けれど。誰の目にも分かった。彼はもう、“ただの強者”ではない。オリビアは、満足そうに目を閉じる。
「面倒なの増えたわね」
そう言いながら、声はどこか楽しげだった。カイザスは、静かに立ち上がる。
「……呼ばれるまで、ここにいる」
木々が、穏やかに揺れた。
それは祝福ではない。だが、確かな合図だった。
――この護衛は、
彼女が認めた瞬間に、生まれたのだと。
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