獅子王の運命の番は、捨てられた猫獣人の私でした

天音ねる(旧:えんとっぷ)

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温かさを求めて1

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 7:温かさを求めて
巨大な馬車が、王都アストリアの壮麗な正門をくぐり抜けた瞬間、ミミは思わず息を呑んだ。
故郷の街が、まるで箱庭の模型であったかのように思えるほどの、圧倒的なスケール。天を突くようにそびえ立つ白亜の尖塔、陽光を浴びて七色に輝く王城の瑠璃色の屋根、そして、どこまでも続く石畳のメインストリートを埋め尽くす、無数の獣人たちの洪水。

馬、馬、馬。行き交う辻馬車や貴族の紋章を掲げた豪華な馬車の蹄の音。商人たちの威勢のいい呼び込みの声。楽士が奏でる陽気な音楽。様々な言語が入り混じる喧騒。そして、世界中のありとあらゆるものが集まってきたかのような、香辛料と、焼きたてのパンと、異国の花々と、人々の汗が混じり合った、濃厚で、猥雑で、生命力に満ち溢れた匂い。

そのすべてが、ミミというちっぽけな存在を、まるで大海に投げ込まれた小石のように、いともたやすく飲み込んでいった。

(ここが…王都…)

馬車を降り、人波の隅で立ち尽くしながら、ミミは呆然とあたりを見回す。
狼、虎、熊、獅子といった屈強な獣人。兎や栗鼠、狐といった俊敏そうな獣人。そして、自分と同じ猫や犬の獣人。ありとあらゆる種族が、それぞれの目的を持って、この巨大な都の中を生きている。
誰も、ミミのことなど気にも留めない。フードを目深にかぶった、痩せて薄汚れた猫獣人の少女一人に、関心を払う者など、誰一人としていなかった。
その完全なまでの無関心は、故郷で向けられた軽蔑や憐憫の視線よりも、ある意味ではるかにミミの心を軽くした。と同時に、底知れない孤独感が、冷たい霧のように胸に立ち込めてくる。

(大丈夫。私は、ここで生きていくんだから)

自分を奮い立たせ、ミミはなけなしの金で、都の貧民街の一角にある、木賃宿に部屋を取った。窓もなく、かび臭い、ただ眠るためだけの狭い部屋。それでも、雨風をしのげる屋根と、硬いとはいえベッドがあるだけで、涙が出そうなほどありがたかった。

翌日から、ミミの仕事探しが始まった。
しかし、彼女が抱いていたかすかな希望は、王都の冷たい現実の前に、あっけなく打ち砕かれることになる。

「すいません、ここで何かお手伝いできることはありませんか?料理も、洗濯も、裁縫も、一通りできます」

最初に訪れたのは、活気のある市場の食堂だった。ミミは、自分の一番の得意分野なら、あるいは、と思ったのだ。
しかし、店の主である猪獣人の男は、ミミの頭のてっぺんからつま先までを値踏みするように一瞥すると、鼻を鳴らして言った。

「見ての通り、うちは力仕事だ。お前さんみたいな、風が吹けば飛んでっちまいそうなひょろい嬢ちゃんに、何ができるってんだい?大鍋も運べねぇだろ。邪魔になるだけだ、他をあたってくれ」

次に訪れた、大きな洗濯屋でも答えは同じだった。
「うちは毎日、山のような洗濯物を運んで、絞って、干すんだ。あんたのその細い腕じゃ、一日もたないよ」

貴族街の大きな屋敷の門を叩き、針子仕事の募集がないか尋ねてもみた。メイド頭らしき、すました顔の狐獣人の女性は、ミミの身なりを見ると、あからさまに眉をひそめた。

「あなた、身元保証人はいらっしゃるの?どこの誰かも分からないような方を、屋敷に上げるわけにはまいりませんのよ」

身元保証人。
その言葉が、ミミの胸に重く突き刺さった。
騎士団長の妻であった頃の自分には、ガロウ・シュヴァルツという、これ以上ないほど強力な身分と名前があった。しかし、今は違う。自分には、己の存在を証明してくれるものなど、何一つないのだ。

何軒も、何十軒も断られ続けた。
そのたびに、ミミの心は少しずつ削られ、すり減っていく。
宿に帰ると、布袋に残ったコインを数えるのが日課になった。日に日に減っていく、命の灯火のようなコイン。その光が消えた時、自分はどうなってしまうのだろう。焦りと恐怖が、夜ごと彼女の眠りを浅くした。

一週間が過ぎた頃、ついに宿代が払えなくなった。
宿の主人に、「申し訳ありませんが、出ていってください」と冷たく言い渡され、ミミは再び、路上へと放り出された。
王都に来てから、ほとんどまともな食事も摂れていない体は、もはや限界に近かった。

夜は、巨大な橋の下や、公園の植え込みの影で、獣のように体を丸めて眠った。
しかし、眠りとは名ばかりで、寒さと、空腹と、そしていつ誰かに襲われるかもしれないという恐怖で、意識は常に張り詰めていた。
昼間は、当てもなく街を彷徨う。
人々の無関心は、最初こそ救いだったが、今は鋭い刃となってミミの心を切りつけていた。自分が、まるで誰の目にも映らない、透明な存在になってしまったかのような感覚。

一度は芽生えたはずの、「生きる」というささやかな決意は、日々の過酷さの前に、嵐の前の蝋燭の炎のように、か弱く揺らめいていた。

(もう…だめかもしれない…)

最後の銅貨で買った、水のように薄い野菜スープを飲み干した日。ミミの心は、ついにぽきりと折れる音を立てた。
もう、歩く気力もない。仕事を探す希望もない。
ただ、すべてを諦めて、このまま静かに消えてしまいたい。

そんな考えが頭を支配し始めた、ある日の午後だった。
数日間、何も口にしていないミミは、もはや自分の足で立っていることさえ覚束なく、壁に寄りかかりながら、ふらふらと街を彷徨っていた。
その時、どこからか、ふわりと、食欲をそそる匂いが漂ってきた。

(…シチューの、匂い…)
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