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過去との遭遇
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レオンハルトから贈られた革の手袋はミミの新しい宝物になった。
店での水仕事の時以外彼女はいつもその手袋を身に着けていた。
上質な革は彼女の手にすっかりと馴染みまるで彼自身の大きな手のひらがいつも自分を守ってくれているかのような温かい安心感をミミに与えてくれる。
その手袋をはめているだけで冷たい冬の空気も少しだけ優しく感じられた。
「森の恵み亭」での生活は穏やかに過ぎていく。
ミミの作る日替わりスープは店の看板メニューとしてすっかり定着し彼女の顔を覚えてくれる常連客も日に日に増えていった。
「ミミちゃん今日のスープも絶品だったよ」
「このパイの焼き加減はまさに芸術だね」
客たちの屈託のない賞賛の言葉は失いかけていたミミの自信を少しずつ取り戻させてくれる魔法の呪文のようだった。
ターニャの母親のような大らかな優しさと常連客たちの気さくな温かさに包まれてミミの凍てついていた心は春先の陽だまりのようにゆっくりとしかし確実に溶け始めていた。
あの夜の絶望的な記憶が蘇り胸が痛む夜がなくなったわけではない。
けれど今はもう一人ではなかった。
辛い時にはターニャが黙って背中をさすってくれる。
孤独に震える夜にはレオンハルトがくれた手袋をぎゅっと握りしめる。
そうすればまた明日を生きる力が湧いてくるのだった。
その日もミミは店の仕入れのために王都の中央市場へと足を運んでいた。
かつては巨大な迷宮のように思えたこの市場も今ではすっかり慣れた庭のようなものだ。
「八百屋の親父さんこんにちは!今日は新鮮なカボチャは入ってる?」
「おおミミちゃんか!いらっしゃい!今朝採れたてのぴかぴかのが入ってるぜ!おまけしとくよ!」
「肉屋のお兄さん!豚のバラ肉を塊でお願い!脂身の美味しいところね!」
「あいよミミちゃん!任せときな!あんたの店の煮込みは最高だからな!」
ミミはすっかり市場の人気者だった。
彼女の明るい笑顔と人懐っこい性格そして何よりその確かな目利きと料理の腕は気難しい市場の職人たちの心をも掴んでいたのだ。
ミミは大きな買い物かごを新鮮な野菜や肉でいっぱいにすると満足げに微笑んだ。
今日のスープはカボチャをたっぷり使ったポタージュにしよう。こんがり焼いたベーコンを散らせばきっとお客さんたちも喜んでくれるはずだ。
レオンさんも気に入ってくれるだろうか。
彼のことを思うと自然とミミの頬がゆるみ足取りも軽くなる。
市場の喧騒を抜けて店への帰り道を急ぐ。
大通りは昼下がりの穏やかな活気に満ちていた。行き交う辻馬車の蹄の音。楽しげに語り合う恋人たちの笑い声。楽士が奏でる陽気なアコーディオンの音色。
その全てが今のミミには心地よいBGMのように聞こえた。
王都に来たばかりの頃は自分を拒絶する冷たい壁のように感じられたこの街が今は優しく自分を受け入れてくれている。
そう思えるようになっていた。
その時だった。
ふとミミの耳に聞き覚えのある甲高い声が飛び込んできた。
鈴を転がすような甘ったるい響き。しかしその裏に隠された棘のような冷たさをミミは知っている。
忘れることなどできようはずもないあの女の声。
「まあ素敵ですわガロウ様!このルビーのネックレスわたくしの瞳の色とそっくり!」
「ははは君の美しい瞳にはどんな宝石も敵わないさイザベラ」
心臓が氷の塊になったかのようにどくんと一度だけ大きく脈打った。
ミミの足が地面に縫い付けられたようにぴたりと止まる。
恐る恐る声がした方へと視線を向ける。
見たくない。
でも見ずにはいられない。
そこには高級宝飾店のショーウィンドウの前で寄り添いながら微笑み合う一組の男女の姿があった。
艶やかな黒髪に騎士団の制服を非番らしく着崩した精悍な狼獣人。
プラチナブロンドの髪をなびかせその腕に猫のようにしなだれかかる豪奢な女。
ガロウ。
そしてイザベラ。
ミミの世界から色と音を奪った二人がそこにいた。
ガロウはミミが一度も見たことのないような蕩けるように甘い表情でイザベラの首にきらびやかなルビーのネックレスをつけてやっている。イザベラは満足げに甲高い声をあげて彼の頬にキスをした。
その光景はまるで一枚の美しい絵画のようだった。
誰もが羨むような幸せに満ちた恋人たちの姿。
そしてその絵画の中にミミという存在が入り込む余地は一片たりともなかった。
ああ。
そうだった。
あの人はああやって笑う人だった。
店での水仕事の時以外彼女はいつもその手袋を身に着けていた。
上質な革は彼女の手にすっかりと馴染みまるで彼自身の大きな手のひらがいつも自分を守ってくれているかのような温かい安心感をミミに与えてくれる。
その手袋をはめているだけで冷たい冬の空気も少しだけ優しく感じられた。
「森の恵み亭」での生活は穏やかに過ぎていく。
ミミの作る日替わりスープは店の看板メニューとしてすっかり定着し彼女の顔を覚えてくれる常連客も日に日に増えていった。
「ミミちゃん今日のスープも絶品だったよ」
「このパイの焼き加減はまさに芸術だね」
客たちの屈託のない賞賛の言葉は失いかけていたミミの自信を少しずつ取り戻させてくれる魔法の呪文のようだった。
ターニャの母親のような大らかな優しさと常連客たちの気さくな温かさに包まれてミミの凍てついていた心は春先の陽だまりのようにゆっくりとしかし確実に溶け始めていた。
あの夜の絶望的な記憶が蘇り胸が痛む夜がなくなったわけではない。
けれど今はもう一人ではなかった。
辛い時にはターニャが黙って背中をさすってくれる。
孤独に震える夜にはレオンハルトがくれた手袋をぎゅっと握りしめる。
そうすればまた明日を生きる力が湧いてくるのだった。
その日もミミは店の仕入れのために王都の中央市場へと足を運んでいた。
かつては巨大な迷宮のように思えたこの市場も今ではすっかり慣れた庭のようなものだ。
「八百屋の親父さんこんにちは!今日は新鮮なカボチャは入ってる?」
「おおミミちゃんか!いらっしゃい!今朝採れたてのぴかぴかのが入ってるぜ!おまけしとくよ!」
「肉屋のお兄さん!豚のバラ肉を塊でお願い!脂身の美味しいところね!」
「あいよミミちゃん!任せときな!あんたの店の煮込みは最高だからな!」
ミミはすっかり市場の人気者だった。
彼女の明るい笑顔と人懐っこい性格そして何よりその確かな目利きと料理の腕は気難しい市場の職人たちの心をも掴んでいたのだ。
ミミは大きな買い物かごを新鮮な野菜や肉でいっぱいにすると満足げに微笑んだ。
今日のスープはカボチャをたっぷり使ったポタージュにしよう。こんがり焼いたベーコンを散らせばきっとお客さんたちも喜んでくれるはずだ。
レオンさんも気に入ってくれるだろうか。
彼のことを思うと自然とミミの頬がゆるみ足取りも軽くなる。
市場の喧騒を抜けて店への帰り道を急ぐ。
大通りは昼下がりの穏やかな活気に満ちていた。行き交う辻馬車の蹄の音。楽しげに語り合う恋人たちの笑い声。楽士が奏でる陽気なアコーディオンの音色。
その全てが今のミミには心地よいBGMのように聞こえた。
王都に来たばかりの頃は自分を拒絶する冷たい壁のように感じられたこの街が今は優しく自分を受け入れてくれている。
そう思えるようになっていた。
その時だった。
ふとミミの耳に聞き覚えのある甲高い声が飛び込んできた。
鈴を転がすような甘ったるい響き。しかしその裏に隠された棘のような冷たさをミミは知っている。
忘れることなどできようはずもないあの女の声。
「まあ素敵ですわガロウ様!このルビーのネックレスわたくしの瞳の色とそっくり!」
「ははは君の美しい瞳にはどんな宝石も敵わないさイザベラ」
心臓が氷の塊になったかのようにどくんと一度だけ大きく脈打った。
ミミの足が地面に縫い付けられたようにぴたりと止まる。
恐る恐る声がした方へと視線を向ける。
見たくない。
でも見ずにはいられない。
そこには高級宝飾店のショーウィンドウの前で寄り添いながら微笑み合う一組の男女の姿があった。
艶やかな黒髪に騎士団の制服を非番らしく着崩した精悍な狼獣人。
プラチナブロンドの髪をなびかせその腕に猫のようにしなだれかかる豪奢な女。
ガロウ。
そしてイザベラ。
ミミの世界から色と音を奪った二人がそこにいた。
ガロウはミミが一度も見たことのないような蕩けるように甘い表情でイザベラの首にきらびやかなルビーのネックレスをつけてやっている。イザベラは満足げに甲高い声をあげて彼の頬にキスをした。
その光景はまるで一枚の美しい絵画のようだった。
誰もが羨むような幸せに満ちた恋人たちの姿。
そしてその絵画の中にミミという存在が入り込む余地は一片たりともなかった。
ああ。
そうだった。
あの人はああやって笑う人だった。
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