ひめさまはおうちにかえりたい

あかね

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聖女と魔王と魔女編

弟は不満である

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「ねーさまってひどいと思わない」

 ばぁんと扉を開けた音に彼はびくりとした。音のした方に顔を向けてもなにも見えないが、習慣は直らないらしい。
 全く足音はしなかった。多少は古いらしい建物で、ユリアが来たときは足音がする。
 見えないが、おそらくそこにいるのは少年だろう。

「……ちょっとは良くなった?」

「体調は」

 先日まで引いていた風邪も症状が落ち着いたとようやく言われたばかりだ。相変わらず見えるようになる気配はない。
 彼の言葉のニュアンスを拾ったのか少し戸惑ったような沈黙があった。

 かたんと音がして、ベッド脇の椅子をずらしたようだ。歩いてきた音はしなかったのに、椅子に座る音はうるさいくらいだった。

 ここにいるとはっきり主張している。

 フィンレーと名乗った少年は、気まぐれか何度かここにきた。延々と仕事がひどいという愚痴を述べて気が済むと帰る。その習性になにか既視感をおぼえたりもした。

 それはともかくその話で彼には今の国内の状況がわかってしまった。過去の状況から考えて推測を口にすれば、驚かれたものだ。
 そう言えば、あの頃から顔を出す頻度が上がったことに気がつく。

「風邪引いたってユリアが焦ってたから、大丈夫かなと思ってたけど」

「骨が折れるかと思うほど咳はした。今まで経験がなかったけど、あれはつらい」

 少々の逃亡が、大事にもなった。
 部屋の外に出て動けるだろうか、なんて暇だから考えたのだろう。小一時間もしないうちに疲労で動けなくなるとも、場所が把握出来なくて途方に暮れることも想像できただろうに。

 そこから風邪を引き、二度とするなと厳命されて今に至る。

 確かに小さく降り積もる焦燥を宥めるにしても、もう少し別のやり方があったような気はする。

「……ほんと、大丈夫? 体弱いんだから、無理しないでよ」

 この少年が心配と口先だけで言っているわけではないとわかる。
 これが人が良いのか、特別なのかは判断もつきようがない。この少年のことはほとんど知らない。
 彼女が、プリンが好きな弟としてしか語らず、情報上ではひどい目にあったこと、くらいしか。

 明るく振る舞うけれど、どこか無理をしている気配も彼は感じていた。指摘されるのは嫌だろうと黙ってはいたが。

「反省はしてるって」

「本当? まあ、姉様には言ってないよ。だって、かっこわるいじゃん?」

「……そりゃ、どうも。格好いいなんて思われたことないと思うけど」

 一度、良いなと言われたが、なにがどうどこが良かったのか謎のままだ。
 あの人はどこを気に入ったのか未だにわからない。

 振り返れば、色々な事を許されていた事に気がつく。気がついたのがとても遅い。やはり正気ではなかったのだと判断するしかない。

 おそらく今もあまり、正気じゃない。変な夢の残滓が燻っている。

「元気かな?」

 そんなことを聞いてしまうほどには。
 いつもしない問いにフィンレーは微かに笑ったようだった。自発的に彼女のことを聞いたのは初めてだった。

「ひどいことに僕を置いて北方に行っちゃった。兄様もいないし、一人でどーしろって言うんだろうね」

 庇護者無しでこの少年を置いていったのか。
 さすがにそれは無茶ではないだろうか。それほどの用事ともなれば魔王か魔女なのだろうが、兄を残すべきでは?
 困惑を表情に出してしまったのだろう。ため息に続いてフィンレーが続けた。

「兄様は強い敵を求めている人でね」

 察してしまった。ウィリアムも同様の傾向を持つので、きっと、待てなかったんだろう。
 思わず苦笑いを浮かべる。

「まあ、ローガンがいるし、いざってときの守りはきちんとあるからそこは安心していいけど。暴力的な抑止力はあるんだ。でもねー、貴族とか良くわかんないから困るよ」

「故郷にはいない?」

「同じ感じではないね。特権階級っていうよりお仕事、みたいな。そんな余裕あるというより貧乏くじに近い」

 足を引っ張り合うほどの余裕はなかったのだろう。ならば、扱いに困っているのもわかる。
 良くも悪くもこの国は平和すぎた。
 彼にいいようにかき回されるくらいには、隙があった。

 今なら、掌握出来そうだなと考えて頭を小さく振った。焦っても良い事はなにもないのは知っている。

「そっちは俺も知り合いがほとんどいないから……。いや、姫君についていた侍女たちはそれなりの家柄だったはずだ。たしか、マリーゴールドの家が公爵家だったはず」

「……そんなお嬢様がなんで城なんかで働いてるのさ?」

「本人の希望みたいだ。結婚相手が嫌だとかなんとか」

「気の強そうなお嬢様だね。わかった。話してみるよ」

「ランカスターにも聞いてみるといい。あとはそうだな。カイルも役には立つか。残ってるかはわからないが」

「あー、いる。なんか最近お付きって感じ。他の有力な家系は?」

 思い出せる範囲で、派閥を伝える。
 途中で制止され、書くから待ってと言われた。見えれば書いて渡すが、今はムリだ。

「……なんか、出来が違うってこれかな。僕そんなに頭悪いとか思ったことないけど、どういう記憶してんの?」

「本棚に本をしまうように」

「魔法使いみたい」

「よく言われる」

 それならまだ良い言い様で、化け物じみた、という表現の方が多い。その言い方に傷ついた気もしたが、今はもう覚えていない。そんな奴らは相手にする必要はない。
 なんで、できないの? と笑ってやればいい。

 傷つくなんて馬鹿らしい。

「あたってみる。ありがとう」

「どういたしまして」

 話はそれだけかと思えば、フィンレーはまだそこに留まっていた。

「……礼をしたいんだけど、思いつかないんだ。僕に出来ることはある?」

 人が良いなと彼は小さく笑った。
 命1個分の恩がある。彼にその意識はないらしい。この部屋を提供しているローガンも文句をいいながらも世話を焼くユリアも恩着せがましいことも言わない。
 一度だけここに来たアイザックに至っては弟と妹のわがままに付き合わせたと謝罪までされた。その上で、友人に礼を言っておくのだなと伝えられたときには、気が遠くなりそうだった。

 なにしてんの、おまえら。と調子が戻ったら説教なと思っている。
 いや、だってぇと言い募るのが想像出来て頭が痛い。

 それはともかく、今は礼をしたいという少年の提案のことだ。

「今はないかな。戻ってきたら頼むかも」

「なにを?」

 安易に請け負わない。
 意外とそこはしっかりしている。ソランも年の割にはしっかりしていると思ったが、それ以上だ。経験の足りない大人くらいの対応がちょうどいい。

「そのときに言う」

「じゃ、応相談」

 きっぱりと宣言して、またねと立ち去っていった。

「……さて、どこから手をつけようか」

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