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二十八
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国王、沈黙の果てに頭を抱える
――ザイード・フォン・ヴェルトリナス視点
王城最奥。
厚い石壁に囲まれた執務室は、午後の光を斜めに受けていた。
窓は高く、狭い。
差し込む陽光は、床に細長い帯を作り、歴代国王の肖像画の足元を照らしている。
剣で国を広げた王。
交渉で国を守った王。
神殿と距離を取った王。
その視線に、今の私は見下ろされているような気分だった。
――報告が終わった直後。
私は、しばらく言葉を失ったまま、指先で机の縁をなぞっていた。
硬い木。長年、無数の決断を受け止めてきた感触。
「……もう一度、言え」
低く言ったつもりだったが、
自分の声が、わずかに掠れているのを感じた。文官が、喉を鳴らす音がやけに大きく響く。
「は……」
「王太子殿下が、“俺も欲しいんだが?”と発言された直後――」
「そこではない」
私は、顔を上げずに遮った。
「その返答だ」
一瞬の沈黙。
執務室の空気が、張り詰める。
文官は、まるで処刑宣告を読み上げるように、ゆっくりと口を開いた。
「オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルト嬢は……」
一拍。
「『欲しいなら、いいわよ?』と」
――。
思考が、止まった。
視界の端で、老臣が小さく息を吸い込むのが見える。私は、ゆっくりと椅子に背を預けた。
ぎし、と音を立てる椅子。
天井を仰ぐ。
白い漆喰。
細かなひび。
何度も見てきたはずの景色が、やけに遠
い。
「………………」
言葉が、出てこない。
代わりに、こめかみがずきりと痛んだ。
老臣が、恐る恐る言葉を継ぐ。
「その後、条件を提示されたそうで……」
「条件?」
声が、少し低くなる。
「王太子の立場を使わないこと」
「命令しないこと」
「囲い込まないこと」
私は、思わず鼻で笑った。
乾いた音。
「……つまり」
額を押さえたまま、呟く。
「“王太子を降りて、一人の男として来い”と言われたわけだ」
老臣が、深く頷く。
「はい……」
沈黙。
重い。
この国の歴史が、肩に乗っているように
重い。
だが――
胸の奥から、笑いが込み上げてきた。
「……はは」
最初は小さく。
「はははは……」
ついには、声を上げて笑ってしまった。
老臣も、文官も、凍りついたまま動けない。
「誰だ」
私は、笑いながら言った。
「あんな女を育てたのは」
文官が、即座に否定する。
「育てては……おりません」
「“最初から、ああだった”と」
「……だろうな」
私は、深く息を吐いた。
あれは、従う女ではない。
守られる姫でもない。
同じ高さに立てるかどうかを、無言で測る存在だ。
「セドリックは、どうしている」
文官の表情が、微妙に歪む。
「……非常に楽しそうでした」
「笑っておられました」
ああ、と納得してしまう。
息子の顔が、脳裏に浮かぶ。
難題を見ると目を輝かせ、
越えられない壁ほど、全力で挑む男。
「よりにもよって」
低く呟く。
「“王太子という立場を捨てなければ届かない女”を、ぶつけるか」
老臣が、震える声で言った。
「陛下……」
「このままでは、殿下が――」
「惚れる?」
「いえ」
一拍。
「人生設計を、書き換え始めます」
私は、完全に頭を抱えた。
両手で額を覆う。
「やめろ……」
「それだけは、本当にやめろ……」
だが。
止められないことも、分かっている。
オリビアは、誘惑したのではない。
試しただけだ。
そして、セドリックは――
試されることを、心から楽しむ男だ。
「……神殿は?」
老臣が、即答する。
「錯乱寸前です」
「当然だな」
私は、目を閉じた。
王家。
神殿。
貴族社会。
そのどれもが、彼女の前では――
ただの立場にすぎない。
「記録しろ」
低く命じる。
「本日をもって」
「オリビア嬢は、“王太子妃候補”ではない」
側近たちが、息を呑む。
「“対等存在”として扱え」
室内の空気が、凍りついた。
「王家は、手を出すな」
「触れれば――」
一拍。
「国が、選別される」
私は、深く息を吐いた。
「……まったく」
苦笑が、漏れる。
「とんでもない女が、生まれたものだ」
だが。
心の底では、確かに感じていた。
この国に必要なのは、
“正しい王”ではなく――
王という概念を揺らす存在なのだと。
「セドリック」
誰にも聞こえない声で、呟く。
「王になる前に」
「王であることを、超えられるか」
試されているのは、
どうやら――息子だけではない。
――ザイード・フォン・ヴェルトリナス視点
王城最奥。
厚い石壁に囲まれた執務室は、午後の光を斜めに受けていた。
窓は高く、狭い。
差し込む陽光は、床に細長い帯を作り、歴代国王の肖像画の足元を照らしている。
剣で国を広げた王。
交渉で国を守った王。
神殿と距離を取った王。
その視線に、今の私は見下ろされているような気分だった。
――報告が終わった直後。
私は、しばらく言葉を失ったまま、指先で机の縁をなぞっていた。
硬い木。長年、無数の決断を受け止めてきた感触。
「……もう一度、言え」
低く言ったつもりだったが、
自分の声が、わずかに掠れているのを感じた。文官が、喉を鳴らす音がやけに大きく響く。
「は……」
「王太子殿下が、“俺も欲しいんだが?”と発言された直後――」
「そこではない」
私は、顔を上げずに遮った。
「その返答だ」
一瞬の沈黙。
執務室の空気が、張り詰める。
文官は、まるで処刑宣告を読み上げるように、ゆっくりと口を開いた。
「オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルト嬢は……」
一拍。
「『欲しいなら、いいわよ?』と」
――。
思考が、止まった。
視界の端で、老臣が小さく息を吸い込むのが見える。私は、ゆっくりと椅子に背を預けた。
ぎし、と音を立てる椅子。
天井を仰ぐ。
白い漆喰。
細かなひび。
何度も見てきたはずの景色が、やけに遠
い。
「………………」
言葉が、出てこない。
代わりに、こめかみがずきりと痛んだ。
老臣が、恐る恐る言葉を継ぐ。
「その後、条件を提示されたそうで……」
「条件?」
声が、少し低くなる。
「王太子の立場を使わないこと」
「命令しないこと」
「囲い込まないこと」
私は、思わず鼻で笑った。
乾いた音。
「……つまり」
額を押さえたまま、呟く。
「“王太子を降りて、一人の男として来い”と言われたわけだ」
老臣が、深く頷く。
「はい……」
沈黙。
重い。
この国の歴史が、肩に乗っているように
重い。
だが――
胸の奥から、笑いが込み上げてきた。
「……はは」
最初は小さく。
「はははは……」
ついには、声を上げて笑ってしまった。
老臣も、文官も、凍りついたまま動けない。
「誰だ」
私は、笑いながら言った。
「あんな女を育てたのは」
文官が、即座に否定する。
「育てては……おりません」
「“最初から、ああだった”と」
「……だろうな」
私は、深く息を吐いた。
あれは、従う女ではない。
守られる姫でもない。
同じ高さに立てるかどうかを、無言で測る存在だ。
「セドリックは、どうしている」
文官の表情が、微妙に歪む。
「……非常に楽しそうでした」
「笑っておられました」
ああ、と納得してしまう。
息子の顔が、脳裏に浮かぶ。
難題を見ると目を輝かせ、
越えられない壁ほど、全力で挑む男。
「よりにもよって」
低く呟く。
「“王太子という立場を捨てなければ届かない女”を、ぶつけるか」
老臣が、震える声で言った。
「陛下……」
「このままでは、殿下が――」
「惚れる?」
「いえ」
一拍。
「人生設計を、書き換え始めます」
私は、完全に頭を抱えた。
両手で額を覆う。
「やめろ……」
「それだけは、本当にやめろ……」
だが。
止められないことも、分かっている。
オリビアは、誘惑したのではない。
試しただけだ。
そして、セドリックは――
試されることを、心から楽しむ男だ。
「……神殿は?」
老臣が、即答する。
「錯乱寸前です」
「当然だな」
私は、目を閉じた。
王家。
神殿。
貴族社会。
そのどれもが、彼女の前では――
ただの立場にすぎない。
「記録しろ」
低く命じる。
「本日をもって」
「オリビア嬢は、“王太子妃候補”ではない」
側近たちが、息を呑む。
「“対等存在”として扱え」
室内の空気が、凍りついた。
「王家は、手を出すな」
「触れれば――」
一拍。
「国が、選別される」
私は、深く息を吐いた。
「……まったく」
苦笑が、漏れる。
「とんでもない女が、生まれたものだ」
だが。
心の底では、確かに感じていた。
この国に必要なのは、
“正しい王”ではなく――
王という概念を揺らす存在なのだと。
「セドリック」
誰にも聞こえない声で、呟く。
「王になる前に」
「王であることを、超えられるか」
試されているのは、
どうやら――息子だけではない。
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