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二十九
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セドリック、王太子であることを外して考える
――一人きりの夜
夜の王城は、昼とはまるで別の顔をしている。
灯りは最小限に抑えられ、長い回廊は音を吸い込む。返ってくるのは、自分の足音だけだ。
セドリックは、自室のバルコニーに立っていた。
手すりに肘をつき、遠くの街灯りを見下ろす。王都は眠らない。それでも、この高さでは人の気配は薄く、静寂だけが残る。
(……欲しいなら、いいわよ?)
不意に、昼間の声が脳裏に蘇った。
軽い。
あまりに軽い。
だからこそ、深く刺さる。
普通なら、冗談として笑って終わる言葉だ。あるいは、安易な誘いだと受け取る者もいるだろう。
だが――
あれは、どちらでもなかった。
「……王太子を外せ、か」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
彼女は一度も言わなかった。
「王太子殿下」とは。
名を呼び、立場を無視し、肩書きを数にも入れずに。
ただ一人の存在として、こちらを見ていた。
それが、ひどく新鮮だった。
同時に――
恐ろしくもあった。
(王太子じゃなかったら、俺は何だ)
答えは、すぐに浮かぶ。
セドリック・フォン・ヴェルトリナス。
王の息子。
次期国王。
だが、それはすべて肩書きだ。
もし、すべてを外したら?
王城を出たら?
命令権を失ったら?
誰も跪かなくなったら?
残るのは――一人の男。
剣はある。
知識もある。
判断力も、覚悟も。
だが。
(それを“自分で選んだ”ことは、一度もない)
王太子としての人生は、敷かれた道だった。
間違えないように。
失敗しないように。
選択肢は、常に「許される範囲」の中だけ。
オリビアは、違う。
立場を使わない。
力を誇示しない。
守られることすら、前提にしていない。
必要なら受け取る。
不要なら切る。
それだけ。
(……対等に立つには)
王太子という肩書きは、武器であると同時に、壁でもある。彼女の前では、その武器は意味を持たない。
残るのは――素の自分だけだ。
「……降りる、か」
その言葉を、初めて“現実の選択肢”として考えた瞬間。胸の奥が、奇妙に静まった。
怖さはある。
王を失望させる未来も見える。
国が揺れる可能性も、理解している。
それでも。
心のどこかが、ひどく落ち着いていた。
(ああ)
これは、逃げじゃない。
初めて、自分で道を選ぼうとしているだけだ。
彼女は、誘っていない。
試しているだけだ。
――ここまで来られる?
――王である前に、人でいられる?
セドリックは、夜風を吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。
「……面倒な女だ」
だが、その声には笑いが混じっていた。
困難を前にしたときの、胸が高鳴る感覚。
(だからこそ、行く価値がある)
まだ、決断はしない。
今すぐ王太子を降りるわけでもない。
だが――
“降りる可能性”を、否定しなくなった。
それだけで、世界の見え方が変わる。
セドリックは、夜空を見上げる。
「……オリビア」
名を呼ぶ。
返事はない。
当然だ。
それでも、バルコニーの手すりに額を軽く預ける。
「……第二王子も、いるんだよな」
ぽつりと零れた言葉は、夜に溶けた。
弟の顔が浮かぶ。
血は同じ。
育ちは違う。
社交は得意。
人当たりもいい。
臣下受けも、悪くない。
決して無能ではない。
むしろ――
(“王”としては、扱いやすい)
誰かにとっては都合がいい。
神殿にとっても、貴族にとっても。
そして、国を「安定」させるだけなら、十分な資質を持っている。
(……俺じゃなくても、いい)
その考えが浮かんだ瞬間、
胸の奥が、ふっと軽くなった。
これまで、
“自分しかいない”と思っていた。
だから逃げられなかった。
だから背負い続けてきた。
だが。
選択肢は、最初からあったのだ。
王太子を降りることは、
王家を捨てることではない。
国を放り出すことでもない。
ただ――
別の者に、王の役目を譲るというだけ。
(……それなら)
自分は、何になりたい?
王?
象徴?
調停者?
それとも――
誰かの隣に、立つ者?
オリビアの顔が、脳裏をよぎる。
彼女は、王を必要としていない。
王太子も、神殿も。
必要なのは、
理解できる者。
対等に立てる者。
(王太子のままじゃ、無理だな)
自嘲気味に息を吐く。
立場がある限り、上下が生まれる。
命令と服従。
責任と管理。
彼女の世界に、それは要らない。
「……第二王子が王になる」
その未来を、初めて具体的に想像する。国は回る。混乱はあるだろうが、崩れはしない。むしろ、多くの者は安堵するかもしれない。
そして自分は――
初めて、自分で立つ場所を選べる。
セドリックは、夜空を仰いだ。
「……やっぱり、面倒だな」
だがその声には、恐れよりも、覚悟が滲んでいた。これは、恋に狂った王太子の話じゃない。王であることを外してでも、進みたい道を見つけてしまった男の話だ。
そして、その“原因”が、昼寝しながら庭を支配している女だという事実に――
セドリックは、小さく笑った。
「参ったな、本当に」
この夜から。
彼の中で、王太子としてではない人生が、静かに動き始めていた。
――一人きりの夜
夜の王城は、昼とはまるで別の顔をしている。
灯りは最小限に抑えられ、長い回廊は音を吸い込む。返ってくるのは、自分の足音だけだ。
セドリックは、自室のバルコニーに立っていた。
手すりに肘をつき、遠くの街灯りを見下ろす。王都は眠らない。それでも、この高さでは人の気配は薄く、静寂だけが残る。
(……欲しいなら、いいわよ?)
不意に、昼間の声が脳裏に蘇った。
軽い。
あまりに軽い。
だからこそ、深く刺さる。
普通なら、冗談として笑って終わる言葉だ。あるいは、安易な誘いだと受け取る者もいるだろう。
だが――
あれは、どちらでもなかった。
「……王太子を外せ、か」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
彼女は一度も言わなかった。
「王太子殿下」とは。
名を呼び、立場を無視し、肩書きを数にも入れずに。
ただ一人の存在として、こちらを見ていた。
それが、ひどく新鮮だった。
同時に――
恐ろしくもあった。
(王太子じゃなかったら、俺は何だ)
答えは、すぐに浮かぶ。
セドリック・フォン・ヴェルトリナス。
王の息子。
次期国王。
だが、それはすべて肩書きだ。
もし、すべてを外したら?
王城を出たら?
命令権を失ったら?
誰も跪かなくなったら?
残るのは――一人の男。
剣はある。
知識もある。
判断力も、覚悟も。
だが。
(それを“自分で選んだ”ことは、一度もない)
王太子としての人生は、敷かれた道だった。
間違えないように。
失敗しないように。
選択肢は、常に「許される範囲」の中だけ。
オリビアは、違う。
立場を使わない。
力を誇示しない。
守られることすら、前提にしていない。
必要なら受け取る。
不要なら切る。
それだけ。
(……対等に立つには)
王太子という肩書きは、武器であると同時に、壁でもある。彼女の前では、その武器は意味を持たない。
残るのは――素の自分だけだ。
「……降りる、か」
その言葉を、初めて“現実の選択肢”として考えた瞬間。胸の奥が、奇妙に静まった。
怖さはある。
王を失望させる未来も見える。
国が揺れる可能性も、理解している。
それでも。
心のどこかが、ひどく落ち着いていた。
(ああ)
これは、逃げじゃない。
初めて、自分で道を選ぼうとしているだけだ。
彼女は、誘っていない。
試しているだけだ。
――ここまで来られる?
――王である前に、人でいられる?
セドリックは、夜風を吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。
「……面倒な女だ」
だが、その声には笑いが混じっていた。
困難を前にしたときの、胸が高鳴る感覚。
(だからこそ、行く価値がある)
まだ、決断はしない。
今すぐ王太子を降りるわけでもない。
だが――
“降りる可能性”を、否定しなくなった。
それだけで、世界の見え方が変わる。
セドリックは、夜空を見上げる。
「……オリビア」
名を呼ぶ。
返事はない。
当然だ。
それでも、バルコニーの手すりに額を軽く預ける。
「……第二王子も、いるんだよな」
ぽつりと零れた言葉は、夜に溶けた。
弟の顔が浮かぶ。
血は同じ。
育ちは違う。
社交は得意。
人当たりもいい。
臣下受けも、悪くない。
決して無能ではない。
むしろ――
(“王”としては、扱いやすい)
誰かにとっては都合がいい。
神殿にとっても、貴族にとっても。
そして、国を「安定」させるだけなら、十分な資質を持っている。
(……俺じゃなくても、いい)
その考えが浮かんだ瞬間、
胸の奥が、ふっと軽くなった。
これまで、
“自分しかいない”と思っていた。
だから逃げられなかった。
だから背負い続けてきた。
だが。
選択肢は、最初からあったのだ。
王太子を降りることは、
王家を捨てることではない。
国を放り出すことでもない。
ただ――
別の者に、王の役目を譲るというだけ。
(……それなら)
自分は、何になりたい?
王?
象徴?
調停者?
それとも――
誰かの隣に、立つ者?
オリビアの顔が、脳裏をよぎる。
彼女は、王を必要としていない。
王太子も、神殿も。
必要なのは、
理解できる者。
対等に立てる者。
(王太子のままじゃ、無理だな)
自嘲気味に息を吐く。
立場がある限り、上下が生まれる。
命令と服従。
責任と管理。
彼女の世界に、それは要らない。
「……第二王子が王になる」
その未来を、初めて具体的に想像する。国は回る。混乱はあるだろうが、崩れはしない。むしろ、多くの者は安堵するかもしれない。
そして自分は――
初めて、自分で立つ場所を選べる。
セドリックは、夜空を仰いだ。
「……やっぱり、面倒だな」
だがその声には、恐れよりも、覚悟が滲んでいた。これは、恋に狂った王太子の話じゃない。王であることを外してでも、進みたい道を見つけてしまった男の話だ。
そして、その“原因”が、昼寝しながら庭を支配している女だという事実に――
セドリックは、小さく笑った。
「参ったな、本当に」
この夜から。
彼の中で、王太子としてではない人生が、静かに動き始めていた。
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