虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青

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第三部

SとMの間

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「幸さん……聞いてますか?」

「えぇ、緊縛の話よね。エビとカニも捕まえたら美味しいかなって──」

「途中から海の幸の話に切り替わってますわ……幸さんには酷な話でしたわね」

 昼間に心が院にやって来たのだが、どうも元気がなかった。この間のシュークリームのお礼を言うと心の溜まっていた鬱憤の栓を引き抜いたようだ。
 散々愚痴をこぼし始めたのはいいが、専門用語が多くて途中半分魂が抜けかかった。亀甲縛り以外の専門用語を耳にしてしまい。いらぬ知恵がついてしまった。

「ともかく、正太郎には昔から付き纏われて最悪ですわ──今回は光田様まで狙って……本当に油断ならないですわ!」

 相当心はご立腹だ。
 今でこそ光田と付き合っているが心も光田のいく先々に出没していたと聞いている。

 似た者同士なんだけどな……。

 幸はその言葉をぐっと飲み込んだ。



「……随分とご機嫌斜めだな」

 院のドアが開き組長と光田が入ってくる。組長はそのまま幸にビニール袋に入った梨を手渡した。

「あら、いいですね……冷やして食べましょうね」

「あぁ、頼む」

 組長は幸の笑顔につられて微笑む。そんな二人をよそに心はすぐさま光田の元へ詰め寄る。

「光田様……お話がありますの……」

「どないしたん?」

 光田はキョトンとした表情で心を見下ろす……。ヤクザなのにどこか純粋な光田の瞳に心は胸がときめく。

 無自覚なのですから……困ったものですわね……。

「光田様、正太郎が会いに来たら話を聞かずに即座にぶちのめして下さいね。あの男はとんでもない豚野郎ですから」

「それってその豚野郎にあげてる事にならへんの?」

 ドMの撃退法があれば教えてほしい。無視しても攻撃しても喜ぶ松崎は無敵だ。

「縛られ吊るし上げられて喜ぶ男に言い寄られるなんて人生最大の汚点ですから、とりあえず光田様をしばらく監禁──」

「いやいや、自分も彼氏を縛って吊るし上げようとしてたやん。なんとも言われへんねんけど──どちらかと言えば監禁の方が傷が深くなると思うんやけど」

 心は至って真剣だ。その瞳の奥には邪悪な光が見える。

「もしかして……ご主人様と呼ばれることに快感を……? 正太郎に言い寄られたままでいいんですか?」

「……とりあえず落ち着け。俺がいつメイド喫茶に入り浸ったんや。とりあえずほっとくしかないやろ」

 心が光田の言葉に頬を膨らませ真っ赤に染まっていく。

「光田様の──バカ!」

 心はカバンを掴むと大股で院を出て行った。その背中を光田は切なそうに見つめていた。



 公園のベンチで心は一人座っていた。そこへ組長がゆっくりとした足取りで近づいていく。横に座ると何も言わずに前を見つめたままだ。静かな時が流れる──。

「……司さん──」
「なんだ?」

「光田様は責めたいんでしょうか……それとも、責められたいんでしょうか」

「……世の中をSかMかで分ける癖やめとけ……ややこしい」

 心の中で陰と陽、男と女、白と黒並みにSとMは大きな分け方の一つらしい。心は膝の上で手を組み何かを考えているようだ。

「自信が……ないんです。追って囲って捕まえて、もしかしたら……根負けしているだけで、縛られたくないのかもしれないって──」

「体を? 光田の心を?──くそ、だからややこしいって言ったんだ」

 組長は混乱していた。
 徐々に緊縛ワールドに汚染されているようだ。

「光田様は──あの時正太郎に言い寄られていて本気で嫌がりませんでしたの、もしかしたら取られるかもしれないって怖くて……全く、バカですわね、私」

 心は組長を見ると力無く笑う。その表情を見て組長は目を細めていた。

「光田は、お前が好きだ」

「それは──」

「あの日、松崎とお前が大声で言い合っているのを、羨ましそうに見ていたぞ……普通の関係ではない太い絆で結ばれたお前たちをな」

『本来ならあの二人……SとMで最高のカップルでしょう……? 俺はノーマルやし……松崎と心の間に割って入るには、ご主人様じゃなきゃ──かっこ悪いですね、俺、何言うてんねんやろ……』

 組長は光田の言葉を思い出す。それを伝えると心の瞳に涙が溢れ出してきた。

──ヤキモチを焼いてくれていた。光田様も私と同じ気持ちでしたのね……。

 心はそのまま院へと駆け出した。その背中を組長は見守っていた。

「普通って、難しいな──」




 バァーーン!!

 院のドアが突然轟音とともに開け放たれた。

「な、なんや! どないしたん!?」

 光田が驚き過ぎてソファーから半身ずれ落ちている。心は何も言わず光田へと近づくとそのまま光田の唇を奪う。心は光田の首に腕を回すと深く光田を侵略していく。

「んー!!……んぁ──ふっ」

光田が必死で酸素を求めている。その声すらも心は飲み込んでいく。

 離さない、私だけ、見ていてくださればいい……。

 心は必死だった──。心の背中に光田の腕が回る。そっと撫でて、背中を上下に撫でると最後にポンっと優しく叩いた。

 心は光田の手の感触に気付きようやく光田の唇を解放した。光田が苦しくて涙目になっている。

「はぁ、はぁ、はぁ──」
「……ふぅ……」

 二人の息遣いだけが院に響く。奥の部屋から幸が現れた。

「光田さん、倉庫の奥の棚にあるタオル──あ……」

 幸は二人の様子を見て一気に顔色を変えた。

「あ、集中力切らせてごめんなさいね。前立腺って繊細な部位だし──勃起維持できる?」

「先生! 誤解です! 俺の前立腺の心配はしなくていいですから!……お前は確認するな!」

 幸が突然性の相談室モードに入り光田は焦る。心が無言で光田の下腹部を凝視するのが分かり光田は心の目を手で覆う。

 幸は医療人として光田のコンディションを心配した。その後嬉しそうに再び奥の部屋へと戻っていく。幸がいなくなったのを確認すると光田は心の手を握った。

「──心、俺な、お前が好きや。お前がSでもMでも何でもええねん、だから……」

「光田様、正太郎に恋心を抱いたことなどないですわ。なんとも思っていないのです……私は光田様が、初恋なのですから──私だって、光田様がドSならドMになれます。光田様がドMなら──」

 光田は心にキスをした。心は光田の頰に指を添えた──。

「光田様が、んですわ」

 二人は額をくっつけて微笑み合った。
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