獅子王の運命の番は、捨てられた猫獣人の私でした

天音ねる(旧:えんとっぷ)

文字の大きさ
38 / 42

裏切りのあの匂い

しおりを挟む
世界から色が消えた。音が消えた。
ミミの足はまるで石の根が深く深く地面に伸びてしまったかのように動かない。目の前で繰り広げられる光景だけが毒々しいほどの色彩を放ち彼女の網膜に焼き付いて離れなかった。

ガロウ。イザベラ。
私の幸せだったすべてを奪い去った二人。
彼らはすぐそこにいた。高級宝飾店の前できらびやかな宝石を前にしている。
イザベラは満足げに甲高い声をあげて彼の頬にキスをする。
誰もが振り返る美しい一対の獣人。
祝福された光の中にいる二人。
その光はあまりにも眩しくてあまりにも残酷で、ミミの存在そのものを深い影の中に塗り潰していく。

ひゅっと喉の奥が凍る。呼吸ができない。
周囲の喧騒が急速に遠ざかっていく。
陽気な音楽も人々の楽しげな笑い声もまるで厚い氷壁の向こう側のように聞こえなくなった。
代わりに耳の奥でキーンという甲高い金属音が鳴り響き始める。視界がぐにゃりと歪み目の前の二人だけが異常なほど鮮明に切り取られていた。

『お前との時間は退屈だった』

日々の幸せで、忘れたはずだった。
心の奥底に固く蓋をして、もう二度と開かないように鍵をかけたはずだった。
なのにあの男の声は呪いのように、その鍵をこじ開けミミの意識を再びあの絶望の夜へと引きずり込んでいく。

冷たい雨が体を打ちつける感触。
ゴミのように突き飛ばされた石畳の鋭い痛み。
無情に閉ざされた分厚い扉。
カチリと鍵をかける冷たく無慈悲な金属音。
そして扉の向こう側から聞こえてきた二人の声。

裏切られた。
捨てられた。
私の信じた世界はあの夜完全に終わったのだ。

あの日の絶望と孤独が奔流となって蘇り、ミミの体を内側から支配していく。
ガタガタと全身の震えが止まらない。
寒い。
冬の柔らかな陽光が降り注いでいるはずなのに体の芯まで凍りついてしまいそうに寒い。これはあの夜の雨の冷たさだ。魂まで凍えさせた氷の雨の冷たさなのだ。

「ひっ…」
喉からか細い悲鳴が漏れた。
その音に気づく者は誰もいない。世界はミミ一人を置き去りにして何事もなかったかのように回り続けている。

やがてガロウとイザベラが腕を組むと、ミミがいることなど全く気付かずに大通りを歩き始めた。
こちらへ向かってくる。

だめ。
見られたくない。会いたくない。
逃げなければ。
そう思うのに足が動かない。意思に反して体は完全に硬直し地面に縫い付けられてしまっていた。

ミミの手から力が抜ける。
大きな買い物かごがガサリと重い音を立てて石畳の上に落ちた。
色とりどりの新鮮な野菜が彼女の足元に無残に転がり出た。
八百屋の親父さんが「頑張ってるお嬢ちゃんへのサービスだよ」と笑って籠に入れてくれた、丸々としたカボチャがゴトンと虚しい音を立ててミミのつま先でぴたりと止まった。

その物音にさえガロウたちは気づかない。
彼らはミミのすぐ数メートル横を何事もなく通り過ぎていく。
風が吹き、甘ったるいイザベラの香水の匂いがミミの鼻腔を突き刺した。
ああこの匂い。


私のささやかな幸せを根こそぎ奪い去った裏切りの匂いだ。

ガロウとイザベラは一度もミミに視線を向けることなくそのまま雑踏の中へと溶けるように消えていった。

「……ぁ……ぅ……」
意味のある言葉にならない声が凍える唇から漏れ落ちる。
涙さえ出なかった。
ただ砕け散った心の破片が鋭利な刃となって内側からミミをずたずたに切り刻んでいく。

彼女は石畳に散らばった野菜の真ん中でただひとり座り込んでいた。
その空色の瞳から輝きは完全に消え失せ深い絶望の色だけが淀んでいた。
かつて愛した男とのあまりにも突然な遭遇はミミがようやく見つけたまばゆい光さえも奪い去り、彼女を再び暗く冷たい孤独の深淵へと突き落とした。

その時だった。

ふわりと。
パニックで凍り付いていたミミの肩がそっと大きな何かに抱き寄せられた。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

竜帝は番に愛を乞う

浅海 景
恋愛
祖母譲りの容姿で両親から疎まれている男爵令嬢のルー。自分とは対照的に溺愛される妹のメリナは周囲からも可愛がられ、狼族の番として見初められたことからますます我儘に振舞うようになった。そんなメリナの我儘を受け止めつつ使用人のように働き、学校では妹を虐げる意地悪な姉として周囲から虐げられる。無力感と諦めを抱きながら淡々と日々を過ごしていたルーは、ある晩突然現れた男性から番であることを告げられる。しかも彼は獣族のみならず世界の王と呼ばれる竜帝アレクシスだった。誰かに愛されるはずがないと信じ込む男爵令嬢と番と出会い愛を知った竜帝の物語。

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

転生幼女は追放先で総愛され生活を満喫中。前世で私を虐げていた姉が異世界から召喚されたので、聖女見習いは不要のようです。

桜城恋詠
ファンタジー
 聖女見習いのロルティ(6)は、五月雨瑠衣としての前世の記憶を思い出す。  異世界から召喚された聖女が、自身を虐げてきた前世の姉だと気づいたからだ。  彼女は神官に聖女は2人もいらないと教会から追放。  迷いの森に捨てられるが――そこで重傷のアンゴラウサギと生き別れた実父に出会う。 「絶対、誰にも渡さない」 「君を深く愛している」 「あなたは私の、最愛の娘よ」  公爵家の娘になった幼子は腹違いの兄と血の繋がった父と母、2匹のもふもふにたくさんの愛を注がれて暮らす。  そんな中、養父や前世の姉から命を奪われそうになって……?  命乞いをしたって、もう遅い。  あなたたちは絶対に、許さないんだから! ☆ ☆ ☆ ★ベリーズカフェ(別タイトル)・小説家になろう(同タイトル)掲載した作品を加筆修正したものになります。 こちらはトゥルーエンドとなり、内容が異なります。 ※9/28 誤字修正

追放された宮廷薬師、科学の力で不毛の地を救い、聡明な第二王子に溺愛される

希羽
ファンタジー
王国の土地が「灰色枯病」に蝕まれる中、若干25歳で宮廷薬師長に就任したばかりの天才リンは、その原因が「神の祟り」ではなく「土壌疲弊」であるという科学的真実を突き止める。しかし、錬金術による安易な「奇跡」にすがりたい国王と、彼女を妬む者たちの陰謀によって、リンは国を侮辱した反逆者の濡れ衣を着せられ、最も不毛な土地「灰の地」へ追放されてしまう。 ​すべてを奪われた彼女に残されたのは、膨大な科学知識だけだった。絶望の地で、リンは化学、物理学、植物学を駆使して生存基盤を確立し、やがて同じく見捨てられた者たちと共に、豊かな共同体「聖域」をゼロから築き上げていく。 ​その様子を影から見守り、心を痛めていたのは、第二王子アルジェント。宮廷で唯一リンの価値を理解しながらも、彼女の追放を止められなかった無力な王子だった。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

出来損ないと虐げられた公爵令嬢、前世の記憶で古代魔法を再現し最強になる~私を捨てた国が助けを求めてきても、もう隣で守ってくれる人がいますので

夏見ナイ
ファンタジー
ヴァインベルク公爵家のエリアーナは、魔力ゼロの『出来損ない』として家族に虐げられる日々を送っていた。16歳の誕生日、兄に突き落とされた衝撃で、彼女は前世の記憶――物理学を学ぶ日本の女子大生だったことを思い出す。 「この世界の魔法は、物理法則で再現できる!」 前世の知識を武器に、虐げられた運命を覆すことを決意したエリアーナ。そんな彼女の類稀なる才能に唯一気づいたのは、『氷の悪魔』と畏れられる冷徹な辺境伯カイドだった。 彼に守られ、その頭脳で自身を蔑んだ者たちを見返していく痛快逆転ストーリー!

氷の公爵は、捨てられた私を離さない

空月そらら
恋愛
「魔力がないから不要だ」――長年尽くした王太子にそう告げられ、侯爵令嬢アリアは理不尽に婚約破棄された。 すべてを失い、社交界からも追放同然となった彼女を拾ったのは、「氷の公爵」と畏れられる辺境伯レオルド。 彼は戦の呪いに蝕まれ、常に激痛に苦しんでいたが、偶然触れたアリアにだけ痛みが和らぐことに気づく。 アリアには魔力とは違う、稀有な『浄化の力』が秘められていたのだ。 「君の力が、私には必要だ」 冷徹なはずの公爵は、アリアの価値を見抜き、傍に置くことを決める。 彼の元で力を発揮し、呪いを癒やしていくアリア。 レオルドはいつしか彼女に深く執着し、不器用に溺愛し始める。「お前を誰にも渡さない」と。 一方、アリアを捨てた王太子は聖女に振り回され、国を傾かせ、初めて自分が手放したものの大きさに気づき始める。 「アリア、戻ってきてくれ!」と見苦しく縋る元婚約者に、アリアは毅然と告げる。「もう遅いのです」と。 これは、捨てられた令嬢が、冷徹な公爵の唯一無二の存在となり、真実の愛と幸せを掴むまでの逆転溺愛ストーリー。

王子に求婚されましたが、貴方の番は私ではありません ~なりすまし少女の逃亡と葛藤~

浅海 景
恋愛
別の世界の記憶を持つヴィオラは村の外れに一人で暮らしていた。ある日、森に見目麗しい男性がやってきてヴィオラが自分の番だと告げる。竜の国の王太子であるカイルから熱を孕んだ瞳と甘い言葉を囁かれるが、ヴィオラには彼を簡単に受け入れられない理由があった。 ヴィオラの身体の本来の持ち主はヴィオラではないのだ。 傷ついた少女、ヴィーに手を差し伸べたはずが、何故かその身体に入り込んでしまったヴィオラは少女を護り幸せにするために生きてきた。だが王子から番だと告げられたことで、思いもよらないトラブルに巻き込まれ、逃亡生活を余儀なくされる。 ヴィーとヴィオラが幸せになるための物語です。

処理中です...