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【第7章】 弟の暗躍
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春の夜会から数日が経ちました。
けれど、あの夜のざわめきは、まだ王宮のあちこちに残っているようでした。
わたしとルシアンさまが並んで歩けば、廊下の向こうからひそひそとした声が聞こえてきます。
「……あれが、例の“契約婚”の……」
「英雄さまは、どうしてあんな男を……」
「顔だけはいいけれど、中身は……」
わたしは聞こえないふりをして歩き続けましたが、隣を歩くルシアンさまの肩が、わずかに強張っているのがわかりました。
(……胸が痛みます)
彼は慣れていると言っていました。
けれど、慣れているからといって、傷つかないわけではありません。
わたしはそっと、ルシアンさまの袖をつまみました。
「ルシアンさま……」
「……大丈夫です、アリアさま」
彼は微笑まれました。
その笑みは、どこか儚くて、胸が締めつけられます。
(どうして、そんなふうに笑うのですか)
わたしが言葉を探していると――。
「おや。お二人とも、ご機嫌よう」
廊下の角から、金髪の青年が姿を現しました。
ルシアンさまの弟、エリオット・クロードさまです。
整った顔立ちに、冷たい笑み。
その瞳は、まるで獲物を見つけた猛禽のように鋭く光っていました。
「エリオット……」
ルシアンさまの声が低く沈みます。
エリオットさまは、にこりと微笑みました。
「兄上。最近はずいぶんと……お忙しいようですね。社交界でも、あなたの噂で持ちきりですよ」
「…………」
ルシアンさまの肩が、さらに強張りました。
わたしは思わず、彼の手をそっと握りました。
「エリオットさま。噂など、気にしていませんから」
わたしがそう言うと、エリオットさまは一瞬だけ目を細めました。
「……なるほど。英雄さまは、兄上の味方だったですね」
「当然です。わたしは、ルシアンさまを信じていますから」
エリオットさまの笑みが、ほんのわずかに歪みました。
「信じる、ですか。……兄上が、あなたを利用しているだけだとしても?」
「……え?」
その言葉は、まるで氷の刃のように鋭く胸に刺さりました。
エリオットさまは、わたしの反応を楽しむように微笑みました。
「兄上は昔からそうなのです。甘い言葉で女性を惑わせ、利用できるだけ利用して……飽きたら捨てる。あなたも、そうならなければよいのですが」
「エリオット、やめろ」
ルシアンさまの声が震えていました。
けれど、エリオットさまは構わず続けます。
「兄上は、あなたの“英雄”という立場を利用して、家の地位を守ろうとしているだけですよ。……あなたが、兄上の“顔”に騙されているだけだとしたら?」
「…………」
わたしは言葉を失いました。
(……そんなこと、あるはずがありません)
そう思いたいのに、胸の奥に冷たいものが落ちていきます。
ルシアンさまは、わたしの手を握り返し、必死に言われました。
「アリアさま、違います。俺は……あなたを利用したりなんて――」
「兄上。あなたが何を言っても、もう遅いですよ」
エリオットさまは冷たく言い放ちました。
「社交界では、すでに噂が広がっています。“英雄アリアは、どクズ伯爵子息に騙されている”と」
「……っ」
ルシアンさまの表情が苦しげに歪みました。
わたしは、彼の手を強く握りました。
「わたしは……ルシアンさまを信じています」
そう言うと、エリオットさまは肩をすくめました。
「では、せいぜいお気をつけて。兄上は……人を裏切ることに慣れていますから」
そう言い残し、エリオットさまは優雅に去っていきました。
廊下に残されたのは、わたしとルシアンさまだけ。
ルシアンさまは、わたしの手を握ったまま、深く俯かれました。
「……アリアさま。俺は……」
「ルシアンさま」
わたしはそっと、彼の頬に触れました。
その肌は、驚くほど冷たくて。
「わたしは、あなたを信じています。……誰が何と言おうと」
ルシアンさまは、ゆっくりと顔を上げられました。
その瞳は、痛みと、迷いと、そして――
わたしへの感謝で揺れていました。
「……ありがとうございます。アリアさま」
その声は、震えていました。
(……どうしましょう)
彼の弱さに触れるたび、心が深く揺れてしまうのです。
けれど、あの夜のざわめきは、まだ王宮のあちこちに残っているようでした。
わたしとルシアンさまが並んで歩けば、廊下の向こうからひそひそとした声が聞こえてきます。
「……あれが、例の“契約婚”の……」
「英雄さまは、どうしてあんな男を……」
「顔だけはいいけれど、中身は……」
わたしは聞こえないふりをして歩き続けましたが、隣を歩くルシアンさまの肩が、わずかに強張っているのがわかりました。
(……胸が痛みます)
彼は慣れていると言っていました。
けれど、慣れているからといって、傷つかないわけではありません。
わたしはそっと、ルシアンさまの袖をつまみました。
「ルシアンさま……」
「……大丈夫です、アリアさま」
彼は微笑まれました。
その笑みは、どこか儚くて、胸が締めつけられます。
(どうして、そんなふうに笑うのですか)
わたしが言葉を探していると――。
「おや。お二人とも、ご機嫌よう」
廊下の角から、金髪の青年が姿を現しました。
ルシアンさまの弟、エリオット・クロードさまです。
整った顔立ちに、冷たい笑み。
その瞳は、まるで獲物を見つけた猛禽のように鋭く光っていました。
「エリオット……」
ルシアンさまの声が低く沈みます。
エリオットさまは、にこりと微笑みました。
「兄上。最近はずいぶんと……お忙しいようですね。社交界でも、あなたの噂で持ちきりですよ」
「…………」
ルシアンさまの肩が、さらに強張りました。
わたしは思わず、彼の手をそっと握りました。
「エリオットさま。噂など、気にしていませんから」
わたしがそう言うと、エリオットさまは一瞬だけ目を細めました。
「……なるほど。英雄さまは、兄上の味方だったですね」
「当然です。わたしは、ルシアンさまを信じていますから」
エリオットさまの笑みが、ほんのわずかに歪みました。
「信じる、ですか。……兄上が、あなたを利用しているだけだとしても?」
「……え?」
その言葉は、まるで氷の刃のように鋭く胸に刺さりました。
エリオットさまは、わたしの反応を楽しむように微笑みました。
「兄上は昔からそうなのです。甘い言葉で女性を惑わせ、利用できるだけ利用して……飽きたら捨てる。あなたも、そうならなければよいのですが」
「エリオット、やめろ」
ルシアンさまの声が震えていました。
けれど、エリオットさまは構わず続けます。
「兄上は、あなたの“英雄”という立場を利用して、家の地位を守ろうとしているだけですよ。……あなたが、兄上の“顔”に騙されているだけだとしたら?」
「…………」
わたしは言葉を失いました。
(……そんなこと、あるはずがありません)
そう思いたいのに、胸の奥に冷たいものが落ちていきます。
ルシアンさまは、わたしの手を握り返し、必死に言われました。
「アリアさま、違います。俺は……あなたを利用したりなんて――」
「兄上。あなたが何を言っても、もう遅いですよ」
エリオットさまは冷たく言い放ちました。
「社交界では、すでに噂が広がっています。“英雄アリアは、どクズ伯爵子息に騙されている”と」
「……っ」
ルシアンさまの表情が苦しげに歪みました。
わたしは、彼の手を強く握りました。
「わたしは……ルシアンさまを信じています」
そう言うと、エリオットさまは肩をすくめました。
「では、せいぜいお気をつけて。兄上は……人を裏切ることに慣れていますから」
そう言い残し、エリオットさまは優雅に去っていきました。
廊下に残されたのは、わたしとルシアンさまだけ。
ルシアンさまは、わたしの手を握ったまま、深く俯かれました。
「……アリアさま。俺は……」
「ルシアンさま」
わたしはそっと、彼の頬に触れました。
その肌は、驚くほど冷たくて。
「わたしは、あなたを信じています。……誰が何と言おうと」
ルシアンさまは、ゆっくりと顔を上げられました。
その瞳は、痛みと、迷いと、そして――
わたしへの感謝で揺れていました。
「……ありがとうございます。アリアさま」
その声は、震えていました。
(……どうしましょう)
彼の弱さに触れるたび、心が深く揺れてしまうのです。
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