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三章 後宮編
★3-6 炎辰と翠蓮
しおりを挟む翠蓮は、芙蓉妃の侍女が迎えに来ると聞いていたが、時間になっても会えなかった。
「行き違っちゃったかな……?」
翠蓮は貴妃宮への夜道をひとり歩いていた。皇后宮にいたのだろうか、向こうから炎辰が来るのが見えた。
「芙蓉妃の寵愛を受けていると噂になっているようだが、一体どんな手を使ったんだ?」
喉がきゅっと鳴る。そんな風に言われているだなんて知らなかった。
「そんな……良くしていただいていますが……
私はお役に立てればと思っているだけです」
一拍。夜気に蝉の声が混じる。
炎辰は静かな声で言う。
「俺に付かないか? 北方の饗宴を聞いて確信した。お前の声には力がある」
力とはなんだろうか。
北方の貴族たちも、翠蓮の瞳の色と声について、何か良くないことを言っていたことを思い出す。
炎辰は困惑する翠蓮の反応を楽しむように口を開く。
「蒼瑛は――」
その名を聞いて、翠蓮は思わずぴくりと反応する。
「あいつはいつも正しい。だが、それだけでは大事なものを守れないだろう?」
炎辰はぞっとするほど美しく微笑む。
「俺なら、くだらない誹謗中傷をする者はねじ伏せてやる。地位も名誉も欲しいままだ」
(何を――)
この人は何を言っているのだろうか。
微笑んでいる顔とは対照的に、蒼瑛の事を話す瞳は怒りに燃えていた。
「なぜ蒼瑛さまを憎むのですか?」
言ってしまってからしまった、と思ったが遅かった。
翠蓮は逃れる暇もなく、肩を強く後ろに押し付けられた。
壁のひやっとした感覚が伝わり、鼓動が跳ね上がる。
逃れようと彼の両腕を掴むが、しなやかな腕はびくとも動かない。
「俺は皇位を取るためだけに生きてきた。そうでなければ……」
その続きは言わなかったが、炎辰は何かに苦しんでいるように見えた。
それは、まるで――
翠蓮はすっと恐怖が引いていった。
「皇位をとらなければ、価値がないと?」
炎辰は瞳を揺らした。それは、翠蓮の言葉が真実であることを告げていた。
あまりにも孤独な考えに、翠蓮は胸が痛くなる。
「わかったふうな口を聞くな」
炎辰の声は押し殺すようで、翠蓮の肩を掴む手が僅かに震えていた。
「確かに、その重圧はわかりません。ですが、炎辰殿下が苦しんでらっしゃるのはわかります」
ふっと肩を掴む手が緩む。
その時、後方から声がした。
「兄上……何をされているのですか」
(蒼瑛さま……?)
炎辰は翠蓮から手を離し後ろを振り向く。すでにいつもの彼に戻っていた。
「お前か。間の悪いやつだな」
「今はそんな話はしていません。何をしているのかと聞いているのです……」
蒼瑛は声こそ冷静さを保っていたが、その目は不安と怒りが見える。
二人は鋭い目で睨み合う。
翠蓮は、炎辰が蒼瑛に何かしでかすのではと恐怖が走った。
自身の片腕をぎゅっと掴むと、口を開く。
「蒼瑛さま……なにもございません。少し……立ち話をしていただけです」
その言葉に驚いた顔をしたのは、炎辰の方だった。
不愉快そうに翠蓮を一瞥し、蒼瑛に向き直る。
「……命拾いしたな」
低く吐き捨てるように言い残し、闇夜に消えて行った。
炎辰が去ると、翠蓮は今更ながら恐怖を感じ、視界が揺れた。
「すみません……口を挟んでしまい……」
平静を装おうとしたが、言葉の途中で足元がふらつく。
「――無理をするな」
蒼瑛の手が、咄嗟に翠蓮の腕を支えたが、それ以上近づくことはなく、すぐに力を緩める。
「怖かっただろう」
その優しい声に、張り詰めていたものがほどけそうになる。
翠蓮は俯いたまま、小さく頷いた。
近くにいるだけなのに、蒼瑛の衣から微かに紙と墨の香りがした。
それだけで、泣き出してしまいたくなる。
(……安心する)
同じ男性だと言うのに、二人は全然違っていた。
炎辰は自分の敵なのだろうか。何度か助けてくれたのは、彼の気まぐれだったのか。
「……もう、大丈夫です」
翠蓮がそう言うと、蒼瑛はすぐに手を離した。
「すまない。配慮が足りなかった」
「いえ……助かりました」
互いに一歩距離を取り、視線を逸らす。
言葉のない時間が、落ち着かない。
沈黙を破るように、遠くから声がかかる。
「あら? 翠蓮さま?」
芙蓉妃の侍女だった。
「お迎えに行ってもいらっしゃらないんですもの、探し廻りましたよ」
「申し訳ありません……行き違ってしまったようで」
「いえいえ。いらしていたなら結構です。蒼瑛殿下もご一緒なのですね。では参りましょう」
(……見られてはいない、よね)
先ほど腕を支えられた感触を思い出し、翠蓮はそっと息を整えた。
顔を上げないまま、二人の後について歩き出す。
「芙蓉妃様、蒼瑛殿下と翠蓮さまがいらっしゃいました。」
二人が部屋へ入ると、芙蓉妃はすぐに翠蓮に声をかけた。
「翠蓮、遅かったけれど大丈夫だったかしら?」
代わりに蒼瑛が不機嫌そうに口を開く。
「兄上が……」
「そ、蒼瑛さま……大丈夫です。本当に……本当に世間話をしていただけなんです」
「そうは見えなかったが」
芙蓉妃は少々驚いた顔をする。蒼瑛がこんな風に――特に負の感情を出すのは珍しいのだろう。
芙蓉妃は心配そうに尋ねる。
「炎辰が翠蓮になにか……?」
「あの……」
その先は口ごもる。実の兄が自分を陥れようとしたと知ったら、蒼瑛を傷つけるのでは――
咄嗟に嘘が口をついていた。
「私の歌に興味を持ってくださったと……それだけです」
「兄が歌を?」
蒼瑛は嫌悪を顕にする。
「翠蓮、頼むから兄の言うことを真に受けないでくれ。
それを言うためにあんなに近くに寄って、威圧する必要はないだろう」
「気をつけます……」
蒼瑛は大きくため息をついた。
先ほどはあんなに恐怖を目に宿し、倒れるのではないかと、自分は心底心配したというのに。
あまりにも無防備で少し腹が立つほどだ。
いや――腹を立てるべきは本来炎辰の方だろう。
蒼瑛はいくらか冷静さを取り戻す。
「まぁ、そんなことを言ったの……」
芙蓉妃は少し同情的な目をしたが、首を横に振った。
「だからと言って、人に怖い思いをさせていい理由にはならないわ。翠蓮、怖かったでしょう」
翠蓮は、芙蓉妃の「怖かったでしょう」という言葉が、先ほどの" 怖かっただろう "という蒼瑛の言葉と重なる。翠蓮はまた頬が熱くなったのを感じた。
「暑いかしら?」
赤くなった翠蓮の顔を見て、芙蓉妃が声をかける。ふと蒼瑛にも目を向ける。
「あら?あなたも?」
芙蓉妃は、蒼瑛の表情に何か引っ掛かったようだが、窓を開けそのまま話を続ける。
「――それでね、皇后さまが翠蓮の歌をお聴きになりたいんですって」
「皇后さまが……」
田舎育ちの翠蓮にとって、皇后と言えば皇帝と並んで、雲の上の神様のような存在だった。
村の人は皇后のことを「昼間でも後光が差して光って見える」とか「天女のようなお美しさだ」とか、
逆に「恐ろしい人で見たものは石になる」だとか、見たこともないのに皆好き勝手言っていた。
とにかく、普通に生活していれば一生お目にかかることはないはずの人だった。
翠蓮の様子を見て、芙蓉妃は慰めるように声をかける。
「翠蓮、そんなに心配しないで。皇后さまは少し厳しいところもお有りだけど、基本的に慈悲深いお方だわ」
蒼瑛は呆れた目で芙蓉妃を見る。芙蓉妃は肩をすくめた。
確かに皇后の恐ろしさをそのまま伝えるわけにもいかない。
「大丈夫、期間は一週間と少し短いけれど……後宮では堂々とした態度が大切よ。多少の見せかけも必要だわ」
翠蓮は真剣な表情で頷いている。
「宮廷作法は勉強していると思うけれど、後宮には特殊な作法もあるわ。教育係をつけるので彼女についてちょうだい。
後は歌の勉強はもちろんだけれど、あぁ、念のため詩歌も……」
止まらない芙蓉妃に蒼瑛は手を上げ、待ったをかける。
「翠蓮、一番大事なことを言うからよく聞いてくれ」
「はい」
「少しでもおかしいと感じたら誰かしらに知らせてくれ。
そうだな……例えば急に見知らぬ侍女が尋ねてくるとか、予定にないことを言われるとか。
後は貰った食べ物も迂闊に口にしないでくれ。
それから……」
「ちょっと蒼瑛、あなた一度に詰め込みすぎよ」
「母上には言われたくないです」
「まぁ、そんなふうに無邪気に言い返すあなたを、どれくらいぶりに見たかしら」
なんだかんだ話し方がそっくりな二人のやり取りを見ながら、翠蓮は遺伝子の力を感じていた。
「わかったか」「わかったかしら」二人は同時に声を揃える。
「はい! 分かりました」
翠蓮は微笑ましく思いながら返事をした。
(けど……こんなに警戒しなければいけないなんて、やっぱりこの夜宴にはなにかあるんだ)
芙蓉妃はまだまだ言い足りなさそうだったが、水時計に目をやる。
「今日はこの辺りにしましょう。翠蓮は侍女に送らせるわ」
そのひと言で場は解散となった。
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