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第13章 毒の微笑
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王宮の空気は、いつ来てもどこか息苦しいものです。
吹き抜ける風でさえ香料の香りをまとい、自由という言葉を忘れたように閉ざされていました。
彼と並んで王都入りを果たしてから、数日が経ちました。
でも、昔と違うのは――もう、ひとりではないということです。
ライナルト様の存在が、あの冷たさを少しだけ柔らかくしてくれていました。
「慣れない環境だろう。つらければ、すぐに下がれ」
「平気です。気を抜いたら、誰かが足元を掬うかもしれませんから」
「……王都を心得ているな」
「学びましたから。痛い思いをして」
わたしがそう言うと、ライナルト様は少しだけ目を細めました。
その表情が、どこか誇らしげに見えて――胸が熱くなります。
~~~~~~~~~~
王宮の広間では、晩餐会の準備が進められていました。
天井には煌めくシャンデリア、絹の幕のように垂れたカーテンの奥では楽団が旋律を合わせています。
今日もまた、王太子ルキウス殿下と王妃セリーナが姿を見せるのです。
――そして、ライナルト様はその護衛として立ち、わたしは従者として控えることになりました。
「アメリア、無理をするな。宴の間だけでいい」
「はい。殿下のお顔を拝するのは久しぶりですし、心して務めます」
心の奥でさざ波のように揺れるものがありました。
あの夜、あの言葉で追放された記憶。
けれど今は、もう過去の傷で泣く心はありません。
「わたしは……怖くない。誰の影も、もう恐れない」
小さく呟くその声は、自分を励ますための呪文のようでした。
~~~~~~~~~~
晩餐の始まりを告げる扉の開閉音が響きます。
豪奢なドレスの裾が床を滑り、貴族たちが一斉に頭を垂れました。
「王太子殿下、並びに王妃殿下のおなり!」
号令と共に、人々の視線が一斉に中央へと集まりました。
光の中を進むセリーナは、まるで宝石のような輝きに包まれていました。
あの頃よりも洗練され、完璧に造られた微笑。
でも、その唇の端に漂う“何か”が、わたしの心をざわつかせました。
それはかつて家で見た、誰かを蹴落とす前の笑みと同じものでした。
「殿下、こちらの席へ」
ルキウス殿下は無言で頷き、席につかれました。
薄く微笑んではいるものの、どこか顔色が悪いように見えました。
グラスを持つ手がかすかに震えている……気がします。
(……おかしい)
次の瞬間、セリーナがにこやかに近づきました。
殿下のグラスを持ち、まるで慈愛の妻のように微笑みながら言葉を添えます。
「お加減が悪いのではありませんこと? まあ、今日もお疲れなのね。これを飲めば楽になりますわ」
――赤いワイン。けれど、光を受ける色が妙に濃い。
ほんの一瞬、見覚えのない香りが鼻先を掠めました。
背後に立つライナルト様が、わたしの肩越しに低く囁きました。
「今のを見たか」
「ええ。匂いが少し、違いました……」
「俺も同じだ。王家専用のワインにしては薬の匂いがする。……これは“毒”かもしれん」
その言葉に心臓が跳ねました。
まさか――セリーナが。
「しかし、今動けば証拠はない。様子を見ろ」
「はい……」
わたしは装うように姿勢を正し、周囲に違和感を見せないよう努めました。
グラスが殿下の唇に触れる直前――ライナルト様の手がかすかに動き、その手元を覆うようにカーテンの影から指令が飛びました。
「殿下。使用人が代わりのボトルを持ってまいりました。」
いつもの副官の声。その流れで、自然にグラスが交換されます。
わずかな動作の連携。その間わずか数秒。
周囲の誰も気づいてはいませんでした。
しかしセリーナの目だけは、ほんの一瞬だけ細く光りました。
その笑みは、まるで「気づかれた」と悟った者の余裕にも見えました。
(この人は……何を隠しているの)
宴が途切れることなく続く中、わたしは一礼して静かに退室しました。
胸の奥では、まるで毒よりも強い焦燥が燃え上がっていました。
~~~~~~~~~~
夜、客間の窓辺に立つライナルト様が振り向きました。
月明かりが彼の横顔を照らしています。
「……あの場でよく冷静でいられたな」
「ライナルト様のおかげです。わたし、ただ……怖くなって」
「怖くていい。人の悪意を恐れない者など、むしろ愚かだ」
凛とした声。でも、その奥には優しさがありました。
彼は窓際の机に置かれたグラスを手に取り、じっと中を見つめます。
「王太子ルキウス殿下の不調、数週間も続いているらしい。
医師は気づいていないが、毒が少量ずつ盛られている可能性が高い」
「……やっぱり」
「セリーナが直接手を下しているかは分からんが、背後に何かいる。
明日から、俺が動く。お前は王妃付きの従者として、内部を探れ」
「わたしが……ですか?」
「お前の勘は、鋭い。あの女の笑みを見抜いたのもお前だ」
その言葉に、胸がドキンと鳴りました。
信頼――そう、これは任されているということ。
「分かりました。必ず、掴んでみせます」
「危険を感じたら引け。……命令だ」
視線が合う。
静かな夜の中で、心臓の鼓動だけがやけに騒がしい。
「ライナルト様」
「なんだ」
「あなたといると、あの“冬”が遠い昔のように思えるんです。
……今は怖くても、前を向ける気がします」
彼は短く息をつき、ゆっくり歩み寄りました。
そして、そっと手を伸ばし、わたしの頭に触れます。
「……強くなったな、アメリア」
その声がやさしくて、胸の奥がきゅうっと熱くなりました。
涙がこぼれそうになるのをなんとかこらえて、小さく笑います。
「明日も戦ですね」
「ああ、王都は戦場だ」
背中合わせに、月明かりを浴びながら。
彼の影とわたしの影が、ひとつに重なって見えました。
吹き抜ける風でさえ香料の香りをまとい、自由という言葉を忘れたように閉ざされていました。
彼と並んで王都入りを果たしてから、数日が経ちました。
でも、昔と違うのは――もう、ひとりではないということです。
ライナルト様の存在が、あの冷たさを少しだけ柔らかくしてくれていました。
「慣れない環境だろう。つらければ、すぐに下がれ」
「平気です。気を抜いたら、誰かが足元を掬うかもしれませんから」
「……王都を心得ているな」
「学びましたから。痛い思いをして」
わたしがそう言うと、ライナルト様は少しだけ目を細めました。
その表情が、どこか誇らしげに見えて――胸が熱くなります。
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王宮の広間では、晩餐会の準備が進められていました。
天井には煌めくシャンデリア、絹の幕のように垂れたカーテンの奥では楽団が旋律を合わせています。
今日もまた、王太子ルキウス殿下と王妃セリーナが姿を見せるのです。
――そして、ライナルト様はその護衛として立ち、わたしは従者として控えることになりました。
「アメリア、無理をするな。宴の間だけでいい」
「はい。殿下のお顔を拝するのは久しぶりですし、心して務めます」
心の奥でさざ波のように揺れるものがありました。
あの夜、あの言葉で追放された記憶。
けれど今は、もう過去の傷で泣く心はありません。
「わたしは……怖くない。誰の影も、もう恐れない」
小さく呟くその声は、自分を励ますための呪文のようでした。
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晩餐の始まりを告げる扉の開閉音が響きます。
豪奢なドレスの裾が床を滑り、貴族たちが一斉に頭を垂れました。
「王太子殿下、並びに王妃殿下のおなり!」
号令と共に、人々の視線が一斉に中央へと集まりました。
光の中を進むセリーナは、まるで宝石のような輝きに包まれていました。
あの頃よりも洗練され、完璧に造られた微笑。
でも、その唇の端に漂う“何か”が、わたしの心をざわつかせました。
それはかつて家で見た、誰かを蹴落とす前の笑みと同じものでした。
「殿下、こちらの席へ」
ルキウス殿下は無言で頷き、席につかれました。
薄く微笑んではいるものの、どこか顔色が悪いように見えました。
グラスを持つ手がかすかに震えている……気がします。
(……おかしい)
次の瞬間、セリーナがにこやかに近づきました。
殿下のグラスを持ち、まるで慈愛の妻のように微笑みながら言葉を添えます。
「お加減が悪いのではありませんこと? まあ、今日もお疲れなのね。これを飲めば楽になりますわ」
――赤いワイン。けれど、光を受ける色が妙に濃い。
ほんの一瞬、見覚えのない香りが鼻先を掠めました。
背後に立つライナルト様が、わたしの肩越しに低く囁きました。
「今のを見たか」
「ええ。匂いが少し、違いました……」
「俺も同じだ。王家専用のワインにしては薬の匂いがする。……これは“毒”かもしれん」
その言葉に心臓が跳ねました。
まさか――セリーナが。
「しかし、今動けば証拠はない。様子を見ろ」
「はい……」
わたしは装うように姿勢を正し、周囲に違和感を見せないよう努めました。
グラスが殿下の唇に触れる直前――ライナルト様の手がかすかに動き、その手元を覆うようにカーテンの影から指令が飛びました。
「殿下。使用人が代わりのボトルを持ってまいりました。」
いつもの副官の声。その流れで、自然にグラスが交換されます。
わずかな動作の連携。その間わずか数秒。
周囲の誰も気づいてはいませんでした。
しかしセリーナの目だけは、ほんの一瞬だけ細く光りました。
その笑みは、まるで「気づかれた」と悟った者の余裕にも見えました。
(この人は……何を隠しているの)
宴が途切れることなく続く中、わたしは一礼して静かに退室しました。
胸の奥では、まるで毒よりも強い焦燥が燃え上がっていました。
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夜、客間の窓辺に立つライナルト様が振り向きました。
月明かりが彼の横顔を照らしています。
「……あの場でよく冷静でいられたな」
「ライナルト様のおかげです。わたし、ただ……怖くなって」
「怖くていい。人の悪意を恐れない者など、むしろ愚かだ」
凛とした声。でも、その奥には優しさがありました。
彼は窓際の机に置かれたグラスを手に取り、じっと中を見つめます。
「王太子ルキウス殿下の不調、数週間も続いているらしい。
医師は気づいていないが、毒が少量ずつ盛られている可能性が高い」
「……やっぱり」
「セリーナが直接手を下しているかは分からんが、背後に何かいる。
明日から、俺が動く。お前は王妃付きの従者として、内部を探れ」
「わたしが……ですか?」
「お前の勘は、鋭い。あの女の笑みを見抜いたのもお前だ」
その言葉に、胸がドキンと鳴りました。
信頼――そう、これは任されているということ。
「分かりました。必ず、掴んでみせます」
「危険を感じたら引け。……命令だ」
視線が合う。
静かな夜の中で、心臓の鼓動だけがやけに騒がしい。
「ライナルト様」
「なんだ」
「あなたといると、あの“冬”が遠い昔のように思えるんです。
……今は怖くても、前を向ける気がします」
彼は短く息をつき、ゆっくり歩み寄りました。
そして、そっと手を伸ばし、わたしの頭に触れます。
「……強くなったな、アメリア」
その声がやさしくて、胸の奥がきゅうっと熱くなりました。
涙がこぼれそうになるのをなんとかこらえて、小さく笑います。
「明日も戦ですね」
「ああ、王都は戦場だ」
背中合わせに、月明かりを浴びながら。
彼の影とわたしの影が、ひとつに重なって見えました。
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